続モンド通信24(2020/11/20)

2021年6月6日続モンド通信・モンド通信私の絵画館,続モンド通信,随想

続モンド通信24(2020/11/20)

私の絵画館:トムさんと馬(キャンディ)(小島けい)

2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~③:8月のパリで(小島けい)

3 アングロ・サクソン侵略の系譜22:「 」(玉田吉行)作業中

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1 私の絵画館:トムさんと馬(キャンディ)(小島けい)

トムさんとキャンディ

初めて牧場に行き、オーナーのトムさんに話を聞いたのが、2月19日(金)です。そしてその日から一番早い平日が、2月22日(月)。私の初乗馬の日です。(平日の方がお客さんが少ないと聞いたからです。)

月日は曜日まで妙にはっきり覚えているのに、それが何年だったのか。このところずっとあいまいでしたが、古い乗馬ノートがみつかり、2005年とわかりました。

<諸行無常>といいますが。それは牧場も同じこと。馬にも人にも、様々な変化がありました。

以前は、乗馬に来たおじ様たちの談笑の場であったゲストハウス(木造の小屋?)は、最近では若いスタッフの方たちの休憩所になっています。15年も過ぎたのですから、世代交替もあたり前ですね。

アメリカで修行をしたトムさんは、あまりにも調教が上手い!というので、あちこちから呼ばれ、日本各地を飛び回っておられて。最近では、牧場でお会いする機会も、めっきり減りました。

もともと人の少ない場所では、乗馬人口もさらに少なく、ここ宮崎で牧場を維持し続けることは、至難の技です。(実際に、いくつもの牧場がなくなりました。)

ところが女主人のメグさんは、新しい分野を切り開かれました。軽い障害のある子供たちへの<ホース・セラピー>です。

実施にこぎつけるまでには、様々な準備や手続きで何年もかかったそうですが。今ではすっかり定着し、子供たちの<にじいろホース>の活動が、主になっています。

私なども、放課後目を輝かせてやってくる子供たちの邪魔にならないよう、早めの時間帯に行くようにしています。

いわゆる登校拒否の子供たちも、学校へ行くことはできなくても、牧場には喜んでやってくる。ということで、近々教育委員会の方たちも見学に来るとか。

人はみんな違います。<学校>という場所になじめない子供たちに、このような優しい楽しい空間がある。小さなこの牧場で救われる子供たち・親たちは、これからもっと増えてゆくのだろうと思います。

キャンディは、トムさんがわざわざアメリカへ行き、連れて帰ってきた馬のなかの一頭です。今では左目がほとんど見えなくなりましたが、見えないなりに走ることもでき、元気にすごしています。

キャンディと子馬

この絵のダスティも、その時連れてきたなかの一頭です。

同じポーズのダスティを、背景の色、まわりの風景を変えて3枚描きましたが、トムさんはこの一枚を選ばれました。実家の玄関に飾られている、と以前お聞きしました。

 

ダスティ

そうそうダスティは今年、かわいい<ジャスミン>という子馬を産みました。

ジャスミン

牧場に行くと、お母さんのダスティにまだまだしっかり甘えながら、いたずらをしているジャスミンの姿が見られますよ。

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2 小島けいのエセイ~犬・猫・ときどき馬~③:8月のパリで(小島けい)

 絵本の棚を整理していると、フランス語の絵本が数冊でてきました。一番後ろのページに<’76.8.20>とありました。

はるか昔となった8月のパリが、ぼんやりと思い出されました。

その前の年の11月、母が亡くなりました。暑い夏を、母がいなくなった家ですごしたくはありませんでした。私はその年の8月を、パリですごしました。

ひと月あれば、たくさんの絵を見ることができるだろう、漠然とそう思っていましたが。実際には一日に一つの美術館を訪ねる、それがちょうどいいペースでした。

パリには美術館が多すぎて。一ヶ月の滞在でも、ほんの一部しか回れませんでした。けれど、一つだけ小さな<発見>もありました。

美術の教科書には名作といわれる絵の写真が多数載っています。そのなかには<モネの睡蓮>も、必ず入っていました。ただ、私はずっと、この絵のすばらしさがよくわかりませんでした。(今から思えば、当時の写真の色も、よくなかったのでしょうが。)

「睡蓮」

国立西洋美術館https://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1959-0151.htmlより

どの美術館だったのか。さほど大きくはない美術館に<モネの部屋>がありました。記憶では、低い天井の細長い楕円形の部屋だったと思いますが。その長い壁の片側一面が、一枚の<モネの睡蓮>でした。横の長さは5~6mもあったでしょうか。

部屋のまん中には、背もたれのないソファが一つ。私はそこに座り、長い時間、その絵と向きあっていました。これが本当の<モネの睡蓮>なのか・・・・と。

きっと絵の大きさの力もあったと思うのですが、<モネの睡蓮>は写真とは全く違い、生き生きと息づいていました。限りなく静かな水面を描きながら、この上ない迫力をもって、迫ってきたのでした。

今回のパリの旅は、この一枚と出逢えただけで十分だった、と私は打ちのめされてぼんやりとしている頭の片すみで、思いました。

プティホテルの屋根裏部屋の窓から(1992年11月)

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3 アングロ・サクソン侵略の系譜22:「」

(作業中)

(宮崎大学教員)