つれづれに:英作文(2022年4月2日)
英作文
ほぼ田植えが済んだ田んぼ
田植えがほぼ済んでいる。まだのところはこの土日で終えるだろう。すっきりとは晴れてくれないが、そろそろ畑も虫が活発に動き出す頃である。今のところレタスも何とかやられてないが、あと10日ほどもすれば、見るも無惨な姿を晒しそうである。今年はやられてしまう前に、根ごと洗ってせっせとお裾分けをしている。長持ちするようにポットに植え替えている人もいるようだ。昨日も吉祥寺に住んでいる娘にレタスや豌豆や葱もいっしょに荷物を送ったが、最近は長持ちするように根をつけたまま売ってる野菜が増えてるよ、と言っていた。
まだやられていないレタス
英作文に『坪田譲治童話集』を選んだ人は素敵だった。大人扱いをする大学の雰囲気も自由で新鮮だったが、『坪田譲治童話集』には心底恐れ入った。
文庫本だったので、たぶんこれが前身か
もちろん始まるまで授業について考えたことはなかったが、英米学科だけのことはある。一年生から月水金に英語(英書購読、英作文、英会話)があり、火木が第2外国語(フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語から選択)と教養科目だったと思う。土曜日もまだ授業があった気もするが、定かでない。夜間課程は一日に2コマしかないので、128単位を4年間で取ろうとすると、落とさず全部取っても、4年生で5コマほど空きが出る程度である。教職課程を取ると、一つも落とさずに取る必要がある、と学生便覧をみて思ったことがある。その後、あっさり留年したので、見てもさほど意味がなかったとは思うが。
授業のあった講義棟、木造2階建て、背景は六甲山系(同窓会HPから)
まさか後に英語の教師になって、高校では英作文の授業を持ち、大学で医学生の英語の授業を担当して医学英語までやって、研究を装って科学研究費を交付され、南アフリカの作家の書いた英語の物語を日本語訳するとは思いもしなかった。
→「日本語訳『まして束ねし縄なれば』」(2021年6月20日)
本が売れないと出版社は持たないので、アフリカのものは普通は出版されない。日本人の一般の意識から考えて、アフリカのものを出版しても売れる見込みが全くない。他にもケニアの作家の評論集とエイズの小説を日本語訳したが、出版されないままだ。一冊を日本語訳するとなると、分量にもよるが、まるまる2年くらいは最低限かかる。教科書と翻訳だけは避けたかったが、流れで断れなかった。
未出版のままの評論
それで改めて、『坪田譲治童話集』の凄さがわかる。よほど英語に自信がないと、その本は選べない。大学で使った教科書の類はほとんど残っていないが、たぶん購入した教科書は『坪田譲治童話集』 (新潮文庫)で、1950年初版の改訂版だったような気がする。
高校の教員は教科書が決められていて、さほど使う資料を大幅に工夫する余地は残されていないが、大学は個人の裁量にまかされている場合が多いので個人差が大きい。しかし実際には、高校の延長のようなことをしている人が多い。人の教科書を学生に買わせて、30分くらいで採点出来る筆記試験をして成績を出している。それが、一番楽だからである。自分の受けてきた授業にそう不満を感じなかった人たちだろう。私は英語だけではないが、教科書をなぞるだけの中高の授業が嫌だったから、自分が嫌だったものを人に強要するのも気が引ける、そんな思いが強かった。高い教科書を平気で指定する人もいるが、資料はできるだけ自分で作って、印刷して配ることが多かった。そのうち、出版社の社長さんから薦められてテキストも4冊出版してもらった。学生に買ってもらったが、そう高くなかったし、自分で書いたものなので、勘弁してもらった。→「ほんやく雑記②「ケープタウン遠景」」
→「編註書And a Threefold Cord 」(2021年7月20日)
『坪田譲治童話集』を選んだ人は、マスコミで大口をたたく人のせいで有名になった大阪の北野高校を出て神戸外大に入り、卒業したあとは北野高校で教員をしたあと神戸外大で教員になったらしい。私が出会った時はアメリカ文学が専門の教授、40十代初めのようだった。私の場合、初めての大学着任が38か9、教授就任が53か4である。文系にしては、かなり早い方だろう。授業でアメリカに留学している頃の話をしてくれたような気もする。当時は1ドルが360円で長いこと動かなかったので、留学も難しかったと思うが、在外研究を利用したと思う。私が利用した頃は、長期で9か月、短期で3か月の経費が出ていたが、その前はもっと期間が長かったらしいので、たぶん一年かもう少し長くアメリカに滞在出来たのではないか。
ニューヨークのマンハッタン遠景
本人の資質にアメリカ滞在、さり気なく童話集を選べるほど英語に自信を持っていたんだと思う。ただ、相手が悪かった。いくら授業を持つ側が素敵で有能でも、授業は一方的にするわけではない。受ける側が問題である。私のように場違いな人は別にしても、半分は似非夜間学生、である。大学紛争でクラス討議が長かったので授業のコマ数は多くなかったが、学生の反応を見て、後期に入るとすぐに、やっぱり無理でしたね、英文法でもやって基礎からやりますか、と『坪田譲治童話集』はあっけなく、終わってしまった。今なら、『坪田譲治童話集』、その人といっしょにやってみたい気がする。その人は胃癌を患い、共通一次試験の監督をしている時に具合が悪くなって、急逝した。高校で私の英語のクラスにいて、当時夜間課程の学生だった人と自宅にお悔やみに行ったが、知らない弔問客は迷惑だっただろうなと反省しきりである。52歳だった。
キャンパス全景(同窓会HPから)
次回は、第2外国語、か。