『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(6)第7章 イアン・ブラウン

2020年3月10日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の7回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

(6)第7章 イアン・ブラウン

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第7章 イアン・ブラウン

 イアン・ブラウンは34歳の長身で、躾の厳しい環境で育てられました。祖父は、第2次世界大戦の何年も前に英国のシェフィールドを離れて南アフリカに渡り、現在のスタンダード銀行の原型になる店の1つを経営しました。南アフリカからケニアに来ると、ナイロビ初の銀行業務を行なう施設の1つ南アフリカ・スタンダード銀行を他に先駆けて経営しました。イアンはその銀行の融資部で働いているのです。ケニアの水準からすれば金持ちで、ナイロビのビヴァリー・ヒルズと言われるムサイガに住み、ジャガーを乗り回し、ムサイガや他の高級クラブでゴルフをしました。ナイロビ1番のお気に入りの場所はクラブ1990でした。

ナイロビ市街

クラブ1990は、特殊な意味で、異性をひっかける格好の場所でした。全ての客、鞭打ち、3P、フェラチオ、クンニ、バイブの使用、アナルセックスなどの西洋風の性愛行為を好む人たちも店に惹きつけられました。クラブ1900に集まる男も女も、日本円や米ドル、ドイツマルクや英国ポンドに群がりました。

最初にイアンを惹きつけたのは、メアリ・ンデュクの大きな胸でした。イアンの言うことをメアリが書き留めている間、イアンはいやらしい目つきでメアリを見つめていました。自分に気があるとわかったメアリは、以前よりも胸元の谷間を強調したブラウスを着始めました。自分の胸元から視線を逸らすことが出来ずにイアンの目が前より大きくなるのがメアリには分かりました。イアンは、メアリが自分の言うことを書き留める機会を以前より増やしました。英国男は胸の大きな女に惹かれるんだわ、道理でプレイボーイやペントハウスやメン・オンリーなどの雑誌にこの手の裸の写真が一杯なのね、とメアリは思いました。

2人が会う時には、メアリはイアンについては何も私には喋りませんでした。2人で踊った時です。メアリは大きな胸を私に押し付けてきましたが、間違いなく誘っているサインでした。イバダンでは長い間恋人がいなかったこともあり、私は、この美しいカンバ娘の誘惑に乗りました。メアリは私に番号を手渡しました。シリーナホテルでのデイトを楽しみにしながらその後の何日間かを過ごしました。当日は、私はホワイトキャップを、メアリはマティーニを飲み、19シリングもの大金を払いました。

私は代金を支払いながら、もう少しで、2度とこんなホテルに来るものかと悪態をつきそうになりました。メアリは、プジョー304で私をンデルまで送ってくれました。2人は地元の安宿で一晩を過ごしました。素敵一夜でした。イバダンの安上がりの商売女と寝るのとはまったく違いました。

イバダン市街

2人が会う時には、メアリはイアンについては何も私には喋りませんでした。2人で踊った時です。メアリは大きな胸を私に押し付けてきましたが、間違いなく誘っているサインでした。イバダンでは長い間恋人がいなかったこともあり、私は、この美しいカンバ娘の誘惑に乗りました。メアリは私に番号を手渡しました。シリーナホテルでのデイトを楽しみにしながらその後の何日間かを過ごしました。当日は、私はホワイトキャップを、メアリはマティーニを飲み、19シリングもの大金を払いました。

ホワイトキャップ

私は金を支払いながら、もう少しで2度とこんなホテルに来るものかと悪態をつきそうになりました。メアリはプジョー304で私をンデルまで送ってくれました。私は地元の安宿で一晩を過ごしました。素敵な一夜でした。イバダンの安上がりの商売女と寝るのとはまったく違いました。

メアリと私はその後も会い続けました。そのうち、メアリは愛人のイアンについて事細かく打ち明けるようになりました。

ある日、メアリはうっかりハンドバッグを診療所に忘れていきました。私は興味に駆られて、いつも持ち彼女が持ち歩いているお気に入りのそのバッグを開けてみました。中には、猥褻罪で刑務所送りになり兼ねないような写真が入っていました。1枚は、アナルセックスをしている様子の黒人女性の写真でした。そしてもう一枚は、どうやら白人男性がアフリカ人女性とセックスしているようでした。2枚目の写真は少し異常な写真で、危うく吐くところでした。

ケニア地図

メアリは私が酷く怒っているのに気付きました。私がメアリを殺す可能性もあったほどです。しかし、メアリは、ブラウンの愛人は自分ではなく料理人のオパンドだと言いました。ブラウンにとってメアリの立場というのは、自身の同性愛嗜好を隠すためでした。そのために、メアリに家や車を買い与え、銀行のローンも制限なく使えるようにしました。メアリは、この世で一番大事なのは、あなたジョゼフ・ムングチなのよ、と私に念を押しましたが、私は俄に信じられませんでしたが、それが嘘と分かるまでにそう長くはかかりませんでした。

誰かにメアリの毒牙から救い出してもらう必要がありました。メアリは意志が固く、易々と諦める女性ではありませんでした。愛人を何人も作って大金を吸い上げる女がナイロビには大勢いるのよ、と言って私を納得させようとしました。メアリの同僚には、常に3、4人の企業の重役を恋人に持つ秘書もいましたし、ある友人は、3人の男に同時に出産手当金を工面させました。男たちは皆、自分が父親だと信じていました。自分はそんな類の女ではないわ、とメアリは哀願するような目で私に言いました。

メアリはきちんとした女性で、複数の愛人がいたわけではません。実際にはイアン・ブラウンがメアリと寝ることはありませんでしたが、スタンダード銀行や、ムサイガやシゴナのクラブで、自分が洗練された金持ちの独身青年で、同性愛者ではないと見せかけるためにメアリに金を払っていました。メアリが気の毒に思えました。どんな理由にしろ、ブラウンの人生の中でメアリが担っている役割には賛成出来ませんでしたから。しかしながら、私がこの金持ちの英国男に嫉妬していたのか、それともただ単に同性愛者に対する嫌悪の念を表わしていただけなのかは、当時の私には判断がつきませんでした。

HIV

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執筆年

2009年6月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No. 10

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