「黒人研究の会会報」24号「あとがき」
概要
編集を担当した「黒人研究の会会報」24号の「あとがき」です。
1954年に創立された黒人研究の会に、81年の秋から、7年ほど入って例会に出たり、月例会の案内やら、会誌や会報の編集のお手伝いをしていました。
黒人研究の会の例会があった旧神戸市外国語大学(大学ホームページより)
会報24号は、創設者の貫名さんの追悼号で、編集をして次のような<あとがき>を添えました。
本文
会報24号をお届け致します。原稿をお寄せ下さった方々に厚くお礼申し上げます。
アフリカ初のノーベル文学賞を受けられたショインカ氏の朗報、会の未来を担う20代、30代の方々からの会員・新会員だより、それに〈特別寄稿>。それぞれが、お亡くなりになられた貫名さんへの、何よりの供養だと信じています。
貫名さん
送年会で、奥さまがお話しされるのを聞きながら、伝えたい、と思いました。特に、苦しいはずの病床での毅然としたご様子や、丸坊主をしいられた先生が軍事教練のあった日には決って蒲団の中で咽んでおられたお姿について、奥さまがしみじみと語られたとき、その思いは高まりました。
快く原稿をお寄せ下さいました奥さまに重ねてお礼申し上げます。
夏のアメリカでは、南アフリカ制裁の問題が、連日マスコミに取り上げられていました。南アフリカ制裁に反発するレーガン大統領にむかって「あなたが大統領をするアメリカに生まれて、私は恥しい」と激しく訴えていたある上院議員の気魂に、偶々旅行中だった私は、激しく心を動かされました。
折しも、中曽根失言。「あのような事を実際いつも思っているからこそ口に出るのだと思います……日本人ももっとまねだけしないでがんばらなくてはいけませんね」というお手紙が、ケント州立大学教授の伯谷嘉信さんから届きました。
創立33年目をむかえる黒人研究の会も、学問のためだけに活動するのではなく、国際交流も含めて、もっと社会に還元されるように活動をする必要がありそうです。
執筆年
1986年
収録・公開
「黒人研究の会会報」 24号 12ペイジ
「黒人研究の会会報」 24号