つれづれに:初めての授業(2022年5月15日)

つれづれに

 

初めての授業

曽山寺浜の橋の上から見る雨に煙る山側

 思いがけず3ケ月早く授業をすることになった。緊張して前の夜は寝にくかった、初めての授業でうまくしゃべれなかった、などは一切なく、百年も授業をしてきたみたいな顔で授業をしたように思う。3年間嫌々授業を受け、教育実習でも散々な思いをしたが、人からあれこれ言われないのが何よりだった、ような気がする。産休に入る人からはよろしくお願いしますと言われただけだったし、校長も何も言わなかったし、英語科の人ともほとんどしゃべらなかった。4月から新採用という立場も、微妙に作用していた可能性もある。それと、後で聞いてわかったことだが、あまり生徒受けがよくなかった人の代わりだったというのもあったかも知れない。
家でも学校でも疎外感を感じ、敗戦や急なアメリカ化への反発が強く受験勉強には馴染めなかったが、購読や英文法が嫌いというわけでもなかった。普通科1年生の教科書は易しいし、量も多くない。家庭教師を頼まれて、複数の高校生や中学生にも高校のテキストを使っていたから、生徒で授業を受けていた時以来というわけでもなかった。採用試験を受けて感触を確かめ(→「教員採用試験」、5月2日))、1年後の教員試験用に購読(→「購読」、5月5日)と英作文(→「英作文2」、5月7日)、院試用に言語学と文学史(→「大学院入試」、5月10日)の準備もしたので、当面の授業には困らなくて済みそうな感触はあった。
定期試験の問題を作って採点もし、入試の手伝いもした感想は、自分のことを棚に上げてという気もするが、英語が受験の主要教科の割には、全般に出来ない人が多いんやなあ、だった。ただ、小、中、高は同じテキストを使うので教師が工夫する範囲が限られている感じがして、きっと高校の教員は長くは続かないだろうなという予感はした。それに、生きても30くらいまでという感覚はずっと引き摺っていたし、この先どうなるかは全くわからなかった。
一つだけ予想していなかった展開があった。授業に行っている生徒が二人が頻繁に職員室に質問にやって来た。どちらもその学校の中では英語が一番出来る部類の生徒で、ほんの僅かな休み時間ごとによく来れるもんやなという感じがした。教師のところに質問に行くということ自体考えたこともしなかったので、尚更だった。しかし、二人は4月から非常勤でなくなったあとも、よく職員室に来た。卒業したあとも関係は続いた。その後、大学でも同じような展開になるとは、その時は思いもしなかった。
次は、県大会、か。

きのうに続いて今のとろこ雨が降っていないので、地面がさらに乾いてくれそうである。一昨日は一日じゅうの雨で、午後からはかなり荒れるという予報が出ていたが、風もなく雨だけでほんとうに助かった。それまで一年半の間マッサージに通う金曜日には一日も雨の日がなかったが、昨日は2回続きの雨だった。たまに降るなら雨の風情も悪くないと思うが(↓)、長雨が続くと、じめじめとして気が滅入る。雨風の前には、無力である。

曽山寺浜の橋の上から見る雨に煙る海側、幽かに青島が見える