つれづれに:木花俯瞰図(2022年3月1日)

2022年3月2日つれづれに

 

つれづれに:木花俯瞰図

 

散歩している時に、すごいものを見つけた。江戸時代後期の木花俯瞰図である。「木花地域まちづくり推進委員会」が年末に新たに作成した案内板の中に含まれていて、俯瞰図は木花神社の宮司が所蔵しているらしい。散歩の途中に何回か表札で宮司の名前を見かけたことがある。委員長は公園脇に家のある方のようで、公園や神社の手入れをしている姿を時々見かける。出来た野菜をもらったこともある。普段神社は無人だが、年に何回かは行事が行われているようで、代々引き継がれた宮司が祭祀を執り行い、氏子の地域の人たちが協力して神社を整備、保存しているようである。江戸時代から受け継がれてきたとても貴重な俯瞰図だ。

絵心のある人の絵は想像力を掻き立ててくれる。木花神社の北に法満寺があったのを知ったのは最近だが(→歩くコース2の)、なかなかイメージが湧かなかった。神社があったと思われるところに、今は人家が何軒かあるからかも知れない。この俯瞰図で、少しイメージが湧いた気もする。寺は神社より小さく描かれているので、規模はそう大きくなかったようである。寺の横に木花集落が並んでいるが、高台にある神社と寺と、木花集落との高低差は描かれていない。

江戸時代後期(1735年~1868年)に描かれた図で、描いた人の名前はわからないらしい。図を見ると木崎浜と内海の位置が今とだいぶ違う。図では清武川と加江田川が河口付近で合流し、清武川の北側に木崎浜が描かれているが、今は清武川と加江田川がほぼ並行に流れ、二つの川の間に3~4キロメートルほどの木崎浜がある。それと、曽山寺浜と青島海岸までが湾曲に描かれているが、今はほぼ直線である。一番奥に内海が描かれているが、現在は岬の陰になって木花神社からは見えない。砂浜や河口は変化が激しいので、地形が大きく変わったかのかも知れない。目測を誤った可能性もある。

描かれている左手(北端)の木崎浜から右手(南端)の内山集落(現在の高岡町で、子供の国の西)までの南北の範囲、奥(東端)の内海から手前(西端)の法満寺と木花神社までの東西の範囲を俯瞰するには、位置的に見て、木花神社のかなり西にある高台か高い山から見る必要があったはずである。しかし、実際にはその辺りにはそれほどの高さの高台や山はなかったようだし、方角的に見てその方角からは岬(現在ホテルサンクマールの南側の突き出たところ)に隠れて内海は見えなかったと思われるので、たぶん木花神社、法満寺近くの高台から見たものに恣意的に手を付け加えて描き上げたのではないかと思う。

と、簡単に閲覧できるウェブの地図や写真の基準に慣れてしまっているもっともらしい感想だが、多少の誤差があっても、絵には写真とは違う何かがあるような気もする。内戦もなかった江戸時代の後期に、この俯瞰図、いったい何のために、誰が描いたのだろうか。描いた絵が代々引き継がれて、木花神の案内板に載せられ、後の世の人たちに紹介されるとは夢にも思わなかっただろう。描いた人に会って、いろいろ尋ねてみたい気もする。

次回は俯瞰図の続きで、法満寺を菩提寺にしていたらしい飫肥藩などをめぐって、か。

3月が始まった。24節気の雨水(うすい)がもうすぐ終わり、3月5日からは啓蟄(けいちつ)である。だいぶ気温も高くなり、大根に薹が立ち始めた。また、虫の季節である。「玄関のドアを開けたら、沈丁花がにおって来たよ」、と遠くで妻が言っている。

小島けい「私の散歩道2022~犬・猫・ときどき馬」3月