山頭火の世界①:なんで山頭火?(2021年7月22日)

2021年7月24日つれづれに

つれづれに:なんで山頭火?

前々回のつれづれ(2021年7月20日)で、山頭火については項を改めてと書いた通り、今回は山頭火について。ただし、話が長くなりそうなので、連載の形で他のつれづれの合間に挟んでいこうと思っている。1回目はなんで山頭火?、です。

種田山頭火

4年前の後期の学士力発展科目で「俳人種田山頭火の世界」を担当したが、授業が不消化気味で終わったことと、まとめてみたい気持ちもあって、連載してみるか、となったようである。

妻の本棚のなかにあった春陽堂の「山頭火の本」(14冊、別巻2冊)を見て読み始めたのが山頭火との始まりである。浪人を一年したものの理解して覚える作業に向いてなかったのか、折り合いをつけて家から通える夜間課程に行くことにした。その前に、写真などはすべて焼いたので、結婚をした時に家から持って出たのは、立原正秋の本と当座の衣類だけだった。

教員をしていた高校で記念誌用の原稿を頼まれて書いたもの(→「生きゆけるかしら」)を見ると、よう生きながらえてきたもんやなあという感じがするが、結婚した当初もかなり引きずったままだった。子供が出来て世界が一変した。夜中でも泣き止まない赤ん坊に理屈が通るわけがない。二人とも働いていたから、毎日毎日がいっぱいいっぱいだった。高校は楽しかったが、小説を書きたいという気持ちは強く、書くための空間が要ると感じた。元々貧乏だったので、作家になるまでの貧苦は大丈夫だと思ったが、妻や子供に同じことを強いるのは気が引けた。それで経済的に何とかやれて同時に空間を確保してくれそうな大学を探そうという気持ちになった。

妻は詩人で、詩的な感覚は伝わって来る。僕も一時句が詠めたと感じる時期もあったが、最近はまったく句がでなくなっている。

山頭火を読んだのは、大学の非常勤で大阪に通っていたときの電車の中が多かった。門前払いを食らって博士課程にも入れないし、空間を確保してくれる大学も決まらないし、非常勤のコマも週に16コマと多いし。そんな状況で心身ともにくたくたになっていたのに、なぜか山頭火の本が手放せなかった。その頃は、大学用の業績のために一番英文書を読んだ時期でもある。

次回は、山頭火の生涯①について書こうと思う。