『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(3)第4章 アイリーン・カマンジャ

2020年3月10日2000~09年の執筆物ケニア,医療

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通信(MonMonde)」に『ナイスピープル―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―』の日本語訳を連載した分の3回目です。日本語訳をしましたが、翻訳の出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、経済的に大変で翻訳を薦められて二年ほどかかって仕上げたものの出版は出来ずじまい。他にも翻訳二冊、本一冊。でも、ようこれだけたくさんの本や雑誌を出して下さったと感謝しています。No. 5(2008/12/10)からNo.35(2011/6/10)までの30回の連載です。

日本語訳30回→「日本語訳『ナイスピープル』一覧」(「モンド通信」No. 5、2008年12月10日~No. 30、 2011年6月10日)

解説27回→「『ナイスピープル』を理解するために」一覧」(「モンド通信」No. 9、2009年4月10日~No. 47、 2012年7月10日)

本文

『ナイスピープル』一エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語一

(3)第4章 アイリーン・カマンジャ

ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳
(ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年)

第4章 アイリーン・カマンジャ

週5日夜勤をすれば、私がンデル診療所で同じ時間だけ働く時間が持てる、とキチンガ医師は決めていました。ンデルにいれば1日100シリング稼げますから、見事な時間の割り振りのように思えました。ギチンガ医師によれば、病院側は私に2000シリング払うものの、税金と食費を差し引くため、1日当り50シリングしか残らない、ということです。しかし、診療所の100シリングは非課税で済むし、ケニア中央病院で働くよりも倍は稼げると言うのです。全く同感でした。それに、研修医を見下すようなことをしないンデルでの生活には心が高鳴りました。実際、ケニア中央病院を出てンデルに向かう時はいつも、地獄を逃れて天使と一緒に別天地に向かうような気分で心臓が波打ったものです。

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ある日の夜8時頃、診療所のドアにノックの音がしました。行ってドアを開けてみると、そこには看護師のアイリーンが立っていました。
「やあ、アイリーン看護師。」と、名前を呼びながら、なぜ青い制服を着ていないのだろうと不思議に思いました。
「入ってもいいですか?」と、即座にそう言うとアイリーンは足を踏み入れてドアを閉めると、部屋に一つしかない椅子に座りました。私は横目にアイリーンを見ました。
「ジョゼフって呼んでもいいですか?それとも、いつも『何とか先生』って呼ばないといけませんか?私のことは、アイリーンって呼んで下さいね。」
何か信じられない気もしましたが、私は笑い出しそうになりました。しかし、どんなことを考えているにしても余りにも落ち着かない様子でしたので、私は好奇心から笑うのをやめました。
「ムングチでいいよ。」と、私は教務課にユダヤ名の「ジョゼフ」という目立った名前をはずしておいてくれるように頼んだことを、こっそり漏らしました。
「先生を医者として聞いてもいいですか?」と、アイリーンが話し始めましたが、その断固とした態度に私は落ち着かなくなっていました。
「もちろんだよ。」
「私、美人かしら?」
「もちろん、美人だよ。でも、どうして?」と、私はこの看護婦の目的が何なのかを考えながら、思わず聞いていました。
「じゃ、なぜ苦しいのかしら?」
「苦しい?」
「なぜ私は部屋でも一人で座り、通りも一人で歩き、食事も一人で食べるのかしら。唯一の喜びと言えば、この病院にいて、ギルバートをお風呂に入れる時だけなの。」
衝撃的な告白でしたが、私には何がなんだか分かりませんでした。ギルバートを入浴させるのは、第20病棟では一番嫌な仕事であるはずなのに、このアイリーンは、それを一番働き甲斐があると言っているのです。
「ギルバートが感謝してくれてるかどうかは分からないけど、私は喜びを感じながら洗ってます。私を必要とする唯一の人に思えるから。それなのにギルバートは、軽蔑したようにゾンビのよう目で私を見るわ。それに先生は、せんせ・・・・」と、左手の指で鋭く私を指差しながら、両目から涙を浴れさせてアイリーンはすすり泣きを始めました。
「どうしたの、アイリーン?」と、私は尋ねました。私は特に女の人といる時にはかなり人見知りする方なんですが、ここは医者として何とか気持ちを落ち着けて勇気を振り絞り、医者の仮面を被りました。
「もう二度とピルを飲まないことにしたわ。」と、アイリーンは不躾(ぶしつけ)に言いました。
「そう、他にもたくさん選択肢もあるし・・・・」と言って、私の体はこわばりました。
「どんな手段でも避妊はしないと決めたの。」
「ローマ法王が言っただろう。自然の摂理が・・・・」
「自然の摂理に関わることも、もうないわ。」
「それじゃ、赤ん坊をたくさん、という話になるね。」と、私は言いました。
すると、アイリーンはまた突然すすり泣きを始めたのです。私は、何に苦しんでいるのか理解できないまま、ともかく慰めるというおかしな立場に立たされました。「赤ん坊をたくさん」という表現がそんなに気に障ったとも思えませんので、私のどこが悪かったのかをアイリーンから教えてもらえるまで待つしかありませんでした。
苦痛の原因は、私がどんなに想像力を働かせても無理なほど痛ましい話でした。まず、アイリーンは母親からひどく嫌われていたのです。また、胸が貧弱なために女らしくない、と最初の恋人に思いこまされて、男に縁が無いのを自分の胸のせいにしていたのです。自分の部屋に一人座っていればいつの日か求婚者が現われるはず、と夢見ていましたが、来訪者はありませんでした。数少ない女友達と連れ立って遊びに行っても、皆、熱心な男に言い寄られてうまく収まるのですが、自分だけはやっぱり一人ぼっちだったのです。
「私、どうすればいいの?」と、アイリーンは私に訴えました。
翌日アイリーンは、男性を捕まえるわと固く決心して街に出かけて行きました。独身の美男美女の集いにはもってこいの場所、ハライアンという新しいナイトクラブが開店したと聞いていたのです。アイリーン本人は、酒も飲まず、煙草も吸わず、「評判の悪い店」に出入りすることもない、品の良い女性になりたいと思っていたのです。これまでにも、ナイトスポットには数えるほどしか行ったことがありません。「1900」に行ったときには、大学時代の恋人ジョン・キマルと一緒でした。「フロリダ」に行ったときは、同僚の男性看護師と一緒でした。体の関係を迫ってきたので、そのうちアイリーンはその看護師に嫌悪感を覚えたのです。最後に行ったのは「スターライト」でしたが、店中に煙草の煙が充満して窒息しそうでした。不安を胸に、アイリーンはハライアンの玄関ホールで列に並び、席料の10シリングを払ってクラブの中に入りました。見たところ、空席はありませんでしたので、カウンターの腰掛に座ることにしましたが、座り心地はよくありませんでした。コーラを注文し、居ずまいを正している時、ふと、ビールの方が相応しかったと気がっいたので、半年近くも飲んでいなかったピルスナービールを注文しました。

ピルスナー

薄暗く青い照明の下、アイリーンは自分の周囲にいる人間の群れを観察し始めました。店の隅にはぼさぼさの髪で、色槌せたジーンズに皮のジャケットを着た男が座?ています。男は黙ったまま、ぼんやりと侘しそうにタスカービールを飲んでいます。この世のことはどうでもいいというような様子で、鼻の穴から煙草の煙を噴き出していました。
男の隣では、1組の男女が何やら激しく言い争いをしていました。男の方は歳上で、おそらく45歳くらいでしょう。しかし相手の少女はアイリーンより若く、恐らく19歳くらいでしょう。少女は(2年ほど前にすでに廃れたというのに)ミニスカートを穿いており、バルマーサイダーを飲んでいました。中年男は、薄茶色の液体をすごい勢いで飲んでいました。ウィスキーかブランデーが入っているに違いないわ、とアイリーンは思いました。男はツイードの上着を着て、当時人々が「オピニオン」と呼んでいたビール腹をしていました。大きくて高そうな指輪を何個も指にはめています。ナイロビの金持ち層に属しているのでしょう。「自らの若さを保つために」10代の娘と連れだって、シゴナやムサイガといった場所にゴルフをしに行く人間です。この娘もその「パトロン」の男性もお互いに充分にその時間を楽しんでいるようでした。
突然、アイリーンはカウンターにいる客の方を向きました。一人の男が、酔った勢いで釣り銭をめぐって店員と大騒ぎしていました。

タスカービール

「汚ねえ豚野郎、いちいち細け一んだよ。小銭まで巻き上げやがって。」
「あんたも豚野郎だよ。」
「いいか、教えてやろう。お前なんか生きる価値もねえバーテンだよ。」と、男は罵るバーテンの首もとを掴み、今にも締め殺しそうな勢いでした。
「お願い、やめて!私が払うわ。」と、アイリーンは叫びました。
「誰があんたに金をくれと頼んだんだよ、この売女。」と、酔っ払いは視線をバーテンからアイリーンに向けると、脅すように鋭い声で言いました。手はまだバーテンを掴んだままでした。
「あんた、売女って言ったわね。私は看護師よ!」とアイリーンが叫んだ時、店内の視線が全て自分に注がれているのを感じました。身を明かすべきじゃなかったわ、と思うと、アイリーンは後悔の念に打ちのめされました。ハライアンで独り、ビールを飲んでいる看護師。即座に立ち上がり、口を付けていないピルスナーをそのまま残して、アイリーンは逃げるようにハライリアンから出て行きました。
少し肌寒い夜でした。あても無くリバー大通りにのびるトム・ムボヤ通りをアイリーンは歩きました。ラテマ通りを横切ったところでルツーリ通りに入り、小汚い店にでも入っていこうとしたその時でした。アンバサダーホテル脇の「アーチ」のことを思い出したのです。狭くてせわしい雰囲気ですが素敵な恋の待合所となっている店です。ハライアンが看護師を歓迎しないのなら、アーチは間違いなく歓迎するはずよ、そこが私の楽園だわ、とアイリーンはふと思いました。
「私なんて結局、売春婦になる方がいいのかもね。」と考えながら、アイリーンは大声で言いました。その瞬間、まるで神様が願いを聞き届けて下さったかのように、品の良い男性が自分のテーブルの方に近づいて来るのがアイリーンの目の片隅に映りました。
「ご一緒してもよろしいですか?」と、その男性は大胆にも聞いてきました。
「もちろんよ!」不自然なくらい熱っぽく答えると、アイリーンは男性を見つめて言いました。
「何を差し上げます?」
今日2度目の失言に気づき、アイリーンはその場に崩れ落ちそうになりました。ナイロビの女性は見知らぬ人間にビールを勧めたりはしないのです。逆の場合は尚更のことでした。
「何ですって?」と、銀行の重役は聞き返しました。
「何かお飲みになるかと思ったの。」と言って気持ちを落ち着かせながらも、どう進めていけばいいのかアイリーンには全く分かりませんでした。しかし、もの事は上手く運びました。その男性は向かい側に腰を下ろすと、自分にはタスカーを、アイリーンにはピルスナーを注文しました。2人はすぐに、どっちが支払いをするかで、お互い気楽に言い合いしました。アイリーンは男性の分を払うと言い張り、男性もまた、アイリーンのビール代を払うと言い張りました。男性はレオナルドといい、インド銀行の出納課長であるのが話の中から分かりました。
「早い話、汚らしいそのホテルに予約を済ませたら、あいつこの『看護師アイリーン』の上に乗って事を始めたってわけ。それが先生の目の前にいる私。まるで獣だったわ。もっと金は払えるぞって、何度も何度も言うのよ。」と、アイリーンは声を荒げて180センチもある、ボクサーか棒高跳び選手としても十分通用しそうなその男とは、通りの向かいのルアシアホテルで別れた、言いました。
「ムングチ先生、男の人ってどんな土で出来ているのかしら?体を捧げた理想の男性が、私のことを商品と思っていたなんて、私とっても傷ついてるの。私、私・・・・。」アイリーンは泣き崩れ、気がつくと私は、レオナルドに非常に怒りを感じていました。
アイリーンの首を診てみると表皮裂傷を起こしているのが分かりましたので、ヨウ素で処置をしました。傷の治りは早いだろうと思いましたが、アイリーンが病院を出て行ったときは、まだ幾分興奮状態が残っていましたので、精神的な回復には時間がかかるかも知れないと思いました。

ナイロビ市街

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アイリーンは25歳で、ケニア人女性としては背が高く174センチもありました。目の覚めるような美人ではありませんし、特に、顔は普通よりも長めに見えました。しかし、びっくりするほど形の良いお尻をしていましたし、脚も形よく均整が取れていました。腰は、アイリーンが好きな高さよりも、少しだけ高めの位置からくびれていました。かつて初めての恋人に言われて、本人も欠点の一つと思っている胸は貧弱でした。社交面ではアイリーンは数えるほどの友人がいるだけで、孤独でした。それがどうしてなのかアイリーン自身にも良く分かっていませんでした。
第20病棟で顔を会わせるうちに、アイリーンのことをもっと知るようになりました。子供時代のことや学校のこと、5年間勤めているケニア中央病院のこと。この病院には、3年間の正看護師課程を修了したあとすぐに就職しました。最後の1年間は、手術実践看護を専攻して上級看護実践を修了しました。
なぜ自分に引っ込み思案な面が育ったのか、理由ははっきりしませんでしたが、少し厳しく育てられ過ぎたのは分かっていました。母親はアイリーンを憎らしく思っていたようなのです。例えば、アイリーンが何か悪さをすると必ず鞭で打ちました。ある日、教会に行くのに髪を整えていたら、媚びるような髪型だと言って許してくれなかったことを、アイリーンは今も覚えていました。
「アイリーン、髪型のことを何度いわせたら気が済むの?」と、母親は恐ろしい剣幕で言い始めました。
「母さん、わたし何か悪いことをしたの?」と、アイリーンが答えました。
その瞬間、母親は娘に飛び掛かり、首を引っ張って腰を折り曲げさせ、役立たずのふしだら女、と娘を罵りながら、情け容赦をせずにブラシをかけ直しました。
「母さん、痛いよう。」と、アイリーンは叫びました。すると今度は娘を拳で殴り始めました。その時帰宅してきた父親に、アイリーンはたまたま救われたのです。
いつもアイリーンの支えになってくれたのは父親でした。大人になって、娘に対するこの支えと愛情があったからこそ、私は父親を信頼できたんだけれど、母親の不満を買ってしまっているわ、とアイリーンは信じるようになっていました。それはまるで、父と娘が戦場で二人をひどく苦しめる敵と戦うように命じられているかのようでした。母親が二人にきつく当たれば当たるほど、父と娘の絆は深まっていったのです。
アイリーンが16歳の頃、家にボーイフレンドを連れてきたことがありました。ジェイムソン・オレンゴといい、母が大嫌いなルオ人だったのです。南B地区にある自宅で、アイリーンのお気に入りのジミー・クリフのレコードをかけて居間に二人で座っていたところを母親に見つかってしまいました。ナオミ(アイリーンの母親の名前ですが)は部屋に入りながら、憎しみと不満の表情を顕わにして2人を睨みつけました。
「ねえあんた、一日中じっと座って一体なにをやってんのよ?」と、母親が言い出しました。
「だって、今帰ってきたばかりよ。」と、アイリーンが口答えをしました。
「床も掃いてないし、芋の皮むきもやってないし、皿洗いもやってないね。」と、母親は何も聞こえなかった振りをして言いました。
アイリーンは、そのためにメイドがいるんだし、せめて、特に来客の時ぐらいは自分の時間があってもいいじゃないときっぱり言いました。
「あんた、どの客だって?」と、オパンデ長老の息子を客だと言ったアイリーンのその言葉に、母親は不快感を露わにして怒鳴りました。
オレンゴは、ナイロビ大学の法学科の1年生で、アイリーンは子供の頃から知っていました。2人はよく一緒に遊びましたが、その度に、ナイロビでは明らかにいい生活をしている家族がナオミには気に入りませんでした。オレンゴの父親オパンデ長老は、ナイロビでも評判の良いビジネスマンでした。市の評議員として昔からの酒類販売権発行の手助けをしたり、土地の割り振りをやったり、たくさんの家庭内や隣同士のもめ事を収めてきたりと、それなりのことはやって来たと誰もが信じていました。オパンデはオレンゴが高校生の頃からボルボに乗っていました。アフリカ人としては、初めてテレビを持った1人でもあったのです。(1960年代は、テレビと車の2つを持つことが金持ちであることの証明でした。)

ナイロビ大学

2人は、月日が経てばナオミが軟化して、新しい世代のギクユとルオは、無理やり憎しみあって生きる必要もないと気づいてくれると思っていたのです。しかし、この日のアイリーンの母親の表情を見て、オレンゴは自分がまだこの家に迎え入れられていないことを悟りました。そして、帰ろうと立ち上がりました。
「いいから座って!」と、母親に反感を買うのを承知で、アイリーンは怒りのあまりオレンゴにそう命令してしまいました。父さんがいて守ってくれたらいのに、と思いました。今父親は、30年勤めてきたスタンダード銀行に出かけています。
オレンゴは出て行きました。アイリーンはいつか母親に思い知らせてやろう、と心に誓いました。母親の秘密を少しばかり握っていると信じていたのです。同じやり方で、相応しい仕返しをしてやるつもりでした。この女が愛人を失なうのに、たとえ何年かかっても。オレンゴの一件以来、アイリーンは家に誰も連れて来なくなりました。そしてナオミは、娘のあら探しをしては、友人が少ないわねとアイリーンを皮肉るのです。
カマンジャは控えめな男性で、ナオミのように叫んだり喚いたりしませんでした。気性が荒くて騒しく、短気で決して譲らない性格の妻とは、大体において正反対でした。ナオミは4人の子どもを産みました。すでに大人の3人の息子と、カマンジャ最愛の娘、アイリーンです。今ではもう、妻に対して愛情があるかどうか分かりません。ナオミは東アフリカ航空で働き、夫より多くの稼ぎがありました。週の半分は販売促進の営業に出かけ、帰宅すると、やっておくように命じた家事が終わってない、と文句を言いました。終わっていても、殆んど誉めませんでした。最近カマンジャは、妻が酒を飲み始め、男が出来たのではないかと疑っていましたが、この突飛な考えに確証はありませんでした。ただ、自分に対する妻の愛情がだんだん薄れ、ほんの思いつきで言った意見にも非難めいた言い方をするようになったのは感じていました。
「まわりの子はみんな友達と仲良くやっているのに、お前は負け犬だよ。」と、母親は詰りました。アイリーンの生活は相変わらず友達のいない孤独なもので、18歳で高校を卒業したあとも男性を知らないままでした。

HIV

『ナイスピープル』(1)→「『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語(1)著者の覚え書き・序章・第1章」「モンド通信 No. 5」、2008年12月10日)

作品解説(1)→「『ナイスピープル』理解1:『ナイスピープル』とケニア」」「モンド通信 No. 9」、2009年4月10日)

作品解説(3)→「『ナイスピープル』理解3:1981年―エイズ患者が出始めた頃1」「モンド通信 No. 11」、2009年6月10日)

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執筆年

2009年3月10日

収録・公開

モンド通信(MomMonde) No. 6

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『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語―(3)第4章 アイリーン・カマンジャ