『ナイスピープル』─エイズ患者が出始めた頃のケニア物語(11)第12章 初めてのX線機器

2020年3月9日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の11回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

(11)第12章 初めてのX線機器

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第12章 初めてのX線機器

 3人の男性が3つの小型の木箱をリバーロード診療所に運び込んで来たのは、普段と変わらない冷えた7月の朝のことでした。

「ワウェル・ギチンガ先生に頼まれて配達に来ました。」と配達人の1人が、患者用の待合室に木箱を置きながら言いました。木箱はかなり重そうでしたが、中身が何なのかは特に聞きませんでした。

そのあと当日の午後に、ギチンガ医師から電話があって、荷物が配達されて来たかと聞いてきました。やっと何とかX線機器が購入出来たよ、とギチンガ医師が言ったのはその時でした。これで収益があがるのはもちろん、仕事がずっとやり易くなると思って、私はひどく有頂天になっていました。しかし、ギチンガ医師は、融資を受けた銀行に機器の設置場所を知られたくないので、この新しい機材を導入したことについては他に洩らしてはいけないよと言いました。かなり怪しい説明だと思いましたが、その時は特に気にも留めませんでした。分かっていたのは、そのX線機材を診療所の専用機器として使えるということだけでした。

私の初めてのX線患者は、診療所に折れた鼻を診てもらいに来たジェーン・アチエングという35歳の大柄なルオ人女性でした。

「あの男は動物です。野蛮なことは嫌だと断ったから殴られるなんて信じられますか?」とアチエングはすすり泣きを始めました。

私はアチエングをなだめ、顎と鼻のX線写真を撮りました。それから、殴られたために結膜炎を起こしたと思われる左眼の治療をしました。よほどひどく殴られたに違いありません。アチエングは自分と退役陸軍少将との悲しい話を詳しく話し始めました。

コンボ元少将がとても親切で、出身地に関わり無く、特に女性に清掃の仕事を世話をしてくれるとアチエングは前から聞かされていました。役場の事務所に訪ねて行って面接を受けるだけで、仕事がもらえるということでした。他のナイロビの雇い主のように賄賂を受け取ることもなく、用事をたくさん言いつけることもない、となかなかの評判でした。草刈りが出来るか、1日に最低3キロを歩くだけの体力があるか、しっかりした母親であるかをテストするだけだというのです。コンボ元少将はかなりの大金持ちでした。それもかなりの。

アチエングはその日曜の朝、一階にあるコンボ元少将の仕事場を訪ねました。知り合いのグレイディスはアチエングに道案内をしたあと、別れてアンバサダーホテルの近所の職場に行きました。アチエングが座って元少将を待っていた隣りの部屋を60歳くらいの男性が密かにドア越しに見ていました。

ナイロビ市街

その男性はアチエングに設備の整った執務室に入って来るように手招きしました。市の最高責任者の部屋だったようです。半円形の執務用机の中央に座って、アチエングに年齢、出身地、現在の職業、配偶者の有無、子どもの数、滞在年数、住んでいる地区などの詳細を尋ねました。すべての質問にアチエングは一つ一つ丁寧に答えました。ルオ出身で35歳、現在は無職、第3夫人で子どもが二人いて、この5年間はジワニに住んでいます、と。

「あんたはこの5年間、何をしていたんかね?」と、元少将が横柄な命令口調で聞いたため、ジャネット・アチエングは固まってしまいました。

「あのう、たまに魚を売ったりしてましたが・・・」

「他には何を?さあ、部屋の中を歩き回れ!」と、元少将は命令しました。アチエングは歩き出し、ケールの葉と牛肉の煮込みを売ることもありましたけど、大体は主婦をしてました、と口ごもりながら答えました。

「止まれ!」と元少将は怒鳴りました。

「そら、服を脱ぐんだ!」と吠えるように大声で命令しましたので、アチエングはますます縮み上がってしまいました。子どもの頃、人前で服を脱いで湖で泳ぎ、魚釣りもしていましたので、服を脱ぐこと自体は大したことではありませんでした。しかし、元少将の部屋でそんな事をするとは思いもしませんでしたし、グレイディスからも何もこの件については聞いていませんでした。ただ、この偏った金持ちの老人に、体を張って何らかのなお世話をすることがあるかもしれない、ということだけは聞いていました。

アチエングは命令に背こうかとも思いましたが、もう1人の自分が、面接を最後まで見届けるように強く急き立てました。それでベルトを外し、途中で止めるように言ってくれないかと祈りながら、胸のホックを外し始めました。しかし元少将は止めとは言わずに、いやらしい目つきでアチエングを見続けました。服の左袖の部分を掴んでいた左腕が出て、次に同じように右袖の部分をしっかり押さえていた右腕出て両腕が剥き出しになりました。アチエングは、諦めてくれないかと、元少将の顔をまじまじと見つめました。コンボ元少将の目蓋が少し膨れ、唇が僅かに開いているのが分かりました。元少将は一言も喋りませんでした。口元をほんの少し歪めながら、アチエングは服を足元に落とし、一歩前に出ると、狂人と向き合って立ち、次の命令を待ちました。元少将は両手を挙げ、ブラジャーを指差しました。アチエングはブラジャーも取りました。コンボ元少将は、もっと脱ぐのを期待するような目つきでじっと見続けました。いまや、ジャネット・アチエングは素肌に短いペチコートとショーツをつけていただけでした。ペチコートまでは脱いでも、それ以上は脱ぐまいと決めました。

「全部脱ぐんだよ、お母さん。」と元少将は、この常軌を逸した面接を切り抜けられるかな?と言わんばかりに、穏やかに、しかしきっぱりとジャネットに警告しました。

ジャネットはさっさとことを進めて面接を済ませ、出来るだけ早く部屋から出て行こうと決めました。ジャネットがショーツを脱ぐと、元少将はますます気がおかしくなり、部屋の中で行進を始めるよう命令しました。そして、この仕事にはスタミナが必要だと説明しました。裸で2度部屋の中を廻ったあとジャネットは、この老人が何を本当に望んでいるのかに気付きました。

ジャネットが拒んだあと、気違いじみた老人はジャネットの顔を殴りつけ、鼻の骨を折ってしまいました。ジャネットは後で知りましたが、その老人サディストは、自分の目の前で裸の女を歩かせると勃起するという理由で、たくさんの他の面接希望者にも同じようなひどい目に遭わせていました。私はジャネット・アチエングを治療しながらコンボ元少将の件を警察に通報しようという思いに駆られましたが、私の役目は病人を治療することで、強姦未遂を刑事的に起訴するように申し入れることではないと思い留まりました。

HIV

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執筆年

2009年11月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No. 15

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