ほんやく雑記(7)イリノイ州シカゴ2

2020年2月22日2010年~の執筆物アフリカ系アメリカ,ほんやく雑記,リチャード・ライト

概要

ほんやく雑記の7回目で、前回の「地下に潜む男」を読むようになった経緯、に引き続き、「地下に潜む男」が掲載された雑誌「クロスセクション」(CROSS SECTION)について、今回は特に手に入れた経緯について書いています。

  大学のテキスト(青山書店)

本文

ほんやく雑記の7回目です。

前回はイリノイ州シカゴが舞台の「地下に潜む男」(“The Man Who Lived Underground”)を修士論文で取り上げるようになった経緯について書きましたが、今回はその作品が掲載された雑誌「クロスセクション」(CROSS SECTION)について書きたいと思います。(写真1:CROSS SECTIONの表紙)

「クロスセクション」誌

いま目の前に雑誌「クロスセクション」(CROSS SECTION)があります。1981年にニューヨークの古本屋で手に入れたものです。裏表紙をめくると流れるような筆記体でOut of Print #3.50 The Harwoods Oct. 1994と記されています。

1981年に初めてアメリカに行きました。前回、入学した年の学生運動の話を書きましたが、第二次大戦の直後に生まれた世代は否応なしにそれぞれのアメリカ化を経験していると思います。小学校の頃にテレビが普及し始め、ハリウッド映画からエンパイアステートビルディングやナイアガラの滝、ゴールデンゲイトブリッジなどの映像が流れてどっと「アメリカ」が生活に入り込む一方、洗濯機や炊飯器、掃除機などの電化製品でどんどん生活が「便利に」なって行きました。その頃自覚していたとは思えませんが、便利さや快適さから来るアメリカへの憧れと、敗戦後にアメリカ流を無理やり押しつけられたという反発が妙に入り混じっていたように思えます。

高校から派遣された形で行った大学院の最初の夏に、修士論文の軸となる作品のコピーを手に入れるためにアメリカに行くことにしました。ニューヨーク公立図書館ハーレム分館に「クロスセクション」(Cross-Section)のフォトコピーがあるとわかったからです。ずっと1ドル360円で、外国語大学でもあったせいか留学に気持ちが傾いた時期もありますが、学費も生活費も自前の状況下では経済的に実際は無理だったと思います。休学してスウェーデンに遊学したクラスメイトもいましたから、それほど行きたい気持ちが強くなかったということでしょう。(そのクラスメイトはお金やパスポートなど一切合切盗られて2年も余計にスウェーデンにいることになった、と帰ってから言っていました。)

ライトの生きたコース(ミシシッピ州に生まれ→シカゴに→ニューヨークにて→パリに亡命)のうち、今回はシカゴ→ニューヨーク→(セントルイス経由で)ミシシッピ州ナチェツ(生まれた所)、まで辿ってみようと計画を立て、ファーブルさんの『リチャード・ライトの未完の探求』(The Unfinished Quest of Richard Wright, 1973)の巻末の参考文献目録をコピーして出かけました。東海岸までは遠いので、サンフランシスコに何泊かして。1ドル280円台だったと記憶しています。

『リチャード・ライトの未完の探求』

高校の英語の教員を5年していましたが、「敗戦後にアメリカ流を無理やり押しつけられたという反発」もあって、英語は聞かない、しゃべらない、と決めていましたので、英語はまったく聞き取れませんでした。(日本ではなぜか、英語がしゃべれなくても英語の教員は「勤まり」ます。)

目的は文献探しでしたが、結局はニューヨークの古本や巡りになってしまいました。今から考えるとおかしな話ですが、ライトの『アメリカの息子』(Native Son, 1940)の初版本はありませんかと出版元まで訪ねて行ったのです。もちろんあるはずもありませんが、行ってみるもんですね。大量の本を古本屋に流していますので、タイムズスクエアーのこの古本屋に行くとひょっとしたら、と言われました。1985年のI Love New Yorkキャンペーンでその辺り一帯がきれいにされる前でしたから、古本屋やポルノショップなどが溢れていました。

教えてもらった古本屋に『アメリカの息子』(写真2)の初版本はさすがにありませんでしたが、『ブラック・ボーイ』(Black Boy, 1945)、『ブラック・パワー』(Black Power, 1954)など主立った本はもちろんのこと、スタインペッグの『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath, 1939)やハーパー・リーの『アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird, 1960)なども難なく見つかりました。そして何より、「地下に潜む男」の掲載された「クロスセクション」(CROSS SECION)の現物が手に入ったのです。雑誌と言っても559ページもあるハードカバーの立派な本でした。見開きにはCROSS-SECTION A NEW Collection of New American Writingとあります。

日本でも神戸や大阪の古本屋には何度もでかけていましたが、ニューヨークで古本屋巡りをするとは思ってもみませんでした。本をぎっしり詰めた旅行バックが肩に食い込んだ重さの記憶が残っています。今ならVISAカードで簡単に処理したんでしょうが、何箱か船便で送ったら持って行っていたお金がほぼなくなってしまって、経由地のセントルイスまでは辿り着いたものの、そこから予定を変更して戻って来るはめになりました。

初めてのアメリカ行きでもあったので、サンフランシスコではゴールデンゲイトブリッジに行き、シカゴではミシガン通りでパレードを眺め、ニューヨーク州ではナイアガラの滝を見て、エンパイアステートビルディングにも昇りました。元々人が多いのは苦手でエンパイアステートビルディングも列が出来てなかったら昇ってなかったと思いますが、入り口には人がまばらで。しかし、途中で乗り換えがあって、そこでは人が溢れかえっていて何か騙された気分になりました。

ミシガンストリートで2時間ほどパレードを眺めていたと書きましたが、その時に、アメリカにもアメリカのよさがある、と何となく感じました。ニューヨークのラ・ガーディア空港では日本語が通じずにカウンターでついに大きな声を出してしまいましたが、ちょっとお待ち下さい、言葉のわかる者を連れて来ますので、と言われて待っていたら、人が現われて、ゆっくり英語をしゃべってくれました。

通じないもどかしさを何度も味わいましたが、それでも帰って来て、英語をしゃべりたいとは思いませんでした。

その時行けなかったので、1985年にミシシッピに行き、ゲストスピーカーだった念願のファーブルさんにもお会いしました。戻ってからファーブルさんと話をしたいと、英語をしゃべる準備を始めました。1992年にジンバブエの首都ハラレで家族で暮らした帰りにパリに寄り、ファーブルさんとお会いした時(写真3)には、英語に不自由は感じませんでした。

「地下に潜む男」の擬声語については、次回からです。

次回は「ほんやく雑記(8)イリノイ州シカゴ3」です。(宮崎大学教員)

執筆年

2016年

収録・公開

「ほんやく雑記(7)イリノイ州シカゴ2」(「モンド通信」No. 97、2016年9月11日)

ダウンロード

2016年9月用ほんやく雑記7(pdf 343KB)