つれづれに:沈丁花2(2024年2月18日)

つれづれに

つれづれに:沈丁花2

小島けい画

 妻に描いてもらった沈丁花の絵は上の一枚だけである。本の装画やカレンダーの絵にも入っていない。

 10年ほど住んだ→「明石」の家の庭に大きな沈丁花の樹があり、→「宮崎へ」来てから住んだ→「借家に」は樹がなかったのが主な理由である。都会の住宅街と違って近くに大きな公園が二つもあり、周りに野原や田んぼが広がっていた。出版社の人から本の装画(→「装画第1号」、↓)を言われて妻が描き始めたとき、草花に困ることがなかったというのも大きかったと思う。

 最初は油絵を描いていたが、上から繰り返し塗る油絵は体力が要るので「どうしようか?」と二人で京都に絵を見にでかけた。寺の日本画を見て「こっちも体力が要りそう」と感じて、水彩に決めていた。しかし、特に→「花を描く」と決めていたわけではないが、宮崎では→「ほぼ初めての春の花」(→「春の花2」)が多かったし、プリントごっこでカードを作ったり、毎月のカレンダーを描いてもらったりしていたので、自然と花の絵を描くことが多かった。借家に沈丁花があったら、たくさん絵を描いて、カレンダーや本の装画にも使っていただろう。

京都ではいつも立ち寄る錦市場

 夏には→「葛」の花を、秋には→「通草」(小島けいblog)と→「烏瓜」の実を集めた。→「郁子(むべ)」の花を採って来るようになったのは高台の今の家に越して来てからである。春先に紫色の透明感のある郁子の花の群生(↓)を見つけたときは、感動した。蔓(つる)植物なので、電柱の上の方まで登っているのを見つけて電柱に登ったこともある。平和台公園では、池の上に延びている枝を伝って実を採ろうとしたとたんに、下の池に落ちてしまったこともある。どちらも次の年には切られてしまっていた。蔓植物の哀しい宿命だろう。

 妻が絵を描き、私がせっせと花や実を集めて、カレンダーや本の装画が残ることになった。大分の久住高原の画廊(↓)で→「個展」をしている時に頼まれた犬の絵がきっかけで、最近は犬や猫の絵を描くことが多い。個展の場所も大分から東京に移り、世田谷区祖師谷の「ルーマー」→Cafe &Gallery Roomerを会場に使わせてもらっている。一番傍で見ていて「人物画も特徴をとらえてなかなかなんやけどなあ」と実感するが、今のところ需要はない。宣伝していないからでもあるが。最近、家の近くで郁子の実を見つけ、「つれづれに」に→「郁子と通草」を書いた。

 妻のblogも拵えてもらって私が更新しているが、海外の人が毎日blogを見に来てくれているようなので、一部に英語の訳をつけたついでに、花一覧「花の世界」→「The World of Flowers 」を使って、すぐに載せている絵を確認できるようにした。その一覧を作りながら「沈丁花、入ってなかったんや」と、ふと気がついたのである。