つれづれに: 諦観(2022年1月15日)

つれづれに

諦観

絹鞘豌豆

寒い日が続いている。絹鞘豌豆の白い花がずいぶんと増えてきた。9月に苗から植えたリーフレタスが辛うじて生き残っているが、自給自足用には量が足りない。希釈した酢を撒いても蒔いても虫の勢いに勝てなかったので諦めかけた頃、葉に勢いがついてきた。撒いてる酢が虫の勢いに追いついた、そんな感じだった。季節の勢いだろう。春もそう遠くない。

去年72になった。干支が6回も巡ったわけだ。一回り下の元生徒から、還暦です、60の大台に乗りましたと去年メールが届いた。出会いの16と28に比べたら、年齢が近くなった気がする。そんなつもりはなかったが、ずいぶんと生き在らえてしまった。

十代の終わりにすべてを諦め、生きても30くらいかとぼんやり思ったのは確かだが、これだけ生き在らえてしまうと「すべてを諦め」、とはとても言えない。今から思えば、信じていた絶対的な存在がわからなくなった、生まれたところが悪かった、入試に合わなかった、などいろいろな言い訳は可能だが、それまで気づかなかった意識下の深層にある自分の意識に気づき始めただけかも知れない。生まれ育った環境や入試制度は引き金に過ぎなかった。ひょっとしたら「諦め」は、世の中に背を向けた気になり、辛うじて自分を守り、生き延びるための無意識の方策だったのかも知れない。大学が決まった時、写真をすべて焼いた。写真を焼く自分をもう一人の自分が外から眺めているような気分だった。そのあと、生活は一変した。

暁け方、海まで走って行く途中の堤防の土手から見える朝日をまぶしく感じ、夕方、2階のトタン屋根に登り、西に沈む夕日を見る時間が多くなった。それまで悔やんで自分を責めることが多かったのに、嘘のように後悔をしなくなった。世間に背を向けたつもりだったのか、ほとんど新聞もテレビも見なくなっていたから、同学年が全員留年した東大闘争も知らなかった。中央で終わっていた残り火が地方の大学で燻っていたらしく、大学の入学式の日に、校舎に通じる階段を上がったところに、角棒にヘルメットの学生が並んでいるのを見かけたが、何だろうとしか思わなかった。→「授業も一巡、本格的に。」(2019/4/15)

意識の深層を知るためには、「諦め」の引き金になった手掛かりを探すしかないようである。次回は、嫌々通った高校について思い出して書いてみたい。

生き残ったリーフレタス