つれづれに:3ケ月早めに(2022年5月14日)

2022年5月14日つれづれに

 

3ケ月早めに

 長く続く雨の日が少し途切れた。地面も少しは乾いてくれそうで有難い。気持ちも軽くなる。旧暦では今年は20日まで立夏の時期で、畑はすでに夏野菜の世界である。胡瓜も花をつけ、蔓が伸びて勢いが出始めて来た。(↓)実が生りだすと、二人では食べきれない。お裾分けの心配が出来るのは有難い限りである。オクラも茄子もピーマンも、そろそろ花が咲き出す。今年は、とまとの出来が気になりそうである。

花が咲き始めた胡瓜、次々に実がなりそうである

 産前休暇を取る人の代わりだったが、3ケ月早めに高校の教員になった。卒業していたから経験した思わぬ展開である。土曜日の午前中もまだ授業があった頃で、その女性は1コマ50分の授業を週に15コマ、一日に3コマ弱、一年生の購読と英文法を担当していた。

 高校では授業とホームルーム運営と課外活動が中心らしいが、産休の代わりの非常勤教諭だったので、授業だけだった。煩わしい職員会議や他の会議にも出る必要がないのが何よりだった。

 2年前に出来たばかりの新設高で、4月に新校舎に移転するまで、空いていた近くの県立高校の旧校舎を使っていたようである。全国的に学校の校舎を順次建て替えていた時期で、それまでの2階建ての木造校舎が消えて、同じ様式の4階建てのコンクリート校舎が増えていた。私が高校に入学した時はすでにコンクリートの建物だったと思うが、在学中に木造の講堂が体育館に建て替えられた。講堂は式や集会や体育館にも使われていた。実際にも暗かったが、整列させられて話を聞かされたうえ、冬の寒い時期に朝早くから無理やり裸足で剣道を強いられたので、余計に暗いイメージが付き纏う。前時代を象徴するような遺物に思えた。大学では下駄を履いて学舎の廊下を大きな音を立てながら歩いたりしていたが、木造校舎にはコンクリート製にはないぬくもりがあったような気がする。(→「髭と下駄」、4月19日)宮崎に来た春先に、秋から農学部で非常勤を頼まれていたので、お世話になる英語科の人に会うために教育学部に行ったが、まだ木造校舎だった。そのあとすぐに、コンクリート7階建ての校舎のある今のキャンパスに移転した。

 間借りをしていた校舎と移転予定の新校舎は、私が通った高校の両隣の町にあって、少し距離があった。当時住んでいた家は二つの学校のちょうど真ん中にあって、どちらへも自転車で一時間弱の距離にあった。当時はその辺り一帯が同じ校区で、その学区の生徒はその新設高校にも進学が出来た。すでに県立高校があったので、3番目の普通高校が出来たわけである。人口増に合わせて作られたようで、今はもう1校が加わって、隣の市にある県立高と合わせて普通科5校から選ぶことが出来る。山陽本線の複々線が切れる西明石より西は神戸や大阪に通勤が可能な地域で、ずいぶんと家が建った。小学校の時に引っ越しした時には、裏は堤防まで空き地だったが、結婚して家を出る頃には家が建って、空き地がほとんど消えていた。(→「牛乳配達」、3月30日、→「引っ越しのあと」、4月1日)

近くの川の河川敷

 2学年各6クラスと木造校舎、こじんまりとしてなななかの出だしだった。最初の日に、菓子折りを持って、用務員さんの部屋を訪ねた。
 次回は、初めての授業、か。