つれづれに:南アフリカから(2022年9月14日)

つれづれに

つれづれに:南アフリカから

南アフリカから来た人(↑、小島けい画)を宮崎に迎えた。大変なことだったが、後味が悪い印象だけが残っている。今なら引き受けない。理由は自分の馬鹿さ加減を知らないということに尽きる。誰が悪いと言うわけではなく、すべて自分から始まったことなので、何とも言えない。後味のわるさだけが残る。「宮崎医科大学 」に来てから2年目の春に日本に住むケニアの人から電話があった。「横浜から」出版社の社長さんを「中朝霧丘」の家に迎えたとき、先輩といっしょに来た人である。ケニア(↓)で一番のナイロビ大学を出て文部省に勤めていたエリートである。そこから京都大学に坂本龍馬の研究に来ている時に、同郷の人の手伝いをして国に帰れなくなっていた。同郷の人が反体制の人だったからだ。その人物の影響が大きかったので、帰国すれば命の保証もなかったようである。

「日本の宗教団体が女性の日に南アフリカの女性作家を招待しているけど、市民団体の扱いがあまりよくないので、少しの間宮崎で引き受けてくれないか」という内容だった。市民団体はもちろん反アパルトヘイト団体らしいが「反アパルトヘイトを利用しての募金活動に忙しく、作家はビジネスホテルに入れられてぞんざいに扱われている」とも言っていた。「東京から通訳一人もいっしょに行くんでよろしく」とのことだった。二人分の飛行機代、ホテル代、滞在費を出せということらしい。経済事情から考えれば、とても引き受ける状態ではなかったが、引き受けてしまった。今から考えると、自分の馬鹿さ加減にあきれる。30万はかかったと思う。どこからお金を捻り出せたのか。おまけに赴任一年目に2年生だった学生3人に車を出してもらい、作家の送り迎えと市内の案内まで頼んでいる。その日は家で歓迎会をして、同僚と一年目に1年生だった7歳年上の学生まで招待している。頼まれたら、誰も断れなかったと今は思う。悪いことをしてしまった。そのうえ、次の日に大学で講演会までやっている。会場でも4年生と2年生に協力してもらっている。一人はその前の年に授業で会った人で、もう一人は授業ではなく部屋に来てくれただけだった。夏休みの時間を取ってもらった。ずいぶんと人を巻き込んでしまったわけである。新聞社には「南アフリカの現役作家を囲んで文学の話をする」と連絡したが、テレビも取材に来て諒承もなく「南アフリカの女性作家を囲んで人種差別を考える会」とニュース番組でも新聞でも紹介された。

次の日、大学(↓)の事務局に行くと雰囲気が重かった。あとで「国立大学で政治色の強い集会をしたからあなたはブラックリストに乗った」と誰かに言われた。たぶん、事務の人だったと思う。テレビでも新聞でも勝手勝手に報道されてしまっている。同じ時期に講師で来た私より若い人二人に急かされて助教授になる書類を出していたが、止まってしまったとも聞かされた。私が年上なので、私が出さないと自分たちも昇格出来ない、と急かされた。組合もない文部省の言いなりの大学だけのことはある。しかし、アフリカ人の安価な労働力にただ乗りして、見せかけはアパルトヘイト反対を言いながら、アパルトヘイト政権と協力して安い鉱物資源を買い、高い車や電化製品を売りつけてぼろもうけしながら、政治色の強い集会もないもんだろう。恥とかを忘れてしまったようである。いや、元々恥などは存在しないか。個人的には小説を書く時間さえあれば文句はなかったから、出た教職大学院から「卒業生は初めてだが、教授会で取ることに決めたから」と誘われていたが、行かなかった。人事で大変な思いをして世話をしてくれた人のことを考えると2年で異動はとても出来なかった。一応恥を知っていたようである。その後ずいぶんと経ってから、執行部や制度が変わり、まさか教授選に出るように言われ、そんな体質の教授会に選んでもらうとは、この時誰が予想できただろう。

それ以来、マスコミには顔を出さない、新聞や市民団体にも近寄らない、と決めている。ずっと、人に迷惑をかけてばかりである。