アフリカとその末裔た 2 (1) 戦後再構築された制度⑥コンゴ危機
アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度⑥コンゴ危機
『アフリカとその末裔たち2』
ガーナが独立したとき、英国は独立の過程を妨害し、その後軍事政権を立てましたが、コンゴの場合も基本的には同じでした。
ルムンバが1960年に組閣したとき、最大の問題は国を実質的にどう掌握するかでした。国土は広く土地も肥沃で水にも恵まれ、鉱物資源も豊富です。電力事業に必要な銅の埋蔵量は世界でも有数で、その資源の活用は新政府の死活問題でした。当然大国が見逃すはずもありません。旧宗主国ベルギーの独立の過程の妨害は極めて悪意に満ちて、あからさまでした。政権をコンゴ人の手に引き継ぐのに、わずか6ヵ月足らずの準備期間しか置かず、ベルギー人官吏8000人を総引き上げしました。コンゴ人には行政の経験者もほとんどなく、36閣僚のうち大学卒業者は3人だけでした。独立後一週間もせずに国内は大混乱、そこにベルギーが軍事介入してコンゴはたちまち大国の内政干渉の餌食となりました。
パトリス・ルムンバ(小島けい画)
当時国連大使を勤めていたカンザは当時の状況を「アフリカシリーズ」(NHK、1983年)の中で次のように語っています。
「私は27歳で国連大使となりました。閣僚36人中大学卒業者が私を入れて3人でした。
大国がコンゴに経済利権を確立するにはルムンバが邪魔でした。私は国連でコンゴ危機を予知しました。すぐに国連軍の軍事介入が始まりました。もともと国連軍は主に欧米から資金を得ており、結局コンゴは国際植民地と化したのです。」
危機を察知したルムンバが国連軍の出動を要請したのですが、ルムンバはアメリカの援助でクーデターを起こした政府軍のモブツ大佐に捕えられ、国連軍の見守るなか、利権目当てに外国が支援するカタンガ州に送られて、惨殺されてしまいました。
モブツ・セセ・セコ
このコンゴ動乱は国連の汚点と言われますが、国連はもともと新植民地支配を維持するために作られた組織ですから、当然の結果だったかも知れません。当時米国大統領アイゼンハワーは、CIA(中央情報局)にルムンバの暗殺命令を出したと言われます。
独立は勝ち取っても、経済力を完全に握られては正常な国政が行なえるはずもありません。名前こそ変わったものの、搾取構造は植民地時代と余り変わらず、「先進国」産業の原材料の供給地としての役割を担わされているのです。しかも、原材料の価格を決めるのは輸出先の「先進国」で、高い関税をかけられるので加工して輸出することも出来ず、結局は原材料のまま売るしかないのが現状です。こうして、コンゴでも新植民地体制が始まりました。(宮崎大学医学部教員)