アングロ・サクソン侵略の系譜16:科学研究費 1

2022年1月3日2010年~の執筆物アレックス・ラ・グーマ,南アフリカ,科学研究費,続モンド通信

続モンド通信19(2020年6月20日)に収載

 アングロ・サクソン侵略の系譜16:「科学研究費 1」(玉田吉行)

 1988年度前期の授業が終わって一段落した頃、人事の世話をして下さった化学の人から科学研究費に応募したらどうですかと薦められました。高校の教員を辞めたあと非常勤も長く、科学研究費の存在も知らなかったので、よくわからないまま取り敢えず出してみるかと、殴り書きで書類を出しました。応募要領を読んでも具体的なイメージが湧きませんでしたが、その時一番力を入れていた南アフリカの作家アレックス・ラ・グーマに関連させて「1950〜70年代の南アフリカ文学に反映された文化的・社会的状況の研究」とタイトルをつけ、研究種目は一般研究(C)、研究分野は該当するものがなさそうなので「その他外国語・外国文学」、個人では500万が上限のようなので、3年か4年で500万、そんな感じだったと思います。

アレックス・ラ・グーマ(小島けい画)

その後書類を書いたことも忘れていましたが、翌1989年四月に単年で100万を交付するという通知が届きました。交付決定の基準はわかりませんが、直前の出版物が多かったからだと思います。1987年の年末にサンフランシスコで行なわれたMLA(Modern Language Association of America)とカナダで行なわれたアレックス・ラ・グーマ/ベシー・ヘッド記念大会(Alex La Guma /Bessie Head Memorial Conference)での発表や、反アパルトヘイト運動の一環として行なわれていたアパルトヘイト否(ノン)関連の講演会での発表などの原稿に手を入れて、雑誌「ゴンドワナ」(横浜:門土社)や「黒人研究」、「言語表現研究」などの研究誌にたくさん書いていたからです。業績欄には1987年と1988年十月までのラ・グーマ関連の14本分を記入しました。

元々小説を書くための空間を確保するために大学に来ましたので、研究は念頭にはなかったのですが、大学では教育の他に研究と社会貢献が求められるとあとになって知りました。出版社の社長さんの助言もあって小説は当座封印して、薦められるままに大学用のテキストやら翻訳も含めて、いろいろ書くことにしました。

理科系と文科系では科学研究費に対してかなりの温度差があったようで、一般教育の文系の同僚にも後期から非常勤を始めた旧宮崎大学でも、科学研究費の交付を受けた文系の人は見当たらないばかりか、そもそもほとんどの人が申請すらしてないようでした。大学が外部資金獲得をうるさく言うようになったのは、文部科学省によって運営交付金の恒常的な削減が強行され始めてからです。

交付が決まった年の秋に文部省の職員が来て、夕方4時からの懇親会に出席するように言われました。授業が入っていたので行きませんでしたが、同僚二人が情報を聞きつけて出席してもいいですかと聞いてきました。もちろん僕に権限があるわけでもないので、出席したようですが、二人とも翌年に科学研究費が交付されていました。英語科の同僚にその話をすると、学年末に予算が余ったから科研費どうですかと電話があったけど、断りましたよ、ということでした。急に申請する気が失せてしまいました。

その時の申請書類のコピーはファイルに綴じて保管し、定年退職の時も残していたのですが、部屋の引っ越しでどこかに紛れてしまったようで、申請の詳細は今となっては定かではありません。ただ、内定が決まっていた名古屋医療専門職大学の事務の方が文部科学省に提出する審査書類を作成するために課題番号を調べている際に最終報告書をウェブ上で見つけて下さり、初めて報告書が公開されて残っているのを知りました。→「1950〜70年代の南アフリカ文学に反映された文化的・社会的状況の研究」その報告書です。

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研究課題「1950〜70年代の南アフリカ文学に反映された文化的・社会的状況の研究」

研究課題/領域番号           01510294

研究種目/一般研究(c)

配分区分/補助金

研究分野/その他外国語・外国文学

研究機関/宮崎医科大学

研究代表者/玉田 吉行  宮崎医科大学、医学部、講師 (80207232)

研究期間(年度)1989

研究課題ステータス           完了 (1989年度)

配分額 *注記       1,000千円 (直接経費: 1,000千円)

1989年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)

キーワード アレックス・ラ・グーマ / 南アフリカ文学 / 亡命作家 / アパルトヘイト下の文学 / ミリアム・トラーディ / カラード作家 / アフリカ人作家

研究概要

アレックス・ラ・グーマの『三根の縄』(1964)の作品論、アパルトヘイトの歴史と現状についての講演、南アフリカ作家ミリアム・トラーディさんの宮崎講演の実現、が主な成果である。

『三根の縄』は50年代のアパルトヘイト体制下で呻吟するケープタウン郊外の「カラード」と称される人々の状況を描いた物語だが、歴史を記録したい、世界に現状を伝えたいという作家ラ・グーマの願いが反映されている。雨のイメージを象徴的に使った文学手法に着目し、1988年カナダのブロック大学で開催されたアレックス・ラ・グーマ/ベシー・ヘッド記念大会で行なった口頭発表を軸に「アレックス・ラ・グーマ 人と作品6『三根の縄』―南アフリカの人々」にまとめた。近々出版予定(校正済み)

講演は、愛媛県松山市の市民グループ「アサンテ・サーナ!」に招かれ、50年代、60年代の文化的・社会的状況を生み出した政治的、歴史的背景を中心に行なったもので、今までのまとめと今後の方向づけという意味と、研究成果を社会に問う意味でよかったと思う。「アパルトヘイトの歴史と現状」にまとめ、近々出版の予定。(校正済み)

突然の来日のため、個人的招待という形になったが、南アフリカ国内外で活躍中の作家ミリアムさんを迎え、本学で一般公開の講演会を持った。文化的行事の少ない宮崎では、マスコミも好意的に取り上げ、大きな反響があった。通訳も含め、講演会という形で研究成果を社会に還元出来たのは、出版物を世に問う以上の成果があったように思う。1960年代後半から作家活動を始めたミリアムさんとの交流は、研究テーマそのものでもあった。宮崎訪問、滞在についてのエッセイ、講演「南アフリカの文学と政治」と質疑応答の翻訳も含め「ミリアムさんを宮崎に迎えて」にまとめ、近々出版の予定。(現在、校正中)

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「ミリアムさんを宮崎に迎えて」ミリアムさん

ミリアムさん・トラーディ(小島けい画)

次に申請書類を出したのは、外部資金がうるさく言われ始めた2000年に入ってからです。たまたまその少し前に教授になり、大学の教員には教育、研究、社会貢献が求められると意識し始めた頃です。(宮崎大学教員)