つれづれに:花を描く(2022年8月29日)

2022年8月28日つれづれに

HP→「ノアと三太」にも載せてあります。

つれづれに:花を描く

 花を描くと最初から決めていたわけではない。土曜日の2時間を作り出すのに精いっぱいだった状態から、好きな時間に好きなだけ描けるようになるのだから、「宮崎に」来ると決まってから、何をどういう風に描こうかと悩んでいた。元々体が強くないので、それまで描いていた体力勝負の油絵が自分にあっていないと考えるようになっていた。上の絵(↑)の背景はすでに廃刊になっているある雑誌の最後のページにある写真を見て「これすてきね!」と拝借して描いたもので、明石市の市展に出品した。額縁に入った大きな油絵で、運ぶのも大変だった。宮崎に来てからは、研究室にその油絵を持ち込んで飾り、来てくれる人に見てもらっていた。今は持ち帰って、陽のあたる南向きの明るい居間にでんと座り、カレンダー(↓)にもなっている。

2019年12月(→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2021年)」

 当時神戸の絵画教室に通っていたが、その講師が市展の審査員をしていたらしく「あなたが出展しているのは知りませんでした」と特別審査賞に決まってから言われたそうである。公正に審査をしてもらったのは有難い。粗削りだが、魅力のある絵である。カレンダーにも入れたくなったわけである。絵画教室の講師はとても素敵な絵を描いていて、小磯良平さんとは同世代の画家で、うまく世に出ていればと思える垢ぬけた絵(↓)だった。最後は絵に手をいれないほど腎臓が悪化していたようで、お見舞いにいっしょに行ったことがある。気分がよかったのか、絵に手を入れてもらえたようでひとしきり喜んでいた。恐らく絵に手を入れてもらえた最後だったのではないか。

 どんな絵を描くかを決めるために京都に日本画を見に行った。子供が二人とも小さかったので、ずっと二人で出かける時間が取れないままだったが、久しぶりに西明石から新幹線に乗った。複々線で便利なところだったから普段は京都には新快速や快速を利用していたが、貴重な時間はお金には代えられない。京都に行くと、先ずは錦市場(↓)だった。特に何かの目当てがあるわけではないが、雰囲気が好きで、アーケードの下を歩くだけで十分だった。毎日のように利用していた「魚の棚」より、規模が大きい。いつくかの寺を訪ねて、日本画をたくさん観た。それまであまり気に留めて見たことはなかったが、思っていた以上に精巧なタッチである。「日本画も体力要りそう‥‥」と妻が呟いた。宮崎では水彩で描くことにしたようである。油絵のように上から何度も塗るのと違って、一発勝負だが、体には合っていると思えたんだろう。

 宮崎に来て見ると、神戸や→「明石」の都会に比べて地面が多く、目にする花の種類も格段に違っていた。三月末に来たので、先ず、きんぽうげ(↓)が目に入った。山頭火(→「 なんで山頭火?」、→「山頭火の生涯」)が日記にきんぽうげの句をさくさん詠んでいたので、余計に気になった。山頭火は2度宮崎に来ている。行乞記にある「歩けばきんぽうげ 座ればきんぽうげ」の句は宮崎で詠んだようである。群生しているところをときたま通ると、1930年代に山頭火が行乞しながら歩いた宮崎にはもっとさくさん花が咲いていただろうなと思いを馳せる。今まであまり見かけなかった花だ。もちろん市民の森の花菖蒲も、である。
次は、ほぼ初めての春の花、か。