つれづれに:オランダ人(2024年7月23日)

つれづれに

つれづれに:オランダ人

オランダ出島跡地:長崎公式観光サイトから

 前回の→「つれづれに:大西洋」で「1980年代に長崎に来た南アフリカの詩人マジシ・クネーネが日本人が出島にオランダ人を閉じ込めていたのは賢明だったと言ったのは侵略された側の本音だろう」と紹介したクネーネ(Mazisi Kunene、1930-)はナタール大学とロンドン大学でズールー詩を研究している。ANCのメンバーとして反アパルトヘイト運動に加わって、アメリカに亡命した。スタンフォード大学などを経て、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の教授になっている。1970年と83年に来日し、『ズールー詩集』(1970)、『偉大なる帝王シャカ』(1979)や『アフリカ創世の神話』(1981)などが日本語訳されている。私が1988年のラ・グーマの記念大会に行った時には招待されていなかった。招待者は北米に亡命中の南アフリカ人だったので、カナダに亡命中だった主催者の友人(↓)とはそりが合わないようだ。日本語の訳者も、私にはできれば避けたい人たちである。1993年に帰国し、ナタール大学の教員になっている。友人は西ケープ大学の学長に、マンデラの公募面接を受けて就任したようである。就任を報じる記事を同封して送ってくれた。2期学長を務めたあちと、アメリカの大学に移った時に手紙をもらったきりである。今はどうしているだろう?私より3歳年上で、マルコムXと同じ年の生まれである。

 オランダ人が南アフリカに来たのは1652年である。当時日本は鎖国をしていたが、オランダとは出島を通して貿易をしていた。ポルトガルと違ってキリスト教の布教活動は行わず、厳格な規則に従ったので江戸幕府はオランダと貿易に応じたというのが学校で教えられる内容だが、日本が当時は有数の武器保有国だったことや、オランダがまだ産業革命前で産業社会ではなく農業中心の社会で武力による侵略の危険性が低かったことなどの視点から語られることはない。

金持ちの意向をで東インド会社がアジアに進出していた。インドや中国までは遠く、途中で水や食料を補給する基地がたくさん必要だった。ケープタウンもその一つである。今のアンゴラの首都ルアンダにポルトガルが基地を作っていたので、そこを避けて少し南アフリカのケープタウン付近に基地を作ったわけである。ケープタウン付近に基地を作ったのは、インド洋に入る前には、喜望峰沖の難所があるという地理上の理由もあったらしい。オランダはアジアではインドネシアとマレーシアを植民地にしている。教養の南アフリカ概論の大きなクラスで、インドネシアとマレーシアの学生がかつてオランダの植民地だったという発表をしてくれたことがある。インドネシアの学生はオランダと日本を植民地時代として並べていた。今、月に一度、ズームでアフリカ系アメリカを題材に英語でのミーティングをやっているが、参加者の一人はジャカルタからの参加である。最近までオランダ人優位の意識がヨーロッパ人にもインドネシア人にもあったような話をしてくれた。作家のアレックス・ラ・グーマについてたくさん書いたが、ラ・グーマの祖母がマレーシア出身だったらしい。身近なところで、過去の痕跡を感じている。

 入植したオランダ人たちの社会は、農業が基幹だった。遠い、未知の世界に進んで渡る人は、何か訳ありな人がほとんどである。借金に追われていたか、犯罪を犯して前科があって社会に馴染めなかったか。メイフラワー号でアメリカに渡った人たちも同じである。生まれたところが居心地よければ、そこを捨ててまでどうなるか未来の予測が難しい遠くの場所には行かない。新天地を題材に書いたナサニェル・ホーソンの『緋文字』(↓)を読んだことがあるが、暗くて滅入りそうだった。アメリカの居留地で最初に作ったのが刑務所だったという記述が印象に残っている。ニュージーランドやオーストラリアでも同じだったような話を聞いた。

 東インド会社の人たちは金持ち層の使いだから一般の人より富裕層が多かった、大多数は社会からあぶれた貧しい農民だった、ケープのオランダ人社会はそんな二つの集団からなっていたわけである。キリスト教のオランダ改革派は、アフリカの土地は神からの授かりもの、アフリカ人は神から授けられた僕(しもべ)、そんな風に考えるようだから、アフリカ人は、謂われなく、その人たちの犠牲になった。18世紀の終わりに、ケープにイギリスが大軍を送ってくるまで、オランダ人は好き勝手をしていたのである。当初自分たちのことをアフリカに根ざした人という意味のAfricanderと呼んだようだが、のちにAfrikanerと呼ばれるようになった。その人たちの使う言葉はAfrikaans(アフリカーンス語)。アパルトヘイト政権を作った人たちはこの人たちの末裔で、アフリカーナーである。