つれづれに:家庭教師2(2022年4月17日)

つれづれに

家庭教師2

木造2階建てだった中学校(同窓生のface bookから)

「受験勉強もしなかったから、まさか家庭教師を頼まれるとは思ってもみなかったが、これで何とか30くらいまでは持ちそうと、少し気持ちに余裕が出来たことは確かである。」(→「家庭教師1」(4月10日)と前回書いたが、それは3年目が終わる頃の話で、それまでは経済的にきつかった。今から思えば働けばよかったが、30くらいまでしか考えてなかったので時間の方が大事だったのかも知れない。

100点を取った中学生の日にちを増やす話の前に、新たに二人の男子中学生から別々に家庭教師を頼まれた。一人はコーチの真似事をしていた一年目のチームにいた3年生の女子から聞いたらしかった。その女の子は親戚で、私と同じ高校に行っていたらしい。もう一人は誰から聞いのかは聞かなかった。依頼を聞いて、会いに行った。どちらも母親を交えて、本人と話をした。一人は両親が呉服屋をしていた。今は着物の需要が減って呉服屋を続けるのは難しい時代のようだが、その頃はまだ呉服屋の需要はあって、そこそこの生活をしている人が多かったように思う。両親とも普段も着物を着ていた。本人はテニスをしていて、明るくて賢そうだった。

通った高校(高校のホームページから)

もう一人は父親が電気工事店をやっていたようで、母親が教養もある清楚な人だった。本人もまじめな性格のようだった。100点を取った中学生と違って、どちらもよく出来て、飲み込みも理解するのも早かった。これなら自分で出来るやろ、と思ったくらいである。出来る人は、どんどんやればいいだけのようなので、中学のテキストはさっさと終えて、高校のテキストなどをやっても充分にこなせていた。お互いに気持ちの余裕も出来るし、いろんな無駄話をしていたように思う。成績もよかった。二人はお互いに知らなかったようだが、卒業をする頃にはなぜか同じ人に家庭教師をしてもらっているとわかったらしい。あまり模擬試験の結果に関心はなかったが、それぞれに聞いたら、5番と6番だと言ってた。私が30番前後で進学校に行ったし、私のようにすべてを諦めたりはしていないだろうから、それなりに神大か関学かくらいには行ったのではないか。

近くの川の河川敷

受験勉強をしたこともない私が家庭教師をするのもおかしな話だが、元々頭の回転の速い人は、うまく嚙み合えば、生得的な能力をぐっと伸ばせるような気もする。しかし、やってみて、やっぱり勉強は自分でするもんや、と言う思いは変わらなかった。

家庭教師を頼まれたおかげで、経済的にも気持ちの上でも余裕が出来たのは確かである。余裕のお陰か、大学の行き帰りに神戸や大阪の古本屋にも通うようになって、たくさんの本を読み始めた。

次回は古本屋、か。

山藤があちらこちらに咲いている。一昨日は白浜に出かけたが、行く道でも何度か見かけた。曽山寺浜の歩行者・自転車用道路脇にある老人福祉施設の生垣にも、見事な花が垂れ下がって咲いていた。↓