ジンバブエ滞在記⑯ 75セントの出会い

2020年2月27日2010年~の執筆物アフリカ,ジンバブエ

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通(MonMonde)」に『ジンバブエ滞在記』を25回連載した16回目の「ジンバブエ滞在⑯ 75の出会い」です。

1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 62(2013/7/10)までです。

本文

75セントの出会い

ジンバブエ大学のツォゾォさんを訪ねた最初の日、部屋では5人の学生が授業を受けていましたが、その中にアレックスがいました。

ムチャデイ・アレックス・ニョタ。ムチャデイ・ニョタがショナの名前で、ミドルネームのアレックスが英語の名前です。どう呼んだらいいですかと尋ねましたら、アレックスがいいですねと言います。最近、親は好んで子供に英語の名前を付ける傾向があります、流行ですよとアレックスが呟きました。そう言えば、ゲイリーの子供たちは3人とも英語の名前です。

アレックスと仲よしになったのは、偶然です。

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教育棟前でアレックスと

アレックスが受けていたツォゾォさんの授業は、映画や映像に関する特殊講義でした。アメリカで学んだ映画学、映像学を、ここ数年来ツォゾォさんが英文科の学部生を対象に講じていたのです。ツォゾォさんは、演劇や映画に大いに関心があるらしく、著書の半数は戯曲です。大学では演劇の講義も行なっていますし、学生や市民を対象に演劇の指導をしたり、毎日放映されているテレビのショナ語によるドラマ番組の企画も担当していると言うことでした。

「売春を仕事にしている人たちを取材して、エイズのビデオ映画も作ったよ、ヨシ。大変だったけど、実際映画に作ってみると、何とも深刻な問題だとしみじみと考えさせられたね。」とも言っていました。

何回か授業も見せてもらいましたが、その時は、ビデオ機器の説明と、実際の使い方が主体でした。英語科が購入していたのは日立製のカラーテレビと、オートフォーカスのナショナル製のビデオカメラでしたが、テレビの映像があまり鮮明ではありませんでしたし、ビデオカメラも大型でしたので、どちらもかなり旧式に違いないと思いました。

ビデオテープでも鍵を掛けて机にしまいこむのですから、ビデオカメラ自体が相当な貴重品です。英文科の学生でなかったら、ビデオカメラを使って撮影する機会など、そう簡単にはないでしょう。

ビデオカメラの使い方を解説するツォゾォさん

2回目の授業の時だったと思います。ツォゾォさんがビデオカメラの簡単な説明をしたあと、学生たちはカメラを抱え、好きな映像を撮るためにキャンパスに出て行きました。学生は1時間ほどして戻って来ましたが、初めての経験なので誰もが興奮気味です。処女作の出来栄えが気になるようで、来週の授業まで待てないので、出来るだけ早く観る機会を設けてほしいと言い出しました。

「来週まで待てないほど観たいのか?」とツォゾォさんが尋ねています。「ウィアダイイングツーシー(死ぬほど観たい)"We’re dying to see."」と学生が口々に答えました。「ウェル、ウィルユーダイオンフライデイ?(じゃあ、金曜日に死ぬのはどうか?)"Well, well, you’re dying on Friday?"」とツォゾォさんが提案しました。英語で言葉遊びをしています。ツォゾォさんも学生もすべてショナ人ですが、授業中にショナ語は一言も聞かれませんでした。すべて英語です。何だか不思議な気もしましたが、日本で英語科の学生が英語を使う日本人教師の授業を受けていると思えばいいのかと考えました。学内ではショナ人同士の会話もほとんどが英語だったように思います。

授業でのアレックス

「ヨシも金曜日に観に来ませんか?」と学生の1人が言っています。仲間に入れてもらっていたのかと私は嬉しくなり、「では、金曜日に。」と承諾の返事をしました。

金曜日は2時にという約束でしたので、早めに出かけて、ツォゾォさんの部屋の前で待っていました。半時間ほど経っても、誰も来ません。ツォゾォさんの部屋も閉まったままです。これがアフリカ時間なんだろうなと諦めかけていたとき、アレックスがムタンデという学生と一緒に姿を現わしました。

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教育棟前でムタンデと

階段の踊り場で、話をしながら3人でしばらく待ってみましたが、結局ツォゾォさんも残りの学生も姿を見せませんでした。仕方なく解散しかけた時に、アレックスが折角ですからキャンパスでも案内しましょうかと言ってくれました。

ここが図書館で、ここが管理棟ですよと言いながら、アレックスは学生会館に案内してくれました。ゲーム機が置いてあったり、小さな売店があったりで、学生の憩いの場となっているようです。会館の入り口で、アイスクリームマンからアイスキャンディを買い、3人は並んで歩きながら食べました。自転車の荷台のアイスボックスは冷蔵する力が弱いせいでしょうか、アイスキャンディは少々柔らか目でしたが。3本で、3ドルほどだったように思います。

アイスクリームマン(小島けい画)

それから、アレックスが住んでいる寮に案内してくれました。最上級の3年生用のニューホールと呼ばれている寮で、12月の初めには、この寮を出て就職先が決まるまで、一時田舎の自宅に帰るようです。机とベッドが備え付けられた狭い部屋ですが、日当たりもよく清潔な感じです。3食付きで、共同のシャワーがあるそうです。

部屋には、本棚にラ・グーマの本や英語の辞書などが少々並べられてあり、ダブルカセット付きのラジオカセットが置いてあります。ゲイリーの生活水準なら到底考えられない光景です。

学生寮「ニューホール」

しばらく喋ったあと、何か飲み物でも買って来ませんかと私が気をきかせたら、それじゃ売店までみんなでコーラを飲みに行きましょうとアレックスが言いました。中身より瓶の方が高いので、その場で飲む人が多いです。冷蔵庫が貴重品なので、清涼飲料水を冷やしておくのもなかなか大変です。私は普段コーラは飲みませんが、郷に入れば郷に従えです。一緒にコーラを飲みました。
もちろん誘った私が払うつもりでしたが、支払う段になって、アレックスがどうしても自分が払うと言い出しました。折角の好意なので、ここはアレックスの顔を立てることにしました。帰りには、アレックスが近道を行きましょうと学校の外れまで送ってくれました。学費を払うだけでも大変でしょう、無理しなくてもよかったのにと言いましたら、アイスキャンディのお礼ですよ、おごってもらったら、お返しをするのがショナのやり方ですという返事が返って来ました。精一杯背伸びをしている態度が私には気持ちよく思えました。

コーラの値段を聞きましたら、中身は1本75セント(20円足らず)ですからと教えてくれました。僅かな額でしたが、アレックスの気持ちが嬉しく感じられました。

8月19日のことです。ジンバブエに来て、ほぼ1ヵ月が過ぎていました。これが予想もしなかった75セントの出会いとなりました。(宮崎大学医学部教員)

ショナ語をアレックスから

執筆年

2012年10月10日

収録・公開

「ジンバブエ滞在⑯75セントの出会い」(No.50)

ダウンロード・閲覧(作業中)

「ジンバブエ滞在記⑯75セントの出会い」