続モンド通信31(2021/6/20)

2021年6月27日続モンド通信・モンド通信

続モンド通信31(2021/6/20)

私の絵画館:子猫と山桃(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑩:運がいいとか悪いとか・・・(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜27:日本語訳『まして束ねし縄なれば』(玉田吉行)

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1 私の絵画館:子猫と山桃(小島けい)

6月は山桃が実のる季節です。赤くてかわいいその実には、やはりかわいい子猫が似合いますが。

絵① <子猫と山桃>

絵② カレンダー「私の散歩道2021~犬・猫ときどき馬~」6月

以前、馬たちとも一緒に描きました。白馬のお母さん、チェックと、生まれて間もないスカイです。

その絵で、2008年の個展案内を作りました。

絵④ 2008年個展用ポスター<山桃と馬(チェックとスカイ)>

 九州芸術の杜(大分県)で個展をしている時、その絵をとても気に入って下さった方がおられました。そして購入されました。

その後、私自身も好きだったその絵をもう一度描きたくて、同じ構図で描きましたが。一枚目よりは、背景の紫が明かるい色に仕上がりました。

絵③ <チェックとスカイ>

絵⑤ カレンダー「私の散歩道2017~犬・猫ときどき馬~」7月(山桃の樹の下で)

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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~⑩:運がいいとか悪いとか・・・(小島けい)

 今日(6月20日)は日曜日。ということで、午後のカフェ・オレ・タイムは、やっぱり競馬中継です。
あいかわらず、馬券のことなど何もわからないままですが、馬の姿を見ることができるだけで、よいのです。
私がひそかに応援している騎手の方の成績が、最近は以前ほど良くないので、少し寂しいのですけれど、馬たちは今日も懸命に走ってくれている。それだけで十分です。
そして、もう一つの楽しみは、ある解説者の方にお会いできることです。元名調教師といわれるその方は、頭のハゲぐあい(すみません!)や、面長のお顔、話し方などが、私の知っている人にとてもよく似ているのです。
二つ目の高校でお会いしたその方は、最初の職員会議の時、堂々と管理職と渡りあっていました。前任校では全くいなかったタイプの方で<こんな人もいるのだなあ・・・>と強い印象を受けました。
その後、同じ部署になったこともあり、たくさんお話をして、いろいろ教えていただきました。また、様々なことで、かばったり守ったりもして下さいました。
親しくなるにつれ、私はさだまさしさんの歌詞<運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど そういうことって確かにあると・・・>という一説を思い出しました。
その先生は、京大の法学部に入学した後すぐに戦争となり、戦後はご家庭の事情で復学を断念された、と聞きました。もし復学がかなっていたら、有能な弁護士さんとなり、実力を発揮されていただろうと思います。
また若い頃に奥様が大病され、その介護に何年もご苦労されたとか。亡くなられた後は、一人で幼い娘さんを育てておられました。
そのような事情を知り、私は時々、おかずのおすそ分けをするようになりました。そして、いつのまにか、年末31日のお昼頃からは家で楽しくお酒を飲んでいただき、夕方おせち料理をもって、ほろ酔いかげんで帰っていただくようになりました。
私たちが宮崎への引っこしを決めた時も、最後に家でお酒を召しあがっていただきましたが。帰り際には、<なごり惜しくて・・・>と涙を流されました。
宮崎の遠さを全く理解していなかった私たちは<また、すぐ会えますから・・・>と軽く口にしましたが。先生はその遠さを、距離の遠さが人との遠さに通じることを、すでによくわかっておられたのだと、今になって思います。
そのあとは長い間、バレンタインデーに私から<ウィスキー・ボンボン>を贈り、先生からはお礼の手紙と自作の俳句が送られてきました。
けれど数年前、先生のかわりに妹さんからお手紙が届き、<認知症になりましたので・・・>とありました。
それ以来、どうしておられるのか。とてもよく似た解説者の方のお姿を見ては、思い出す日々となりました。

<馬>といえば、先週牧場に行くとスタッフの方が「子馬が生まれて、ちょうど今、丸馬場に出ていますよ」と教えてくれました。
<カフェちゃん>という白と茶色のお母さんと一緒に、生まれて一週間の子馬がひょこひょこぴょんぴょんという感じのおぼつかない足どりで遊んでいました。
その愛らしさに感動しすぎた私は、いつもは必ずつけるサングラスをかけ忘れたり、乗馬では使わないつば広帽子を脱ぎ忘れたりしたまま、その日の乗馬を始めてしまいました。それほど子馬に心を奪われていたのか!と、後で我ながらあきれてしまいました。

牧場ではこれまでも、何頭もの子馬が生まれました。

子馬① <スカイ>

カレンダー「私の散歩道2018~犬・猫ときどき馬~」2月

子馬② <リープ>

カレンダー「私の散歩道2017~犬・猫ときどき馬~」2月

子馬③ <ひなちゃんと山茶花>


カレンダー「私の散歩道2017~犬・猫ときどき馬~」2月


子馬④ <ベティと水仙>

カレンダー「私の散歩道2014~犬・猫ときどき馬~」1月

子馬⑤ <ジャスミンとコスモス>

カレンダー「私の散歩道2021~犬・猫ときどき馬~」10月

 名前もまだついていないこの子が、6枚目となります。今から絵を描くのが楽しみです。

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜27:日本語訳『まして束ねし縄なれば』

 ある日、出版社の社長さんから電話があり、アレックス・ラ・グーマのAnd a Threefold Cordの日本語訳を薦めて下さいました。宮崎医科大学で授業を始めて暫くした頃だったと思います。授業用の英文註釈書A Walk in the Night(1989年)とAnd a Threefold Cord (1991年)をすでに出してもらっていましたので、その流れだったと思いますが、その時は思いが及びませんでした。

And a Threefold Cordの表紙

学生として授業を受けている時は、テキストと翻訳にはかかわりたくないなと感じていましたが、気がついたらテキストを作り、日本語訳を出していた、そんな感じです。

しかし、出版事情はかなり厳しく、自分で出せば200~300万は必要だと言われました。僕は出たものを学生に買ってもらえばいいと言われましたが、実際は出すまでも出たあともなかなか大変でした。当時の授業は100分で通年30コマが基本でしたから、テキストは年に一度、医学科の場合、一学年100人ですから、そうたくさんは捌(さば)けません。しかし、非常勤でも何コマか行っていましたので、全部合わせるとそれなりの数が捌(さば)けたと思います。それに、仮説を立てての論証文という課題の参考図書にして、同じ出版社の他の人の本も買ってもらいました。書いた人は新聞記者や大学の教員が大半でしたが、自分で売る人はいませんでしたから。よく考えたら、元々構造的にもアフリカ関係のものが売れるはずはありません。大体、小中高でほとんどアフリカは扱いませんし、「アフリカ文学?」というのが実情です。英米文学にかかわる人は多くても、アフリカ文学の学部も大学院もありませんし、先進国は第3世界から搾り取りながら、アフリカを助けてやっていると勘違いしている人が大半なのですから。せいぜい、僕のように英語の分野で大学の教員になってからたまたまアフリカ文学をやり始めた、くらいしかないわけです。

ラ・グーマを読むようになった経緯については→「MLA(Modern Language Association of America)」続モンド通信15、2020年2月)、テキストについては→「A Walk in the Night」続モンド通信30、2021年4月)に、作品については→「『三根の縄』 南アフリカの人々①」(『三根の縄』はのちに『まして束ねし縄なれば』と改題)、「ゴンドワナ」16号14-20頁、1990年8月)と→「『三根の縄』 南アフリカの人々②」「ゴンドワナ」17号6-19頁、1990年9月)に書いていますので、ここでは①タイトル、②表紙絵、③日本語訳について少し触れておこうと思います。

① タイトル

ラ・グーマは聖書の伝道之書第4章9節~12節(ECCLESIASTES IV: 9–12)を本文の前にエピグラフとして載せ、その中の一部And a threefold cordをタイトルに使いました。ダビデの子、イスラエルの王である伝道者が世の中の抑圧について語る第4章は「ここに我身をめぐらして、目の下に行われる諸々の虐げを視たり。ああ虐げらるる者の涙流る、これを慰むる者あらざるなり。また、虐ぐる者の手には権力あり。彼等はこれを慰むる者あらざるなり……」で始まります。おそらく、ラ・グーマの目には、この1節が南アフリカの現実の姿と重なったのでしょう。独りでいることの辛さについて伝道者が触れたあと、エピグラフに用いられた4節は「二人は一人にまさる。其はその骨おりのために善き報いを得ればなり。/即ち、その倒る時には、ひとりの人そのともを助け起こすべし。然れど、ひとりにして倒る者はあわれなるかな、これを助け起こす者なきなり。/又、二人とも寝ぬれば温かなり、一人ならばいかで温かならんや。/人もしその一人を攻め撃たば、二人してこれにあたるべし、三根の縄はた易く切れざるなり。」(Two are better than one; because they have a good reward for their labour. / For if they fall, the one will lift up his fellow: but woe to him that is alone when he falleth; for he hath not another to help him up. / Again, if two lie together, then they have: heat, but how can one be warm alone? / And if one prevail against him, two shall withstand him; and a threefold cord is not quickly broken.)と続きます。

作品論を書いたときはその日本語訳の『三根の縄』をタイトルに使いましたが、編集者の方が『まして束ねし縄なれば』を考えて下さいました。その時は「うまいこと思いつくもんやなあ!」と感心しただけでしたが、本となって送られてきたときには、改めてそのタイトルでよかったなあとしみじみ思いました。今もその思いは変わりません。

② 表紙絵

日本語訳の作業をしているときに社長さんから電話があり、妻に表紙絵を依頼して下さいました。元々絵が好きで、働きながら神戸の伊川寛さんの絵画教室に通って油絵を描いていました。教室の人たちが年に一度神戸元町のたじま画廊で開くグループ展にも出品させてもらっていました。伊川さんは小磯良平と同じ世代の画伯で、なかなか洒落(しゃれ)た絵を描いておられました。宮崎に来る前は二人の子供と仕事でいっぱいいっぱいの生活でしたので、週に一度土曜日の午後に二時間ほど教室の時間を絞り出すのがやっとでした。ずっと描きたい思いを抱えたまま慌ただしく毎日を過ごしていました。何とか大学が決まったとき、僕と交代して仕事をやめ、絵を描く時間が出来ると大喜びでした。宮崎に来てからは毎日楽しそうに絵を描き始めました。元々体力がないので油絵はきつく、水彩とパステル主体で最初は花を描き、近くにある公園の菖蒲園に毎日通い詰めていました。水仙や椿、桜やポピー、薊(あざみ)や菫(すみれ)、イリスや牡丹(ぼたん)、捩(ねじ)花(ばな)や紫陽花(あじさい)、秋(こす)桜(もす)や木(あけ)通(び)、白い一重の山茶花(さざんか)や木立ちダリヤなど、花や実を調達するのは僕の役目で、描いた絵は当時流行っていたプリントゴッコでカードにしました。それを出版社にも送っていたので、声をかけて下さったのでしょう。

やっと衛星放送(BS)が始まった頃で、そのアンゴラのニュースの場面にお気に入りの犬を加えて、30分ほどでちゃっちゃっと水彩で殴り描きをして表紙絵の元が出来上がりました。注文をもらって描く今の絵はもっと時間をかけて丁寧に仕上げるようになりましたが、ほんとちゃっちゃっという感じです。しかし、変に気を遣わない分、勢いがあるのです。その絵を表と裏に重なるように分けて使って本が出来ました。↓

表紙絵(表)

表紙絵(裏)

元の絵

カレンダー(2020年8月)に入れた絵

その後次々と表紙絵を描かせて下さり、56冊にもなりました。出版された本の一覧です。僕が雑誌に書かせてもらって世界が広がったように、妻も表紙絵の機会をもらって色も絵も幅が広がって行きました。二人とも、違う形で育ててもらいました。→「本の装画・挿画一覧」(門土社)

乗馬に通っている宮崎の牧場に来られていた大分の牧場主から誘ってもらって5年間(2008年~2012年)大分県飯田高原→九州芸術の杜のギャラリー夢での個展に恵まれ、2013年からは世田谷区祖師谷の「ルーマー」→Cafe & Gallery Roomerで個展を続けています。去年はコロナ騒動で個展が叶いませんでしたが、今年は会場に行けない場合はZoomを使ってでも何とか開催したいと考えています。個展の詳細は→ 「個展詳細」、今まで描いたものはブログ→「小島けいの絵のブログ Forget Me Not」で紹介しています。

③ 日本語訳

翻訳は結構大変でした。理由はいろいろありますが、初めてだったこと、イギリス英語だったこと、それに物語で一文一文が極めて長かったことなどです。結局本文の日本語訳だけで一年半ほどかかりました。ワープロを使い始めた頃で、原稿をフロッピーで郵送したあと暫くしてから、社長夫妻と編集者のかたが手を入れて下さった印刷原稿が送られてきました。1割ほどは、読者のためにこの表現でどうでしょうかという付箋がたくさんついていました。翻訳した時のこぼれ話のようなものを少し書いています。→「ほんやく雑記④『 ケープタウン第6区 』」「モンド通信 No. 94」、2016年6月19日)、→「ほんやく雑記③『 ソウェトをめぐって 』」「モンド通信 No. 93」、2016年4月26日)、→「ほんやく雑記②「ケープタウン遠景」」「モンド通信 No. 92」、2016年4月3日)

終わった時ももう翻訳にはかかわりたくないと思いましたが、その後、グギ・ワ・ジオオンゴの『作家、その政治との関わり』(Writers in Politics)とワグムンダ・ゲテリアの『ナイス・ピープル』(Nice People)の2冊の日本語訳を言われて断れず、やっぱり一年半ずつかかって仕上げました。それぞれ200~300万かかると言われたまま出ていません。『ナイス・ピープル』はいつか本を出せるかも知れませんが、取り敢えずメールマガジンに分けて連載しませんかと言われました。→「日本語訳『ナイス・ピープル』一覧」(2008年12月~2011年6月まで「モンド通信 」に連載。)その解説→「『ナイス・ピープル』を理解するために」一覧」(2009年4月~2012年7月まで「モンド通信 」に連載。)その作品論→「医学生とエイズ:ケニアの小説『ナイス・ピープル』」(「ESPの研究と実践」第3号5-17頁、2002年)

『ナイス・ピープル』のタイトルは工夫しないといけませんねとおっしゃっていた社長さんも、『まして束ねし縄なれば』を考えて下さった編集者の方もお亡くなりになり、お会いすることはもう叶いません。

『ナイス・ピープル』の表紙

『作家、その政治との関わり』はケニアの政治状況だけでなく、韓国の民主化運動で死刑を宣告された詩人金芝河とアフリカ系アメリカの抑圧された歴史も含まれていたため、ケニアと韓国の歴史を丸々最初から、アフリカ系アメリカの歴史は再度辿る必要がありました。もちろんずいぶんと視野は広がりましたが、大学での仕事も格段に増え、その上出版できるかどうかも定かでない状況での作業はきつかったなあ、という感覚が残っています。あの時だったからこそ出来たのだと思いますが、今後も出版されることは、まずないでしょう。折角でしたので、独立時から新植民地体制に移行するケニアの状況についてはまとめて、英文で書きました。→“Ngugi wa Thiong’o, the writer in politics: his language choice and legacy”「言語表現研究」19号12-21頁、2003年。

「翻訳にはかかわりたくないな」と感じた学生の頃の思いは今も変わりません。

『作家、その政治との関わり』の表紙