つれづれに:ハワイ(2022年8月2日)

2022年8月1日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:ハワイ

 ハワイに行った。エンパイアステイトビルディング(↑)に登った時、エスカレーターで途中の階で降ろされ、展望台へのエレベーターを待つ人混みを見て以来(→「ニューヨーク」(6月21日)、名所と称される所には行かないと決めていたが、家族で有名なハワイに行き、ワイキキの浜にも行ってしまった。「ライトシンポジウム」(7月22日)で伯谷さん(↓)からの「MLA(Modern Language Association of America)」での誘いを引き受けたとき、「サンフランシスコは日本から一番近いですから、家族も連れていらっしゃいよ」と言われた。

 帰ってそのことを話したら、妻も二人の子供も大はしゃぎだった。大学院に行き始めてから子供との時間も増えていた。「中朝霧丘」(6月17日)の家に3人で転がり込んだあと息子が生まれ、母親代わりをさせてもらって、更に子供との時間が増えていた。妻の父親も含めて5人でよく食べに出かけた。その日、妻は料理を作らなくてもよかったし、私も後片付けをする必要がなかった。明石駅前の商工会議所のビルの1階にあるレストランに行って、「明石城」(↓、7月1日)を眺めながら食事を楽しんだ。舞子海岸近くにある舞子ヴィラのレストランも食べやすかった。妻の父親は学校には行くべきだと考えていたが、私たちはそうは思っていなかったので、学校のある日に4人で出かけることもあった。サンフランシスコもその延長だったようである。妻は折角だからビジネスクラスにしようと言うし、子供二人も大はしゃぎで嬉しそうだった。下が5歳だったのでサンフランシスコまで一気に行くのはきついと思い「ハワイに寄るんもええかもな」と思い着きで言ってみたら、「ハワイに行ける!ワイキキで泳げるやん」とさらに大騒ぎになった。

 伊丹空港を発ったのはクリスマスの夜で雪でも降りそうな寒さだった。日本とハワイとの時差は19時間だそうで、ホノルルに着いたのはクリスマス当日の朝だった。北半球の真冬の夜に飛行機に乗って、南半球の真夏の朝に着いたというわけである。太陽がきらきらと輝き、目にまぶしかった。空港からタクシーに乗って、ワイキキ浜のそばのホテルに直行した。途中、窓から外を眺めていた息子が「サンタクロース(↓)や、真っ赤な服着て浜を走ってるで」と、大きな声で叫んた。真夏に赤い服を着て、暑いやろなあと思いながら、私もサンタクロースが走っている方を見た。

 いつも通りホリデイ・インクラスで予約したが、ホテルもすこぶる快適で、部屋のベランダで沈む夕日(↓)を堪能した。3人は浜の勝っちゃん店という日本食屋を気に入って、各自好き勝手に注文をしておいしそうに食べていた。3人は英語はしゃべれなかったが、支障はないようだった。ワイキキ浜の近辺には日本人も多かったように思う。妻が浜でスケッチしていたら、スケッチされた少女の母親が近づいてきて是非売ってくれと紙幣を出し始めた。妻は恥ずかしそうに、どうぞもらって下さいと言いながらスケッチを渡していた。担任した高校生が「修学旅行」(6月1日)の文集を自発的に作ったとき、職員何名かと47人全員の似顔絵を描いてもらったが、それぞれぞくっとするほど特徴を捉えていた。今は犬や猫や馬の絵を頼まれて描くことが多いが、肖像画の需要があれば喜ぶ人も確実に増えると思う。

 ワイキキのホテルと浜(↓)で充分に寛いだあと、1987年MLAの会場のサンフランシスコに出発した。
 次は、サンフランシスコ2、か。