つれづれに:ニュアンス(2024年4月17日)

つれづれに

つれづれに:ニュアンス

宮崎医大講義棟、3階右手厚生福利棟に研究室があった

 医学科に赴任以来、英語の授業を利用させてもらって英語を喋(しゃべ)ることと聞くことにはだいぶ慣れた。元々英語も言葉の一つなので、実際には、話す、聞く、読む、書くという4つの技能を複雑に絡(から)めながら様々な場面で言葉を使う。私自身は好きな人に英語で自分の思いを伝えたいと願って英語を喋ろうと思ったが、自分の思いを伝えるためには、その場その場で、細かいニュアンスも理解したり感じ取ったりする必要がある。たくさん喋って、たくさん聞くにつれて、たくさん読んだことが、意外とニュアンスを理解するのに役立っているのを知った。

 授業では、主にアフリカ、南アフリカ、アフリカ系アメリカの歴史を題材にしたが、授業で話す内容は、ラングストン・ヒューズの『黒人史の栄光』(↑)やリチャード・ライトの『1200万の黒人の声』(↓)、スウェーデンの市民グループが編集した『アフリカの闘い』、マルコムX『マルコムXの歴史』などの、歴史学者以外の書いた本や、アフリカを誰よりも知るイギリス人バズル・デヴィドスンの映像や書物から得たものである。

 元々あまり歴史に関心があるわけではなかったが、作家の書いた小説や物語を理解するためにはその背景の歴史の理解は不可欠だった。言葉も馴染の(なじみ)のないものが多かったが、使ううちに何となく理解するようになった。たとえば植民地(colony)がよく出てくるが、ここ500年余りのヨーロッパのやってきたことを辿(たど)っていると、よくわかる。そこでは、植民地を獲得する行為を植民地化(colonization)という言葉を使っていた。日本は植民地にされた経験がない(Japan has never been colonized)と動詞でも使える。奴隷貿易の蓄積資本で可能になった産業革命後に、ヨーロッパ諸国が原料と市場を求めて争ってアフリカでの植民地獲得に躍起(やっき)になったのを植民地争奪戦(scramble for Africa)という。言葉だけでは、その細かなニュアンスは理解できない。大きな歴史の文脈のなかで、理解できるようだ。

デヴィドスン、ケニアのポコト人の村で

 旅番組でサンフランシスコ(SF)が観光地として有名で、毎年たくさんの人が訪れるのを案内役がEach day sees an invasionと紹介していた。歴史などではinvasionは侵略だが、この場合、外からの観光客、いわゆる最近よく使われるインバウンド(訪日外国人観光客)のSF版である。映像を見ればたくさんの観光客が訪れている様子はわかるが、invasionに外国からの観光客のニュアンスを感じ取れるかどうか、聞き手は聴く力を問われる、教室英語、よくいわれるクラスルーム・イングリッシュでは解決しない。オーストラリア製作の番組で、デイがダァイと聞こえる。

SFの漁夫の波止場、臨床実習に行った6年生から

 NBAの試合も録画して繰り返し聞いて、マイケル・ジョーダンの華麗なプレイを楽しんだが、当然よく使う言い回しも自然に覚えた。解説者の喋り方は結構早いし、観客の声で聞こえない時もある。解説者が二人なら、更にスピードがあがるし、プレイとは関係のない世間話も結構する。ジョーダンがフリースローレーンの上辺りから放ったジャンプショットが試合を決めるブザービーター(buzzer beater)になった場面を、解説役はJordan squared himself at the top of the keyと絶叫していた。まっすぐ上にジャンプして、とフリースローレーンの上辺りからというニュアンスを理解するには、squareとkeyの意味を知る必要がある。90度の位置に(まっすぐに)、昔フリースローレーンが鍵穴の形で線が引かれていた、を知っていないとわからない言葉だろう。

 ジョーダンの出た試合は次の日の英字新聞で読んでいたので、そのニュアンスに気づいたと思う。考えれば当たり前のことだが、言葉である限り、話す、聞く、読む、書くという4つが微妙に絡む。それを、身体(からだ)のどこで捌(さば)くのかは知らないが、理解するのだから、人間の言語能力も大したものである。

 昔届いた分厚い手紙の一節に「・・・闇は光です この眼に見えるものはことごとく まぼろしに 過ぎません 計測制御なる テクニカル・タームをまねて 『意識下通信制御』なるモデルを設定するのは またまた 科学的で困ったものですが 一瞬にして千里萬里を飛ぶ 不可視の原言語のことゆえ ここは西洋風 実体論的モデルを 御許しいただきたい 意識下通信制御を 意識下の感応装置が 自分または他者の意識下から得た情報を 意識下の中央情報処理装置で処理し その結果を利用して 自分または 他者の行動を 制御することと定義するとき 人の行動のほとんどすべては 意識下通信制御によるものだと考えられます」とあったが‥‥。