ジンバブエ滞在記⑳ 演劇クラス
概要
横浜の門土社の「メールマガジン モンド通(MonMonde)」に『ジンバブエ滞在記』を25回連載した20回目の「ジンバブエ滞在記⑳ 演劇クラス」です。
1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 62(2013/7/10)までです。
本文
「演劇クラス」
ツォゾォさんは英語科の学生であるアレックスの先生でもありますが、大学院や就職先の相談にも応じてくれるジンバブエ大学の先輩でもあります。
管理職についてからのツォゾォさんは、前にもまして忙しそうでした。約束の時間に訪ねて行っても、会えない場合がよくありました。運よく部屋でつかまえても、話している間じゅう、ひっきりなしに電話が鳴っていました。インタビューを録音している時などは、何度もテープを止めなければなりませんでした。
忙しい合間にインタビューに応じて下さったツォゾォさん
国内にはツォゾォさんの代わりに映画や映像の講義を担当出来る人がいませんので、管理職に専念するのは当分の間は無理のようです。土曜日や日曜日でも、運動クラブの見周りなどで大学に出てきている日もありました。教育省時代には、独立直後にユーゴスラビアや中国に視察に行ったと言います。ムガベ政権の下で、スポーツ教育をどういった体制で行なうかを、同じ社会主義の国まで視察に出かけたというわけです。「今の体育制度はユーゴスラビアが手本ですよ。」と教えてくれました。
演劇や映画の研究のためにアメリカに留学しましたが、大学院を修了した時点で、アメリカの大学に誘われて、そのまま残るかジンバブエに戻るか、迷いましたとも言います。
映像学の授業でのツォゾォさん
大体の人が自転車も買えないというのに、家一軒分のベンツに乗ったアフリカ人を見かけましたが、一体この国はどうなっているんですかと尋ねましたら、ベンツに乗ってドライヴに行こうとしつこく誘う知り合いもいますよと言っていました。そう言えば、ツォゾォさんは自分の車に乗っています。それまであまり意識はしませんでしたが、ツォゾォさん自身がかなり選ばれた人の一人なのです。
独立を勝ち取ってアフリカ人の大統領や高官が誕生したものの、経済力を完全に旧体制に握られたままの状況は、どこも同じですね、新体制は発足しても政治や経済はままならず、選ばれた少数のアフリカ人が今までの白人の役割を演じるだけ、独立闘争での志とは裏腹に私利私欲に明け暮れる、一般の人の生活は独立前と同じか、かえって悪くなっている、自分たちが手に入れた権力を脅かすものがいれば、国の力で反体制分子として抹殺する、そんな今のジンバブエを見ていると、そっくりそのままケニアの後を追いかけているようですねと言いましたら、全くその通りですよとツォゾォさんが頷きました。
ツォゾォさんの演劇の授業では、人々に選ばれながら私欲に耽るアフリカ人の国会議員を風刺する戯曲を教材に取り上げていました。
アレックスは大学を楽園だと言っていましたが、授業風景も日本の大学とはずいぶんと違います。日本では最近、授業中の私語や居眠りが問題になっていますが、少なくとも私の出た授業では私語や居眠りはありませんでした。選ばなければ誰でもがどこかの大学に入れる日本の事情とは違って、ごく選ばれた人たちだけが集まって来ているだけに学ぶ意欲が違うという側面もありますが、もう少し現実的な事情もあります。大抵の学生には教科書や参考書を充分に買い揃えたり、コピー機を利用したりするだけの経済的な余裕がありません。試験前ともなれば、学生が図書館に殺到して特定の本は借りられなくなってしまうそうです。無事に単位を取るためには、授業中に教師の言う内容をノートに書き取るしかありません。従って、学生側に喋ったり眠ったりする暇などはないのです。質のよくないノートにインクの出方がすこぶる悪いボールペンを使って、学生はうつむいて、ただ黙ってひたすら速記の機械の如く書き移す作業に専念するのです。議論などはありません。
しかし、演劇の授業はやや趣が違いました。歌あり、演技指導ありです。舞台施設のある講堂での講義の前には、準備体操もします。円になって全員が踊りながら、一人を円の真ん中に呼び出して簡単なオリジナルの踊りをさせています。手拍子を取り、歌いながらです。ツォゾォさんも加わって、一緒に楽しそうに踊っていました。発声のための体馴らしでもあります。ゲイリーの踊りもそうでしたが、ショナの人の踊りは全般に動きが穏やかです。もともと、全体に性格の温厚な民族なのかも知れません。
(演劇クラスの授業風景)
例年10月に授業の集大成として街で公演をするらしく、配役や演出の担当を決めて、授業中に何度も劇の読み合わせを行なっていました。ツォゾォさんは、太い大きな声を出し、身振り手振りを交えながら、その場合はこうやるんだよと演技指導に大忙しです。
演題は『誉れ高き国会議員』で、83年にジンバブエ大学を卒業したゴンゾウ・H・ムセンゲジィという若手の作家の英語の作品でした。毎年、受講する学生が話し合ってその年の出し物の脚本を選ぶそうです。独立闘争を支援し、ショナ語による本の出版を根強く続けるマンボプレスから出版されています。「マンボ作家シリーズ英語選集」の第16集に収められた2幕6場の戯曲で、B6版46ページの小品です。
『誉れ高き国会議員』
民衆の代表として田舎の選挙区から国会議員に選出されたにもかかわらず、選挙民を忘れて贅沢三昧の毎日を送るシェイクスピア・プフェンデの話です。
10月4日の公演には是非ヨシも観に来て下さいと学生から招待されていましたが、あいにく私たちはその日にはもうハラレにはいません。何もなければ、パリにいるはずでした。折角の機会でしたが、授業の成果をこの目で確かめられなかったのは、返す返すも心残りです。(宮崎大学医学部教員)
ジャカランダの咲くハラレの街で
執筆年
2013年2月10日
収録・公開
→「ジンバブエ滞在記⑳ 演劇クラス」(No.54 2013年2月10日)