つれづれに:マンデラの釈放(2024年8月24日)
つれづれに:マンデラの釈放
1990年2月11日にマンデラは釈放(↑)された。1964年に終身刑を言い渡された時と同じ法律での無条件の釈放である。つまり、法律を変えるまで待てなかった妥協の産物だったわけである。いろいろ複雑に絡(から)まってこれだと断定するのは難しいが、誰もが今まで稼いで来て築き上げた富、つまり既得権益を手放したくなかったのが原因である。covid19で学生をキャンパスから締め出し、マスクを強要しながら、無観客でも東京オリンピックを開催した構図に似ている。既得権益を最後まで離さなかった。南アフリカでも、既得権益をそのままとは行かないが、出来る限り損なわないための妥協の産物を白人政権とアメリカに主導された西側諸国と東側に支援されていたANCが合意したということである。悔しいが、もちろん日本も含まれている。アメリカの腰巾着とは言え、ticadとかいう何とも怪しいばら撒き政策の片棒を担がされている。ひょっとして、外交の目玉にと自らかって出た?官僚に書類を書き直させるより、後腐れがない。開発(development)と援助(aid)が、アメリカ主導の多国籍企業による資本投資と貿易の現体制の必要経費なのだから、胸を張れる。国会で野党の突き上げを我慢しなくていい。
1940年代にANC青年同盟を率いていた頃のマンデラ
1910年に南アフリカ連邦を創った時と基本構造は同じである。殺し合いをしながら周りを見渡したらアフリカ人ばかりで、お互いに銃を持っているから相手を殲滅(せんめつ)するのも難しいし、このまま共倒れになるよりは、手を結ぼう、アフリカ人を搾取し続けられるならば目もつぶれる、そんな妥協点を見い出した→「オランダ人」と「イギリス人」である。今回は第2次大戦後に世界の構造を変えてまで南アフリカに進出してきたアメリカなどの多国籍企業による投資や貿易も絡んでいるから、ずいぶんと複雑になっていた。
ロンドンのBBCから武力闘争開始を宣言するマンデラ
それに、東西問題も絡んでいた。一番大きかった原因かも知れない。核開発を競っていた米ソが使う→「ウラン」の大半が南部アフリカとソ連で出ていたので、もし当時ソ連とキューバから武器が流れていた隣国ザンビアのルサカに本部を置いていたANCが西側諸国の軍隊の支援を受ける南アフリカ国軍と真っ向から衝突すれば、第2次大戦どころではなかった。核まで使われることになれば、国土は焦土と化し、既得権益は消滅する可能性もある。近くの国、アンゴラやモザンビークやジンバブエまでもが現実に社会主義国家になっているので、南アフリカが東側にまわれば、西側諸国はウランを失いかねない、そんな切羽詰まった事情もあった。
現状に近いまま政権の顔さえアフリカ人に挿(す)げ替えれば、国内も国外も丸く収まる可能性がある。そこでマンデラを担(かつ)ぎ出したというわけである。ビコやソブクエと違って理想主義者ではないので、黒人にも白人にもいい顔が出来る。アメリカ公民権運動のキング牧師の役割に似ている。しかも、出来れは憲法を変えるのが可能な3分の2以下の得票数がいい。そして、マンデラは妻と手をつなぎながら、ケープタウンでその役割を見事に演じきった。得票数まで60パーセント前半という数字まで完璧な演技だった。元々アフリカ人のものだったからアフリカ人だけでやろうというパンアフリカニストの夢も、完全に消えた。ANCが与党になり、アフリカ人が大統領になったが、他のアフリカ諸国と同じように、権益を得たアフリカ人の白人化は早かった。よかったのか、悪かったのか?