『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(22)

2020年3月8日2010年~の執筆物ケニア,医療

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の22回目です。日本語訳をしましたが、翻訳は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―

 第22章 仮論文

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第22章 仮論文

ついに、これですべて終わりました(と、私は思いました)。修士論文はタイプして製本され、一部を公衆衛生学科の科長オルオッチ教授に提出し、私の研究指導教官のジム・バイロン医師の所にも一部置いてもらいました。ケニア中央病院の相談の業務は非常勤でいいということでしたので、私はこれでリバーロード診療所を開業出来ました。

ナイジェリア地図

論文を提出してから2週間後、私は論文の口答試問のために論文審査会の前に呼び出されました。論文は、道徳的に批判したり隠したりせずに、メディアを最大限に使って性感染を受け容れれば、性感染症との闘いでかなりの成果が得られるだろうというものでした。

審査委員長はガーナ人のクワメ・アフリファ医師でした。その隣にはナイジェリアのンスッカ大学のアジズ・アシカ氏、オックスフォード大学のポール・ウッド医師ローデシアに移住し、今はソールズベリー大学で教員をしているケニア出身のジョージ・ムバルト教授がいました。

ナイジェリアイバダン大学

「ムングチ先生。あなたは、移動範囲が更に拡大し、性に対してますます寛容になり、経口避妊薬がより広範囲に使われ、性の乱れがますます激しくなっているために性感染症が何年も増え続けていると認めています。それは性の自由を認めるということではないですよね?もしそうだとしたら、どういう形の性の自由を考えているんでしょうか?」と、オルオッチ教授が口火を切りました。
「ムングチ先生。」と、アジズ・アシカが始めました。
「あなたは、売春が性感染症の主な原因であるという見方を否定し、伝統的に売春をしないマサイのような社会と、攻撃を避け、雄の食べものを集めて性的に自分を売り込む雌のチンパンジーやヒヒと、性交渉はしないが客に手で対応する売春婦を引用していますが、前例は二つとも性感染症の拡大の影響を受けやすく、最後の例(売春婦)はその人たちの行為自体からの性感染の可能性は殆んど無いという見方を裏付けるために引用したんですね?」
「そうですが。」と私は認めましたが、質問の意図がはっきりとは掴めませんでした。
「しかし、売春の研究者は、性の取引で経済的な問題を解決しようとする夫を持たない女性、奴隷や捕虜、離婚した人や未亡人、社会から落ちこぼれた人や結婚出来ない人たちを扱っています。」と、アシカ氏は続けました。
「おっしゃるとおりです。その偏見のために性感染の拡大が増幅され、女性が物とサービス、特に医薬品や医療サービスを受けにくくなっていると私は述べました。私はロシアとフィンランドとわが国の伝統な社会と、法で認められた売春と医療ケア対策特にコンドーム使用の最近の流れについて調査を行ないました。一人当たりの性的な関係の数より、医療ケアが充分でないために性感染症にかかる割合が増えているという証拠が増えています。」
「ムングチ先生。」と、ポール・ウッドが質問しました。
「国民に対してどれくらいが適切な医療と言えるんでしょうか?どの国にも提供出来る限度というものがあるからこそ、医療の優先順位があると思うんですがね。」
「まさにそうです。道徳上、性病の責任がどこか別のところにあると考えるために、私たちは性感染症疫学に対してあまりにも無関心過ぎると思います。私が申し上げているのは、淋病や梅毒や軟性下疳は一般の風邪の症状と同じように見るべきだということです。」
「ムングチ先生、売春は性感染症の脅威を煽る悪として売春を糾弾する教会は間違っていると、君はどうして思うんですかね?」と、ムバルト教授が聞きました。
「教会が売春の必然性を認めないから間違っていると思います。そもそも性感染症という病名は女神ウェヌスから来ています。売春宿でも他の所でも、みんなウェヌスの規則をしっかりと守っていますよ。」
私はおかしいとは思いませんでしたが、審査官は全員、私の発言に吹き出して大笑いました。クワメ・アフリファ教授が、私の提案を支持する国もあるが、病気はまだ一掃されていないと言って口頭試問を締めくくりました。病気を一掃するのを目指すのではなく、病気を許容出来る水準に抑えることを目指すのです、と私は返事しました。

ナイジェリア地図

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4ヵ月後にコースが修了して、性病学の医学修士試験の合格通知といっしょに、私は以下の書状を受け取りました。

「登録医師 ナイロビ大学」

用件:修士論文 執筆ムングチ医師

医学修士(性病学) 候補者:証明番号8050095 1980年5月

ムングチ氏の修士論文「ケニアの道徳と淋病とトレポネーマ症の疫学に道徳が与える影響」を受理し、以下のように報告したいと思います。

66ページの論文(引用文献と付録は除く)は上手く書かれており、著者に優れた英語力があるのを立証しています。不自然な英語は僅かに数箇所だけで、綴りのミスとタイプのミスがまったく無いのは特筆すべきです。ケニアの一般的な経済から、性感染症の治療の実現性という特殊な状況に進む構成は極めて論理的です。しかしながら、流れは必ずしも円滑ではなく、セクションや章の中には少し冗長的な部分も見られます。

現在多くの性感染症の診断と治療の特徴となっている道徳的か経済的な制約を受けずにすべてのケニア人が無料で医学的な治療を受けられるようにすることを中心に書かれた第一章の最後の部分に本研究の目的が述べられています。人が地方から都市へ移住したり、仕事を失ったり、字が読めなかったり、特に女性が経済的に困窮したり、国内外の観光産業が盛んになったりする中で、今日ケニアでは貧しさが原因で売春をする率が増えているという見方で論が組み立てられています。

著者が多くの先進国が無料の医療提供を実施し道徳的な制約は社会の本質的な部分で、非常に根が深いということを認めていないのは残念です。そういった問題は、教会やモスクやその他の宗教的な集まりに任せるのが一番いいと思われます。

しかしながら、論の質は非常に高く、裏づけの資料も説得力があると感じます。道徳と哲学を扱う医療人という難しい性質を考えれば、不十分だった点は完全な論文にするにはもとと充分な時間が必要だったということで補えると思います。従って、ぎりぎりではありますが、修士論文に合格点を出したいと考えます。敬具」

イバダン市街

試験に合格して医学修士号が出ましたが、審査官の批評には腹が立ちました。私は小中高とイバダンの学生時代でも、ぎりぎりの及第点は取ったことはありませんでした。成績はいつもいい方でしたので、性の問題を隠し立てしないという私の提案に対しての社会的な偏見がなければ、もっといい点が取れていたのにと自分に言い聞かせました。私は自分の論の正しさを証明するためにリバーロード診療所を使おうと心に決めました。ワナンチ薬局が2年間使っていた建物を診療所として再開させ、患者に診療所の専門を知らせる白地に黒の太字で書いた看板を掛けました。

ケニア地図

リバーロード診療所

ジョゼフ・ムングチ医師、医学士・化学士(イバダン大学)、

医学修士(ナイロビ大学)性病科医

専門の療所かケニア中央病院かを紹介する複雑な患者以外、性病患者の治療代は一律20シリングという最低料金に設定しました。私は世界保健機構(WHO)とナイロビ市議会(NCC)に手紙を書いて、ナイロビで非常に低い料金で性病の優れた治療を受けられるように、道徳的、金銭的援助をしてくれるように依頼しました。一月後、WHOから私の働きかけを知り幸運は祈るものの、残念ながら当面は性感染症用の資金がないので残念ですという返事を受け取りました。市議会は返事も寄こしませんでした。しかしながら1月後に、ケニア医療協会(KMA)の役員数名の訪問を受け、その人たちは個人医療の宣伝をする説明を私に強く求めました。私は、人々はそのような特別な診療所があることと診療所が営利目的ではないことを知るべきだと説明しました。役員たちは私に賛成せず、看板をもっと控えめな文字で書いて掛けなおすように言いました。私の計画について話をしたとき、私がどういう経緯で懸命になって無料で治療を提供しようとしているのかが理解出来ずにンデュクは笑いました。

「ジョゼフ、あなた殉死でもするつもり?ケニアは国が個人の開業を認めないタンザニアとは違うのよ。この国で出来るだけたくさんお金を稼ぐ必要があるし、普通は、あなたの考えてることを認めないわ。ナイロビの医者や弁護士をご覧なさいよ。みんなベンツやジャガーやボルボを乗り回してるわ。それなのにあなたは……。」と、ンデュクは狂ったように甲高い声で言いました。
「頼むよ、ンデュク、もう何度も聞いたよ。」と、私はンデュクを制するように言いました。
「あなたの友だちはみんな今、キタスルやリビングストンやキレレシュワに住んでるわ。」と、ンデュクが続けました。
「そうだけど、これは話が別だろう。もっと公平なやり方で医療に取り組んで、ケニアの医療界の役に立たないといけないんだよ。」
「誰の役に立ちたいって?去年ストライキをやったときのことを忘れたの?政府は個人の開業を認めたんじゃなかったの?」
「(確かに)認めたけど、搾取の問題は別だよ。」
「ドクタームングチ、あなたはいかれてるわ、あなたには出世は無理ね!」と、ンデュクは怒るように言ってから激しく音を立ててドアを閉め、歩いて部屋から出て行きました。ンデュクを気の毒に思いました。倫理に反する態度が求められるときでも、ンデュクには金儲けだけでしたから。

ナイロビ市街

執筆年

  2010年10月10日

収録・公開

  →モンド通信(MomMonde) No. 27

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  →『ナイスピープル』─エイズ患者が出始めた頃のケニア物語(22)