アフリカとその末裔たち 2 (3) ②今日的諸問題:ザイールの苦難

2020年2月23日2010年~の執筆物アフリカ,医療

アフリカとその末裔たち 2 (3) ②今日的諸問題:ザイールの苦難

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エボラ特集を報じる南アフリカ週間紙

2013年12月にギニアで発生したエボラ出血熱は西アフリカで猛威をふるって多数の死者を出し、先進諸国は防疫体制の見直しを強いられました。米国では、快復後西アフリカから帰国した患者の目からウィルスが検出されて話題になりました。1995年のエボラ出血熱騒動は、エボラウィルスの脅威を描いた映画「アウトブレイク」や著書「ホットゾーン」の影響もあり、ベルリンの壁崩壊、アパルトヘイトの廃止、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災などの出来事と相まって、世紀末の大きな話題となりました。同時に、60年代のコンゴ騒乱に乗じて米国の梃子入れで政権に就いたモブツが30年後にまた大きく取り上げられることになりました。そして、2年後の1997年5月に、モブツは首都のキンシャサを追われ、モロッコへ逃亡して前立腺癌で死にました。

リチャード・プレストン『ホットゾーン』

カビラとカビラを支持する東部を中心とした反体制勢力は7ヶ月の内戦における勝利を宣言しました。勝利は、腐敗や経済不況にうんざりしていたザイール人に歓迎され、国際的にも受け入れられました。カビラはザイールをコンゴ民主主義共和国と改名し、国の首長として指揮をとり始め、1999年4月に選挙を実施し、排除したモブツの負の遺産を葬り去ることを約束しました。

ローラン・カビラ

カビラは国際的に認められましたが、その弱い政治基盤のために指導力に問題がある上、将来に対する戦略を持っていないのではないかと考える批評家もいました。欧米諸国、特にモブツの後ろ盾となって来た米国は、フィリピンのマルコスに求めたように、早期の選挙を強く要求しましたが、タンザニアの元大統領ジュリアス・ニエーレレや英国人歴史家のバズル・デビッドソンは強く反対し、鋭い切り口で欧米諸国の横暴を批判しました。

ジュリアス・ニエーレレ

ニエーレレは「率直に言えば、米国と欧州諸国は少しは恥というものを知るべきでしょう。過去35年間も虎皮の帽子を被った暴君を甘やかし、支え続けた奴らに、数ヶ月以内に選挙をしろとカビラに要求する道義上の資格などありません。奴らがいなければ、モブツはとっくにいなくなっていたでしょうから。と欧米諸国の破廉恥を指摘した上で「カビラに早期選挙を強いるのは非現実的」の中で次のように述べています

この早期選挙の要求は間違っています。民主主義への推移を望むザイールの人々はカビラに無理強いをすべきではありません。国は荒廃し続けており、零から国を再建しなければなりません。つまり、カビラは完全にやり直さなければならないのです。これには、隣国ウガンダのムセンヴェ二大統領が、イディ・アミンが残した壊滅状態から回復するために長い年月を要したように、かなりの時間がかかるでしょう。

もし米国が望むように早急な選挙が行われたなら、財力のある党や、モブツを支持する組織が勝つでしょう。だから、私たちは早期選挙などと言う愚挙は考えない方がいいのです。

もし私たちが援助したいなら、選挙について考える前に、暫定政府と新憲法を含む国の基本的な政治構造を設立していく中でカビラを援助するべきです。

デビッドソンはその時の混乱を、アフリカの問題解決へつながるものとみなしてコンゴの進むべき将来を示唆しました。ベルギーの植民地勢力に奪われた富と自尊心と自己責任と意思決定の力が大惨事をもたらし、1960年のまやかしの独立後も延々と続いた過去の悲惨な歴史を振り返り、過去十数年の間に、このまやかしの独立に対する本当の反対運動が沸き起こるのを見てきたと述べました。それは地方自治と直接的な形態の自治のための中央政府と官僚からの権力移行を求める運動だと見なし、「ザイールの艱難、アフリカ的解決に誘(いざな)う」の中で次のように書きました。

バズル・デビッドソン

カビラはアフリカ人の自尊心にとってという点では本当によい知らせです。奇抜な観方かも知れませんが、その観方は二つの強い見込みに基づいています。一つは、外部の主要な勢力も、また別の騒乱と荒廃を経たのちにこの地域で得られるものがもはや何もないということです。冷戦の残酷な狂乱は過ぎ去り、処置もすべて終わりました。もう一つの見込みは、ザイールと呼ばれるこの国はもはや安全な搾取源として存在していないということです。つまり、ザイールの多くの人々は、ついに自分たちの利益を自分たち自身で管理出来るかもしれないという可能性が見えてきたのです。一世紀前にこの地で始まった無益な歳月は、終わりに近づいているのかもしれないのです。

実際上、ザイールの問題は見かけより厄介でないとわかるかも知れません。それはモブツ独裁制のあまりのひどさ故に、長い間見捨てられた人々が自分たちのことは自分たちでやれる体制が許されてきたからでしょう。もし、カビラが逃げのびている間、地方の人たちが自分たちのことを自分自身でやっていなければ、一体誰が、広大なキブ州の切り盛りをやってきたと言うのでしょうか。

「アフリカとその末裔たち続編」を出した1998年以降も、いろいろありました。カビラは暗殺され、子息が大統領になりましたが、政権基盤は弱く、民族紛争も絶えません。豊かな鉱物資源や肥えた土地や水にも恵まれる広大な国が、多国籍企業による貿易や、開発や援助の名目で行なわれている投資を通して今も先進国に食い物にされ続けている厳しい現状をあぶり出したエボラ出血熱騒動でした。(宮崎大学医学部教員)