『ナイスピープル』理解5:アフリカを起源に広がったエイズ

2020年3月5日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

エイズ患者が出始めた頃のケニアの小説『ナイスピープル』の日本語訳(南部みゆきさんと日本語訳をつけました。)を横浜門土社のメールマガジン「モンド通信(MonMonde)」に連載したとき、並行して、小説の背景や翻訳のこぼれ話などを同時に連載しました。その連載の5回目で、アフリカを起源に広がったエイズです。アフリカの小説やアフリカの事情についての理解が深まる手がかりになれば嬉しい限りです。連載は、No. 9(2009年4月10日)からNo. 47(2012年7月10日)までです。(途中何回か、書けない月もありました。)

『ナイスピープル』(Nice People

本文

アフリカを起源に広がったエイズ

 エイズ患者が出始めた1981年の夏、私はサンフランシスコに行き、坂道を走るケーブルカーを眺めていました。それが初めてのアメリカ行きだったのですが、まさかその街がエイズ騒動の渦中にあったとは夢にも思いませんでした。

サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジ

患者が出始めた当初、その病気は男性同性愛者の病気だと騒がれていましたが、事態はその域を遙かに超えて、エイズは静かに深く、世界じゅうに広がり始めていました。

当初CDC(米国疾病予防センター)も男性同性愛者に焦点を合わせていましたが、既に異性間の性交渉による感染は報告されていました。病気のルーツを探るためにジョセフ・B・マコーミック博士は調査団を組み、コンゴからベルギーに行っていた研究者の情報を元にコンゴの首都キンシャサに飛び、キンシャサ総合病院(通称ママイェモ病院)で同じ症状の患者を発見しました。調査に同行したシーラ・ミッシェル医師は当時の模様を次のように話しています。

CDC

「患者たちの苦しみようは見るのも辛いほどでした。私たちが知っているエイズの症状と一致する患者があっという間に10人、20人と見つかりました。当時はまだ男性同性愛者の病気という考えがアメリカでは優勢でした。ところが、現地の患者を調べてみると、半数は女性だったのです。これを見て、一般の人にも感染する病気かも知れないと私たちは考え始めました。」(2006年NHKBSドキュメンタリー「エイズの時代<4回シリーズ>(1)未知のウィルスとの闘い」)

調査から戻ったマコーミック博士は政府に調査結果を報告しますが、すぐには信じようとはしませんでした。結局、政府がエイズの原因解明やワクチンについての会見をしたのは、パスツール研究所がHIVを発見してから1年以上も後の1984年4月のことでした。

パスツール研究所

研究者は誰もがウィルスが見つかりさえすればそれを叩くことは容易で、科学の力で薬を開発し、ワクチンも出来ると考えていましたが、実際には事態はもっと深刻でした。ウィルスに感染してもすぐには発症せずに、知らずに他人に感染させる長い潜伏期間があったからです。当時の人たちは、巨大な氷山の一角しかみていなかったわけです。その間にも、エイズウィルスは静かに社会に広がってゆきます。アメリカで最初のエイズ患者が見つかった時には、既に25万人の感染者がいましたし、血友病患者が初めてエイズの診断を受けた時、既に半数がHIVに感染していました。1980年代半ばまで、死者の数は毎年倍増していきますが、打つ手は殆んどありませんでした。

マコーミックの調査班は病気のルーツの追跡を更に続け、その病気がかなり以前から流行していたことや、遺伝子を解析してアフリカ中部に生息する霊長類のウィルスが関係していることを突き止めました。マコーミック博士は次のように語ります。

「アフリカの中央部には狩猟採集民族の子孫が今も暮らしています。そしてその多くが今も森の中で狩りをして生活しています。そうした人々が霊長類特にチンパンジーと接触したのです。そしてその中にウィルスに感染していたものがいたのでしょう。獲物を解体する過程で血液と接触しウィルスが人間に感染したのです。このような感染はアフリカ中部の様々な場所で起きていた筈です。しかし爆発的な流行には至りませんでした。」(「未知のウィルスとの闘い」)

コンゴ

最初人間の免疫機構はチンパンジーのウィルスに打ち勝ちましたが、ウィルスは感染の度に適応しながら変異して、人間の免疫機構に入り込むことに成功したのです。アラバマ大学ジョージ・ショー博士は「HIVがチパンジーのウィルスに由来することは間違いありません。チンパンジーの病気が人間に感染した例はいくつか報告されていますが、エイズほど大々的に流行した病気は他にはないと思います。人間、猿、そしてチンパンジーに感染するレトロ・ウィルスを私たちはヒト免疫不全ウィルス、或いはサル免疫不全ウィルスと呼んでいます。そしてそれを同じ一つのグループに分類しています。恐らく1930年代その前後10年の間に起きたと考えられています。」と推測しています。
ウィルスの遺伝子からその起源を辿り、特定の種類のチンパンジーを突き止めたアラバマ大学のベアトリス・ハーン博士は「チンパンジーのウィルスが人間に感染したあと、どのようにして爆発的に流行するウィルスに変わったのかはまだ解っていません。しかし、生物学的な見方をすれば、一つの推測が成り立ちます。ウィルスが短期間に多くの相手に感染したということです。たとえば、チンパンジーのウィルスに感染した男性がたくさんの相手と性交渉を持てば、次々と感染が起こりウィルスは複製されていきます。」との推論を立てています。

第二次大戦後、アフリカでは急激な都市化現象が起こり、森の中で暮らしていた人が都会に移り住むようになりました。ウィルスに感染した人が都会へ出て、大勢の客を相手にする女性と関係を持てば、そこから更に多くの人が感染し、病気はどんどん広がっていきます。感染経路さえあれば、感染の拡大は時間の問題でした。

1959年にコンゴでエイズによる最初の犠牲者が出ました。60年代に入ると、アフリカの中部で亡くなる人が増えて来ました。コンゴが独立したとき、ベルギー政府はベルギー人官吏8000人を総引き上げして独立過程を混乱させ、傀儡の軍事政権を作ることを目論みました。政府はその穴埋めに、ハイチからフランス語が話せる人たちを招きます。60年代、70年代のモブツ独裁政権の圧政に耐えかねたその人たちは、HIVに感染しているとは知らないまま国から出てヨーロッパや北アメリカに渡るか、ハイチに帰国しました。

ハイチ

ショー博士はエイズの流行について、次のように総括しています。

「過去百年間で人類に最も深刻な影響を与えた出来事、それはエイズの流行であろうと私たちは考えています。この恐ろしい病気の蔓延は、アフリカでたった1匹のチンパンジーがたった1人の人間に感染させた、そのほんの1回の出来事からすべてが始まっているのです。」(「未知のウィルスとの闘い」)

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執筆年

  2009年8月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No. 13

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  →『ナイスピープル』を理解するために―(5)アフリカを起源に広がったエイズ