『ナイスピープル』理解8:南アフリカとエイズ

2020年3月5日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の8回目で、南アフリカとエイズです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

南アフリカとエイズ

 前々号の「『ナイスピープル』理解6:アフリカでのエイズの広がり」「モンド通信 No. 14」、2009年9月10日)で紹介しましたが、「エイズは、ザイールやウガンダのような中央アフリカの国々からケニア、ルワンダ、タンザニア、マラウィ、ジンバブエを通る輸送経路を下り始め」、南アフリカでは短期間の間に爆発的に感染が広がりました。最大の原因は、ヨーロッパ人入植者がつくりあげた鉱山などでの短期契約労働です。ホステルやコンパウンドと呼ばれる宿泊施設に暮らす単身の出稼ぎ労働者とその周辺にたむろする売春婦が感染を拡大させました。

南部アフリカの地図

南アフリカに最初に入植したのはオランダ人で、17世紀の半ばのことです。そのあとイギリス人がやって来ました。入植者はアフリカ人から土地を奪って課税し、短期契約の大量のアフリカ人労働者を作り出して、鉱山や農場、工場や白人の家庭でこき使いました。オランダ人とイギリス人は金やダイヤモンドをめぐって争いますが決着はつかず、アフリカ人を搾取するという共通点を見い出して国を作ります。1910年の南アフリカ連邦です。基本は土地政策で、法律を作って奪った土地を「合法的に」自分たちのものしたわけです。経済的に優位なイギリス人と、大半が貧乏な農民のオランダ人による連合政権でした。

キンバリーでのダイヤモンドの採掘(NHK「アフリカシリーズ」、1983年)

第二次世界大戦後、アフリカ人労働者が総人口の僅か15%に過ぎないヨーロッパ人入植者に解放を求めて立ち上がりますが、最終的には人種差別を政治スローガンに掲げるオランダ人中心の政権が誕生します。それがアパルトヘイト政権です。人種によって賃金格差をつけたわけで、目的は大量の短期契約の安価なアフリカ人労働者からの搾取体制を温存することでした。

人種差別をスローガンとする理不尽な政権が何十年も続いたのは、協力者がいたからで、イギリス、アメリカ、西ドイツや日本が主な良きパートナーでした。

その体制も、東側諸国の崩壊や経済制裁、イギリス人主導の経済界の動きやアフリカ人の闘争の激化などで維持するのが難しくなり、アフリカ人の搾取構造は基本的に変えない形でアフリカ人に政権委譲を行ないました。新政権が誕生したのは1994年のことです。

1990年の2月にマンデラが釈放された頃、南アフリカでのHIV感染者は成人のおよそ1%にしか過ぎませんでした。汎アフリカニスト会議の活動家マンドラ・マジョーロさんは当時を思い返して

「まだ、外国の出来事と思われていました。テレビでエイズで死ぬ人の姿を見ても、遠い国の話だとみんな思っていました。人ごとでしたね。」
(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代(3)カクテル療法の登場」)と述べています。

感染を広げたのはヨハネスブルグ近郊の鉱山に働きに来ていた外国人労働者でした。

ヨハネスブルグ近郊の鉱山(NHK「アフリカシリーズ」、1983年)

「スティメラ」と呼ばれる列車(1987年の2月中旬にジンバブエの首都ハラレのサッカー競技場で行われた公演で、1960年から亡命生活を強いられていた南アフリカのトランペット奏者ヒュー・マセケラは「スティメラ」で短期契約の出稼ぎ労働者の悲哀を熱唱し、ポール・サイモンの『グレイスランド:アフリカン・コンサート』の中にも収録されています。)がザンビア、ジンバブエ、アンゴラ、ナミビア、マラウィ、スワジランド、レソト、モザンビークなどの近隣諸国から出稼ぎ労働者を運んで来ました。

『グレイスランド:アフリカン・コンサート』

手がつけられないほどエイズが流行している国から来た人たちで、南アフリカの労働者と共に働き、同じ宿泊施設で暮らしていたのです。鉱山の周りの村には商店があり、金で身を売る女性もいました。HIV予防活動家ゾドーワ・ムザイデュメさんは番組の中で、段ボールの切れ端を持って実際の場面を再現する女性たちを連れて歩きながら、

「鉱山で働く人たちはこの道を通って必要なものを買いに行っていました。女性たちは道の脇の繁みで鉱山労働者を相手に売春をしていたんです。繁みの中に座って宿泊施設から村へ向かう男性を待っていました。このような女性たちはHIVに対して何の知識も持っていませんでした。コンドームも使わずに、次々違う相手と性交渉をしていたんです。」
と解説しています。

ヒュー・マセケラ

南東部のクワズールー・ナタール州ではエイズで死亡する人が現われ始め、鉱山で働く夫や恋人から感染した女性の患者が増えていました。看護師のD・E・ンドワンドゥエさんが

「元々は男性患者の方が多かったのですが、だんだん男性より女性患者の方が多くなりました。その結果、男性用だった病棟を女性用に変更し、スタッフも大勢女性患者の方へ回さなければならなくなりました。」
と当時の状況を語っています。感染者が爆発的に増えて行きますが、政府は何も手を打てませんでした。政権委譲に向けての作業で手一杯で、エイズまで手が回らなかったというのが実情のようです。

ヨハネスブルグ近郊の巨大スラムソウェトのような密集した地域では感染が広がっていました。厳しい現実と向き合うことになったソウェトのバラグワナス病院のグレンダ・グレイ医師は「目の前で爆発的に流行していくのをただ見守るしかありませんでした。子供のエイズ患者が増え、集中治療室が一杯になりました。やがて子供の患者は集中治療室には入れないという決定が下されました。その子たちは末期患者だからです。もっと助かる見込みのある子供のためにベッドを空けておく必要がありました。エイズが新たな人種隔離政策を生んだかのようでした。エイズの病状による差別が始まったのです。医師も看護師も無気力でした。何もしない政府への怒りもありました。」と当時を振り返っています。

NHKスペシャル「アフリカ21世紀 隔離された人々 引き裂かれた大地 ~南ア・ジンバブエ」(2002年2月20日)では、

「この国を直撃しているエイズは、アパルトヘイトと深い関係があると言われます。現在、エイズ感染者は500万人、6人に1人、ここソウェトでは3人に1人が感染しています。アパルトヘイト時代、鉱山で隔離され、働かされていた単身者が、先ず、売買春によって感染し、自由になった今、パートナーに感染を広げているのです。」
と報告されています。

番組では、月に1度、国立病院に薬をもらいにくる末期のエイズ患者が紹介されていますが、その女性患者が手にしたのはエイズ治療薬ではなく、抗生剤とビタミン剤だけでした。ウィルスの増殖を防ぐ抗HIV薬は1人当たり100万円で、その年の末に、南アフリカは欧米の製薬会社と交渉して10分の1の価格で輸入出来るようにはなりましたが、薬の費用を政府が負担する国立病院では、感染者があまりにも多すぎて薬代を政府が賄うことが出来なかったからです。感染者すべてに薬を配るとすれば、年間6000億円が必要で、国家予算の3分の1を当てなければなりませんでした。

抗HIV製剤

次回は南アフリカでの「エイズ治療薬と欧米の製薬会社」について書きたいと思います。

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執筆年

  2009年11月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No.16
  

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(8)南アフリカとエイズ