つれづれに:青島(2023年7月23日)

つれづれに

つれづれに:青島

 今日もまた歩けた。朝ごはんを済ませてから、公園→木花神社→農産物店→量販店→木花駅→小学校と中学校横の道を歩いた。1時間余りである。一昨日は白浜に自転車で行ったので、昨日一日は体を休めて、陽が落ちてから畑に出た。生ごみを埋めて、大きくなり過ぎた胡瓜(きゅうり)の実を落として埋めた。食べごろの胡瓜と茄子(なす)を採った。それと葱(ねぎ)である。この時期まで虫にやられないで残っているのは奇跡である。初めての経験だった。半分ほど剪定鋏(せんていばさみ)で茎をある程度残して切った。まだ半分ほどが残っているので、今日も作業が出来ればいいんだが‥‥。暑中に外にでられなくて、丸鞘(さや)オクラが大きくなり過ぎていた。半分は固くて、包丁が入らなかった。惜しいことをしたが、外に出るのが躊躇(ためら)われるほど→「暑中」の勢いが凄(すご)いということだろう。今年の暑中は、小暑(7月7日~22日)と大暑(23日~8月6日)を合わせた期間である。今はその期間中なので「暑中お見舞い申し上げます」ということだろう。

丸鞘オクラはすべて去年の種から苗を作り植え替えたものなので、例年より収穫が遅い。普通サイズのオクラの苗は出回るが、丸鞘オクラの苗はどこにも売られてない。今年も大きくなり過ぎたオクラから種を取って大事に取っておこう。

 木花神社の戦没者の忠魂碑裏の空き地で明日の分のどくだみを20本ほど摘んだ。それから車を避けて小道を通り、農産物店に行った。山芋とレタスと大根を買った。今の時期、野菜の値段が上がっている。葱は倍以上している。昨日上部を切った根の部分は、植え替えておこう。そうすれば、1~2週間すれば食べられる。ただし、暑中に水をやり、希釈した酢を丹念に撒(ま)けるかどうかである。

いつもは木花駅経由で戻るのだが、今日はスポーツドリンクを持って来ていないのに気がついて、冷やしてないのを買うために量販店に寄った。昔は運動するときに水を飲むなと言われていたようだが、炎天下給水しないのは今から思うと恐ろしいことである。その点、今はスポーツドリンクもよく出来ている。量販店に行く途中に、この前の空き地(↓)で明後日分のどくだみを採った。

 今日は小学校と中学校の途中の道路脇で、えのころぐさ(↓)を見つけて摘んだ。白浜の帰りに稲田の脇で摘んでいたが、今日はコンクリートの隙間の土の部分から咲いている分を摘んだ。今の時期、家に生ける花を見るけるのは難しい。ひめゆりを採って飾ったが、花粉がTシャツに着くと洗っても取れないのを忘れていた。3枚やられた。妻はおでこについた赤い花粉を鏡で見て「帯状疱疹?」と一瞬慌(あわ)てたそうだ。最近ご近所の夫婦がそろって帯状疱疹にやられて大変だったという話を聞いた矢先だったからだろう。

 →「白浜に」と→「白浜に2」の続きである。青島への旧道からの脇道と加江田川の河口と曽山寺浜の橋の写真の他に、青島の写真を何枚か撮ろうと思ってカメラを持って行った。以前撮った写真と比べてみたかったからである。

曽山寺浜の橋を過ぎると右手にホテルが見える。今は長い名前になっているが、宮崎に来た頃はパームビーチホテルと呼ばれていた。その名前が気に入っているので、まだその名前を使っている。そのホテルの先から青島の砂浜で、冬に通ったときに、浜に下りて白いドレスを着た花嫁(↓)の写真を撮っていた。遠くて顔も見えなかったが「そう言や、風の強い日に息子と彼女も同じように写真を撮ってたなあ」と思いながら、シャッターを切ったのである。

 その時はコロナ騒ぎで、青島海岸や神社の周りでも人影はほとんどなかった。下は白浜に行く時に取った写真である。サーファーがちらほら見える。

 海開きも済んで、海水浴場(↓)にも少し人がいた。土日は賑(にぎ)わうのかもしれない。油津から観光船の中国人観光者がどっと押しかけることはなくなったようだが、だいぶ観光客は戻っているようである。

 今は青島にも近いので生活圏内の感じがするが、宮崎に来た当初は宮崎神宮より北側の借家に住んでいたので、青島は生活圏外だった。それでも家族4人で、何回か出かけている。たぶん宮崎に来て2年か3年か経った頃に出かけた時に撮った写真を元に妻が絵(↓)を描いて、個展に出した。その場所を見つけ出して、写真を撮るつもりだった。しかし、難航した。三十数年も経つと、記憶が実に曖昧である。次回はその絵についてである。