つれづれに:ヒュー・マセケラ(2024年7月29日)

つれづれに

つれづれに:ヒュー・マセケラ

 南アフリカに最初→「オランダ人」 が来て、その後に→「イギリス人」が来て、土地を奪ってアフリカ人から絞り取ったことを書いた。→「金とダイヤモンド」が発見されてからは両者が殺し合いをして、結局アフリカ人から搾取する1点に妥協点を見出し、国まで創ってしまった。金が出たのは北東部の→「ラント金鉱」で、オランダの領有地だった。ダイヤモンドと金で最大限に利益を上げるために、両者は協力をしてアフリカ人を安価な労働力として鉱山で働かせる→「一大搾取機構」を造り上げた。周辺国も過酷な搾取構造下にあったので、多くの国からも出稼ぎ労働者を集めて、ラント金鉱の中心地ヨハネスブルグは南部一帯の経済圏の中心になった。

 1992年に南アフリカの隣国ジンバブエの首都ハラレに滞在したが、その5年前にハラレの国立競技場で大きな野外コンサートが開かれた。イギリスのポール・サイモンが呼びかけて、亡命中の南アフリカの歌手が一堂に集ったのである。その模様は『グレイスランド』(↑)のタイトルでDVDになっている。グレイスランドはサイモンが好きなエルビス・プレスリーの生家の名称だそうである。アフリカ経験の長い仲良しの医学生が教えてくれて購入して、授業でも観て、聴いてもらった。その中に、周りの国から労働者を乗せてヨハネスブルグに運ぶ石炭列車「スティメラ」(Stimela)という歌をヒュー・マセケラが自らトランペットを吹きながら歌っている映像がある。

スティメラ

アンゴラとモザンビークから来る列車がある
ボツワナとスワジランドと
近隣の南部と中央アフリカから
無理やり集められて契約労働のためにやって来る
列車は若者と年寄りのアフリカ人を運んで来て
ヨハネスブルグの金鉱山と
周辺の大都会の鉱山で、1日に16時間かそれ以上
ほとんど無給で
地球の胎内の奥深く、奥深くで働く
ごちゃ混ぜの食べものを柄つきの鉄製しゃもじで金属皿に盛るとき
臭いがきつくて黴(かび)臭い、穢(きたな)くて虱(しらみ)だらけの
小屋かたこ部屋で座っているとき
若者と年寄りは二度と会えないかも知れない愛しい家族を想う
最後に家族と別れて出て来た所が
すでに強制的に立ち退かされてしまっているか
特段の訳もなく人を襲うくギャングに殺されてしまった可能性もあるからだ‥‥
‥‥若者と年寄りはいつも口穢(ぎたな)く罵(ののし)り、悪態をつく
そして石炭列車に呪(のろい)の言葉を浴びせかける
ヨハネスブルグに自分たちを運んで来た石炭列車に
うぉーっ、うぉーっ!

 「マセケラが腹の奥から絞り出すだみ声が、地中の奥深くから響いて来るアフリカ人の叫び声に聞こえたなあ」というのが私の感想である。

映像はマンデラが釈放された1990年頃から爆発的に南アフリカで感染が広がった主な原因が、オランダ人とイギリス人が創り上げた一大搾取機構の下で働かされる鉱山労働者であるという報告をする欧米制作のドキュメンタリーの一部だった。番組では、会社側は食費と住居費を浮かせるために多人数を収容するたこ部屋(compound)と、男性労働者を目当てに、部屋と会社直営の粗末な売店の途中に待ち構えて売春する女性たちを紹介していた。そこでHIVに感染した男たちが契約切れのあと一時的に帰省して、配偶者に感染させる、そんな悪循環を指摘していた。

コンサートでは、マセケラの元妻ミリアム・マケバが「ソウェト・ブルース」を歌った。1990年に来日して、昭和女子大で歌った曲である。NHKで特集された「赤道音楽14日間」の中にも紹介されていたので、録画して英語や一般教養の授業で観て、聴いてもらった。音楽の分野では、アフリカの女王とタイトルをつけていた記事も多かった。二人とも長い亡命期間の間じゅう、南アフリカの解放を願って歌い続けた。