あぢさい、かげに浜木綿咲いた

2019年10月29日1976~89年の執筆物随想

概要

英米文学の同人誌に寄せた随想です。

本文

8月半ばに、カナダのセイント・キャサリンズというところに行く。セスゥル・エイブラハムズという人に会うためだ。南アフリカの人で、6月までビショップ大学におられたが、7月からブロック大学という所に移られた、くらいしかその人については知らない。今年に入って、南アフリカのアレックス・ラ・グーマという人のものを読み始めていたら、ある日、ミシシッピの本屋のリチャードさんが、『アレックス・ラ・グーマ』という新刊書を送ってくれた。その著者がエイブラハムズさんだった。

だいたい、やり出すと止まらない方だから、日本でやってる人もあまりないし、資料もなかなかすぐには手に入らないし、ということで、会って下さいと手紙を書いたら、どうぞ、ということになったのだ。北アメリカに着いてから電話することになっている。

リチャード・ライトの場合もそうだった。ライトはミシシッピに生まれて、メンフィス、シカゴ、ニューヨーク、パリと移り住んだそうだから、とりあえず、今回はパリを除いて反対にずっーと辿ってやろう、と思って出かけたのだが、シカゴと二ユーヨークで本を買いすぎて、セント・ルイスあたりで金がなくなってしまった。そのときは結局、南部へは行けずじまい。はじめての外国行きだった。

85年の春先に、一通の手紙が舞い込んだ。秋にミシシッピで、ライトの死後25周年を記念する国際シンポジウムがあるというのだ。パンフレットの豪華な顔ぶれを見て、すごいなあと思ったが、まさか自分が行くとは考えなかった。

アメリカ語なんかやらないぞ、と思っていた人間が、国際シンポジウム会場の一番まん前で、英語を聞いている。まったくおかしな話だ。

会場ミシシッピ大のキャンパスで、マーガレット・ウォーカーがひとりなのを幸いに、サインをたのんだ。自分のためなら舌をかんでも頼まないが、なんて考えたのがいけなかった。断られた。マーガレット・ウォーカーなんか大キライ。『ジュビリー』も読んでやらない。あのときは、まだ出ていない本の出版記念会などやってたけど、前払いで2冊分注文した『リチャード・ライトの鬼才』、送られて来ないよ。ウォーカーさん、一体どうなってんの。

ライトのことで知り合った人から、アメリカの学会で発表してみませんか?

この先、一体どうなって行くんでしょう。

小説を書く、と10代のはじめから漠然と考えていたが、10代の後半にわづらった「挫折病」のおかげで、その思いは募っていった。はや20年、その思いはいまだ渝っていないらしい。がんばろっと。

あぢさい、かげに浜木綿咲いた     我鬼子

執筆年

1987年

収録・公開

「英米文学手帖」 24号 123-124ペイジ

ダウンロード

あぢさい、かげに浜木綿咲いた(23KB)