つれづれに

つれづれに:トランプ3

 2月に入ってからは、アメリカ関連を突如中止して、日常のこまごましたことを書いた。今回は現アメリカ大統領のトランプ(↓)の話である。→「トランプ2」とその前の4回(→「ソウル」、→「南北戦争のあと:政治篇」、→「経済篇1」、→「経済篇2」)のアメリカ関連の続編でもある。

トランプがなぜ大統領に選ばれたのかが長いあいだ釈然としなかったのに、政党の戦略と金持ち層の動きを考えて、最近なんだかわかるような気がしてきたと前回書いた。視界が開け始めたのは、選挙後半の党の獲得した州を示す青と赤のアメリカ地図の南部一帯が、突如、共和党の赤一色になった時だった。

「南部は共和党やなかったけ?」と一瞬思ったが、そう気に留めなかった。南北戦争を理解するときに、たしか民主党を代弁者にしようと南部寡頭勢力がワシントンに送り込んだ大統領候補が、代々大統領になっていたはずだが‥‥。そんな程度の認識だった。赤狩りのあと、民主党が巻き返して若きケネディが大統領になり、暗殺されたあとも副大統領が一部の共和党議員と協力してまで公民権法成立に尽力したことについては前回書いたが、基本的に公民権以降のアメリカの歴史の流れは考えなかった。

出版社の人にアフリカ関連の記事や本などを次々に言われて、それどころではなかったからである。気が付いたら、退職していた。本1冊訳すだけでも、少なくとも丸々2年もかかる。ケニアの作家の評論を訳すように言われたときは、ケニアの政治事情に加えて、韓国の詩人の書いた反体制の詩に、アフリカ系アメリカの文学までが範囲だった。ケニアと韓国の歴史は初めからしないといけないし、アフリカ系アメリカの文学にしても特定の僅かな作家しか知らなかった。公民権運動のその後までまわらなかったのが正直なところである。

グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』

 英語を使える機会にとリモートを使って4人で集まっているが、そのテーマがアフリカ系アメリカである。それもあって、最近になって公民権運動後についても考えるようになった。それで、政党の戦略についても考え始めたわけである。政治家にとって選挙で選ばれなければただの人だから、どの層を取り込めば自分が当選し、党が政権を担えるかを考えるのは当然である。奴隷制で潤った寡頭勢力の代弁者だった民主党が、元奴隷のアフリカ系アメリカ人のために公民権法を通したのも、選挙に勝つための政治戦略だった。

クリントン夫妻とオバマの大票田は都市部人たち、大卒の医者や弁護士や経営者などが中心の比較的富裕な層だから、トランプはもっと貧しい層、プアホワイトやアフリカ系の票を民主党より多く獲得したということだろう。

その層は肥満率と喫煙率の数値が高い。そんなことを考えている時に、ある新聞記事が目に留まった。その記事を読んで、そうだったんだと腑に落ちた。記事はトランプ支持者の心性に目を向けたもので、トランプ政権の副大統領が16年に出した回顧録『ヒルビリー・エレジー』の邦訳の副題『アメリカの繁栄から取り残された白人たち』がトランプの熱烈な支持者だと指摘していた。入植した白人たちの歴史と米国に住む友人からもらった写真を手掛かりに、ヒルビリー(田舎者)たちの心性を理解しようとする分析は、なかなか説得力があった。

入植者は移動しながら生きていた先住民から広大な土地を奪い、追放と虐殺を繰り返し、19世紀末には先住民をほぼ全滅させた。セトラーコロニアリズムというらしい。道路を造り『文明』を押し付けた白人たちには、自然は脅威だった。そこでは自動車なしには生活できない。石油がなければ生き倒れるしかない。西海岸で富を蓄えた者もいるが、大半は外界の脅威の中で生活を続けた。貧富の格差は拡大し続けているが、富を奪ったのは移民ではない。トランプたち大金持ちだ。再分配政策の目くらましに、敵を作って対立を煽るやり方に乗せられたヒルビリーたちは『米国を再び偉大に』と絶叫するトランプに票を投じた。ヒルビリーの夢と現実、欲望と自尊心が、今の米国を理解する手がかりになる。そんな入植者たちの歴史である。

さらに友人から送られた写真からヒントを得たとも書いていた、サンフランシスコからコロラドまで3日間車で移動したときに撮ったものらしい。

「その間がもう、日本ではあり得ない景色ばかりなのだ。真っ平らな土地に一直線の道路。凹凸があるとすれば岩山。枯れ果てた土地を横断するので、車が故障すれば死がよぎる。そしてカラカラに乾いた何もないところに、突如町が現れる。町と言っても、ガソリンスタンドがあり、ダイナー(食堂)があり、申し訳程度の買い物ができるぐらいの場所だ。米国は国土の半分が誰も住まない地域とされ、人口密度は日本の10分の1だ。この地理的な特徴が人々の心性に何らかの影響を与えていても不思議ではない。

24年の選挙結果を見ると、トランプ支持者が最も多いのは白人の非大卒男性である。このヒルビリーを想像するきっかけが、こうした風景に隠れているかもしれない」

民主党のビル・クリントンと黒人初のオバマに続いて、ヒラリー・クリントンが出馬した時、初の女性大統領誕生になりそうな勢いだった。日本でも、その報道一色だった。しかし、プアホワイトの心をより掴んだ共和党のトランプが勝った。得票数ではトランプよりヒラリーの方が多かったのだから、ある意味、民主党の戦略次第では結果も変わっていた可能性もある。バイデンで政権を奪回したあとの大統領選では、終盤に高齢のバイデンに変わり若き女性候補ハリスが対抗馬として登場したが、トランプが勝った。熱狂的な支持者プアホワイトが、より追い詰められたということだろう。

つれづれに

つれづれに:2月も5日目に

2月:→「ひなちゃんと山茶花」(SM号)

「私の絵画館13」(→「私の絵画館一覧」(2009/11~2017/1, 81編)、→「私の絵画館一覧」、2018/12/29~連載中)

 デスクトップがやられてだいぶ日にちが過ぎた。今はノートパソコンに液晶画面を繋げて使っている。壊れかけのデスクトップと作業用のデスクトップで何とかかんとか画像処理だけは使えていたが、2台とも動かなくなってそれも出来なくなった。大きな画像をブログ用に小さくする作業が出来なくなったのである。カメラの画像はブログに載せるにはかなり大きいので、画像処理する必要がある。また世話になっている人に、リモートでインストールを頼むまで作業が出来そうにない。前の画像を使うしか、方法がなさそうである。ブログ編集用のメディアライブラリーに保存されている分である。

毎年→「水仙」を採って来て、玄関やトイレに飾る。家の庭にも花が咲くが、大抵は外から採ってくる。何か所か採れる場所がある。自転車で大学に通っていた時に見つけた場所や、今の家に越して来てから散歩の途中に見つけた場所などである。今年は、採りにいけないまま季節が終わる。宮崎は花の時機が終わるのが早い。温かいからだろう。

私の絵画館2→「水仙」(No. 18:2010年1月)

 明石に住んでいた時、妻が2人目の産休に入ったとたんに、水仙郷に行こうと言い出した。2月の終わりか、3月の初めだったように思う。こちらとはかなり時差があるわけだ。電車の広告か何かで見つけて、いつか行こうと話していた。水仙は好きな花の一つでもあったし。明石大橋が出来て、もうないと思うが、淡路島の北端岩屋と明石を繋ぐフェリーで出かけた。その時の観光パンフレットの解説である。

「灘黒岩水仙郷(なだくろいわすいせんきょう)は、兵庫県南あわじ市(旧南淡町)灘黒岩に位置するスイセンの群生地である。日本三大群生地の一つ。諭鶴羽山(ゆづるはさん)から紀伊水道に続く斜面約7ヘクタールに、約500万本のニホンズイセンが自生する。」

 産むのは妻が住んでいた→「中朝霧丘」の家から近くの明舞中央病院に通うことにして、その病院で産んだ。一人目の娘がよく熱を出したので、妻をなくして一人で暮らしていた妻の父親の家に3人で転がり込んでいた。水仙郷にはその家から行ったわけである。娘の産休の間に、住んでいた職員住宅の襖に大きな水仙郷の絵を描いた。荒っぽい絵だったが、勢いがあった。引っ越しのときに持って出なかったことが今でも悔やまれる。(→「水仙郷襖絵」

家の近くを走っていた山陽電車

つれづれに

つれづれに:2月も4日目に

2月:→「ひなちゃんと山茶花」(SM号)

「私の絵画館13」(→「私の絵画館一覧」(2009/11~2017/1, 81編)、→「私の絵画館一覧」、2018/12/29~連載中)

一昨日は妻が調子を崩して、大変な一日だった。やっと飲み物と甘酒を口にしたくらいだった。昨日は何とか大好きなトーストを食べた。

僕の方は2時間おきくらいにぴのこにご飯をやり、明け方まで起きていたので、僕の方も睡眠時間が絶対的に不足している。一昨日は畑に出るどころではなかったが、昨日は10分だけ外に出た。水を撒いて、苗ポット4個に土を入れ、小道の整備を少々、それで精いっぱいだった。僕までやられないように、何とか時間を見つけて眠らないと。

水仙とぴのこ(私の絵画館2→「水仙」

 このブログ→blog「ノアと三太」のほかに、妻の絵のブログ小島けいの絵のブログ Forget Me Notも更新している。ノアと三太のホームページ→HP「ノアと三太」を作ってくれた人が妻の絵のために、ブログを作ってくれた。明るくて、見やすい。背景の色もなかなかいい。ホームページをブログに切り替えてくれるだいぶ以前の話である。行く行くは絵の注文や販売に使わせてもらうつもりだったが。

妻が東京での個展から戻って「昨年に続き、何とか東京行きを実現し、皆様と犬ちゃんたちにお会いすることができました。心より、御礼申しあげます。今年は『お~いお茶』の俳句の話も加わり。思わず、皆様の50年前の体験をお話していただいたり、お話もしたり。この上なく、楽しい時間をすごすことができました」に始まる→2025年個展のご報告と御礼/を更新した。

東京都世田谷区「ルーマー」→Cafe & Gallery Roomer

個展でも話が盛り上がった「おーいお茶」の解説は行く前に用意していた。(→2025年「お~いお茶」の俳句の話

今回の応募総数は、184万5983句と最初の解説に書いてあった。伊藤園もかなり気合が入っている、相当予算を計上しているようだ。審査員もそれなりの人に依頼しているに違いない。詩心のわかる人にはわかるということだろう。いっしょに住み始めてから、詩心、絵心が天性のものだと感じるようになった。娘もそうだが、遺伝子情報は何気ない仕草に感じることが多い。僕は絵心とは無縁で、さっと絵を描く2人とは仕様が違うと割り切っている。友人に俳句をやっているのがいるが、胡散臭い。高名な人に師事して、句会などもしたうえ、冊子も作って送ってくる。句は無理やり作るもんやないやろ、身近な二人を見ていると、呟かざるを得ない。悔しがるように、妻の句と解説と副賞の句が印刷されている特製の「おーいお茶」を、人づてに1本贈呈した。

 妻のカレンダー→「私の散歩道~犬・猫・ときどき馬~一覧(2004年~2026年)」も更新して、ブログに載せている。2004年~2007年は私製だが、一枚一枚手描きだ。何気なく捨ててしまっている分もあるが、今となっては貴重な作品だ。その頃を含めると、20年以上になるわけだ。1年だけ紀伊国屋や旭屋の店頭に並んだ。宮崎の店にも売られていた。採算が取れないようで、一年切りになってしまったが。この前2026年のカレンダー更新した。その少し前に→2025年も更新して→2024年→2023 年と繋がった。 

表紙:リリちゃんと百合3号 Cover: Riri chan & Lily flower

つれづれに

つれづれに:2月も3日目に

2月:→「ひなちゃんと山茶花」(SM号)

「私の絵画館13」(→「私の絵画館一覧」(2009/11~2017/1, 81編)、→「私の絵画館一覧」、2018/12/29~連載中)

 昨日は一昨日ほぐしておいた箇所に肥料を入れて、玉葱5本とブロッコリー4本を植え替え、新たに大根の種を蒔いた。室内で蒔く分の苗ポットは用意できなかった。(↑)

右奥がとまとの雨除け

 とまとの支えの竹を埋め込めるように、溜枡の整備の時に出来た穴を埋め(溜枡用の通路を造るために道の部分に真砂土を入れていたので、畑に戻すために土を入れたり)、トマトの雨除けの中全体の土をほぐした。支えの竹を埋め込み、雨除けのビニールシートで覆えば完成である。室内に蒔いた種が苗になるといいが。一昨日回収できなかった瓢箪南瓜の竹柵の横軸の3本は、今日も行けずじまいだった。取れる時間が限られているので、なかなか作業は進まないが、少しでもしないと始まらない、というところである。

昨日は家の南側の小道の整備をした。水捌けがいいように、溜枡まで樋を通そうと思っている(南側の通路には溜枡が2つあるが、一つは砂利に埋まったままなので、復活させようと思っている)。砂利を入れてあるので、それを取り除いて、その下の真砂土を入れて、正方形のコンクリートの小道を造った残りを畑の一部にする予定だ。一番陽当たりがいいから、少しでも土のある場所を確保したいと考えて思いついたものである。昔なら、一気にと言いたいところだが、本当に一つ一つ、韓国語で言えば、ハナシハナシである。ドラマによく出て来るので、大丈夫のケンチャナヨとか名前は何?のイルミボヤ?、ちょっと待ってのチャンカンマンニャンとかは、つい口に出る。チャンカンモーメントプリーズには笑えた。韓国もアメリカが浸透しているようだ。

 今日も陽射しが強くてほんとうに助かる。11時から3時くらいまでが温かい。
昨日は妻が調子を崩して、ぴのこに付き合ったりして、寝たのは明け方だった。ぴのこは夜中中降りたり上がったり出来て満足そうである。その割には、日向ぼっこしながら、構ってくれと大声を出す。どこかでまとめて寝ないとやられると考えて、ふすまを閉めて寝ていたら、これ見よがしに大声で「叫ぶ」。ぴのこの天下である。遅いお昼を何とか食べたので、ひと眠りできるといいが。今日は畑には出られそうにない。

水仙とぴのこ(私の絵画館2→「水仙」

 久しぶりに、甘酒を沸かした。ながいこと造ってないが、鍋2配分の元が冷蔵庫で眠っていたので、米粒をすりつぶして大きな鍋に沸かして、妻に飲んでもらった。何日か前に、家でしたねこに食べ物を置きに行った際に、暗がりの根株につまずいて転んだのが原因である。相当痛かったようで、充分に運動ができないまま普段の生活をしていたら、起きられなくなった。もともと持病があるのに、驚異的な生活ぶりで頭が下がる。薬でやられた胃を調えようとアロエ(↓、妻用に植えて大きくなっている。零下になると枯れてしまうので、覆いをかけている最中である)を飲んで、野菜スープとさらしや茶を飲んだあと、何とか甘酒を飲んだ。普段通りに生活をするのは、やはり大変なことである。