つれづれに:暑中(2023年7月17日)

つれづれに

つれづれに:暑中

「私の散歩道2009~犬・猫・ときどき馬~」8月

 →「のうぜん葛」を今年初めて見かけてから3週間ほどになる。去年初めて「この暑い最中(さなか)に咲く花もあるんやなあ」としみじみ感じた花の一つである。もう一つが百日紅(さるすべり)で、淡いピンクか濃い目のピンクの花をつける。去年のお盆頃に暑い中で咲く花を意識したときは、百日紅とハイビスカスがたくさん咲いていた。去年は気づかなかったが、→「ハイビスカス」(↓)が咲き出すのはもう少しあとのようだ。去年見かけた場所には、どこもまだ咲いていない。のうぜん葛は早くに花が終わってしまうが、百日紅とハイビスカスは結構遅くまで咲いている。霜が降りる頃に枯れて葉も落ちるようだ。

「私の散歩道2021~犬・猫・ときどき馬」8月

 「暑中見舞い」などで暑中という言葉はよく聞いていたが、今年初めて旧暦の小暑と大暑の期間を指す言葉だと知った。一年で一番暑い季節である。だから、暑中お見舞い申し上げますと葉書を書いてご機嫌伺いをするわけだ。今年は夜と昼の長さが同じになる夏至(げし)を過ぎてから15日目に小暑(しょうしょ)が始まった。小暑は24節気の第12節で、夏の節気の5番目である。そのあと、第12節の大暑(たいしょ、7月23日~8月7日)と続く。あと3週間ほどで暑中が終わることになる。その頃には、少なくとも朝晩は過ごし易くなるだろう。

一昨年と去年で1階の1台と2階の3台のエアコンを新しくした。業者に来てもらうのは気も遣うし億劫だが、工事をしてもらってよかったと毎日しみじみと感じている。年を取った私たちもそうだが、15歳と16歳(↓)の3匹の猫にも、猛暑は生き死にに関わるからである。

結婚を機に家を出たが、それまで住んでいた家は夏は暑く、冬は寒かった。6畳と4畳半2間の元市営住宅に家族6人で引っ越しをした。それまではトタン屋根の同じく6畳と4畳半2間に6人で暮らしていた。小学校の3年生の時だったから、弟2人はまだ幼稚園にも行ってなかった。周りの長屋に父方の親戚が集まって住んでいたようで、暗い、穢い、狭いイメージのスラムのようなところだった。貧乏な人たちは自分たちが貧しいという自覚がない。それが一番嫌だった。いい思い出がない。

その家の近くの川の河川敷(ウェブから)

 スラムのような家に比べて、南と東側に少し庭もあり、狭かったが風通しはよく、明るかった。親戚の姿が視界から消えたのも大きかったかも知れない。裏は少し離れた川の堤防まで畑か空き地で、開放感があった。しばらくして姉と一回り違いの妹が生まれて、兄弟が5人になった。その頃には、すでに両親の関係は壊れていて、どちらもあまり家にいなかった。6畳と4畳半2間は7人には、さすがに狭すぎた。中学校の頃に建て増しされて、ブロックや粗末な建材で、6畳の倉庫と4畳半を先に拵(こしら)え、その上に6畳2部屋と4畳半の部屋を継ぎ足した。私は倉庫の上の6畳に住んだ。北と東に大きな窓はあったが、南側が倉庫からの2階への階段で入り口部分が狭く、風通しが悪かった。風が通らずトタン屋根だったので、夏は暑く、冬は寒かったのである。

家から見えた紡績工場(ウェブから)

 ことに暑中の暑さはこたえた。頼まれて何軒かの→「家庭教師」に出かけていたが、家庭教師にお金を割ける家には、エアコンがついている。その快適さと、自分の部屋の暑さとの間を往復すると、余計に暑さがこたえた。台風で一度、屋根が飛んだ。激しかった雨風が急に止んだと思ったら、急に明るくた。台風の目に入って、トタン屋根が飛んだのである。それあといばらくしてまた雨風が激しくなった。もちろん、部屋は水浸しだった。すべてを諦めたつもりで、生きても30くらいまでやろと思いながら生きてはいたが、毎日生きるだけでも大変だった。

30くらいまでやろ、どころかすでに70をとうに過ぎている。碌(ろく)なこともせずに、生き在(ながら)えてしまった。

引っ越しの時はこの橋を渡っている(ウェブから)