アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度②執筆の経緯

2020年2月24日2010年~の執筆物アフリカ,アフリカ系アメリカ

概要

前回から、2冊目の英文書『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』(Africa and its Descendants 2―Neo-colonial Stage―)について書いています。

『アフリカとその末裔たち―新植民地時代』

アフリカについては1冊目で簡単な歴史書きましたので、2冊目では、本の半分を割いて、「第二次世界大戦後に先進国が再構築した搾取制度、開発や援助の名目で繰り広げられている多国籍企業による経済支配とその基本構造」を詳しく書きました。その概略の後半です。

本文

アフリカとその末裔たち2(1)戦後再構築された制度②執筆の経緯

医学科で授業を始めた当初「学生の意識下に働きかける」ために選んだ題材は、中高ではあまり取り上げられないアフロ・アメリカと南アフリカの歴史や文学や音楽でした。それらは「自分がきちんと向き合って考えてきたこと」でもありましたし、一般教養の時間に考える材料として相応しいと考えたからでした。
リチャード・ライトの作品を理解するために辿ったアフロ・アメリカの歴史は、公教育の場で教えられる歴史、勝者の側からの歴史とは違っていました。詩人ラングストン・ヒューズが「黒人史の栄光」(1958年)で書いたように

「何千ものアフリカ人が無理やりアメリカに連れて来られて綿や米、とうもろこしや小麦の栽培をやらされ、道路を造り森を切り開き、初期のアメリカを作ることになるほとんどすべての厳しい仕事をやらされました。」

大学用テキスト「黒人史の栄光」

現代のアメリカの繁栄はそういう人たちの犠牲の上に成り立っていたわけです。アレックス・ラ・グーマの作品を理解するために辿った南アフリカの歴史では、ヨーロッパ人入植者が南部アフリカ一帯に作り上げた一大搾取機構によって絞り取られ続けるアフリカ人の構図が浮かび上がって来ました。日本も白人入植者のよきパートナーで、現代の日本の繁栄はそういった第三世界の犠牲の上に成り立っていたわけです。

1992年にジンバブエの首都ハラレに滞在してからは、アフロ・アメリカと南アフリカに加えて、アフリカ全般の歴史、特に第二次世界大戦後の基本構造について話す時間が増えました。ジンバブエ大学の学生に案内されて行った寮での最初の質問が「日本の街ではニンジャが走ってるの?」でしたし、行く前に「ライオンに気をつけてね」と何度も言われたからで、これではお互いの理解はあり得ないと実感しました。ミシシッピ大でのライトのシンポジウム(1985年)に参加したり、サンフランシスコでの学会(1987年)やカナダでのラ・グーマの記念大会(1988年)で発表したりもしましたが、一番身の回りの人の深層に語りかけられなくてどうする、という思いの方が強くなり、今に至っています。

ジンバブエ大学学生寮ニューホール

日本でもアメリカでも学会での関心は専ら自分の業績にあって、アフリカそのものにはないように感じられましたし、ジンバブエでは加害者側の後ろめたさのせいだったのでしょうか、終始息苦しく感じられて、それ以降何度も機会はあったのですが、なかなか第三世界に出かけて行く気にはなれないまま、歳月が過ぎてしまいました。
(→「リチャード・ライト国際シンポジウムから帰って(ミシシッピ州立大、11/21-23)」、→「セスゥル・エイブラハムズ -アレックス・ラ・グーマの伝記家を訪ねて-」ライトのシンポジウム

アフロ・アメリカの映像題材には、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』を元に作られたテレビドラマ「ルーツ」(1977年)や映画「招かれざる客」(1968年)など、南アフリカに関してはドキュメンタリー「ディンバザ」(日本反アパルトヘイト委員会制作、制作年不詳)、「教室の戦士たち~アパルトヘイトの中の青春」や映画「ガンジー」(1982年)、「遠い夜明け」(1987年)など、アフリカに関しては、英国誌タイムズの元記者で後にたくさんの歴史書を書いた英国人バズル・デヴィドスンが案内役の「アフリカシリーズ」(1983年、NHK)などを使いました。(→「アフリカ史再考②『アフリカシリーズ」』」)、「モンド通信」No.49. 2012年9月10日)(宮崎大学医学部教員)

(写真:「ルーツ」30周年記念DVD表紙)

執筆年

  2014年

収録・公開

  →「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」(「モンド通信」No. 72、2014年11月1日)

ダウンロード・閲覧(作業中)

「アフリカとその末裔たち 2 (1) 戦後再構築された制度①」