ジンバブエ滞在記22 ジャカランダの季節に

2020年2月27日2010年~の執筆物アフリカ,ジンバブエ

概要

横浜の門土社の「メールマガジン モンド通(MonMonde)」に『ジンバブエ滞在記』を25回連載した22回目の「ジンバブエ滞在記22 ジャカランダの季節に」です。

1992年の11月に日本に帰ってから半年ほどは何も書けませんでしたが、この時期にしか書けないでしょうから是非本にまとめて下さいと出版社の方が薦めて下さって、絞り出しました。出版は難しいので先ずはメールマガジンに分けて連載してはと薦められて載せることにしました。アフリカに関心の薄い日本では元々アフリカのものは売れないので、出版は出来ずじまい。翻訳三冊、本一冊。でも、7冊も出してもらいました。ようそれだけたくさんの本や記事を出して下さったと感謝しています。連載はNo. 35(2011/7/10)からNo. 62(2013/7/10)までです。

本文

ジャカランダの季節に

電話代

9月に入りますと、ジャカランダがちらほら咲き始めました。ジャカランダ南米原産の大木で、街路樹として街の至る所に植えられていました。薄紫色の花がすっかり色付いた頃に、私たちはこの国とお別れです。

9月も半ばを過ぎると、あちらこちらでジャカランダの花が目に入るようになってきました。そろそろ帰国の準備です。短かい期間ではありましたが、家を一軒借りて住んでみると、後始末の煩わしさも予想以上です。

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ハラレの街のジャカランダ

9月の上旬には、先月分の電気・水道代と電話代の請求書が届けられました。電気・水道代は、街に出かけるゲイリーに頼んで払ってもらいましたが、電話代が問題です。請求書の額面が1000ドルを超えています。確かに国際電話も使いましたが、吉國さんに教えてもらった料金と掛けた回数を考え合わせみても、やはり法外な額です。どうもばあさんが未払い分をためていたようです。電話を切られますとタクシーも呼べませんので、局まで行って説明するしかないでしょう。

街の郵便局

電話局は郵便局の2階にありました。事情を説明して、使った分だけ払いたいので8月分の明細を教えて欲しいのですがと頼みましたら、何年かのうちには明細が分かるシステムになる予定ですが、今は分かりませんので、払っていただくしかありませんと言います。千何百ドルも払うのは大変ですので、何回か同じ説明をしているうちに、双方の前提の食い違いに気付き始めました。相手はとうとう根負けして、ではいくら払えますかと言います。私の頭には請求された限りは全額を払うべきだという固定観念があったのですが、どうやら1度に全部を支払わなくても済むようです。付けがきくというわけです。それならそうと、最初から言ってもらえれば苦労して説明に四苦八苦しなかったのにと思いますと、疲れが倍にも感じられました。水道や電気の場合もそうでしたが、督促状は来るものの、滞納しても別に利子がつくわけでもないし、一部でも支払えば、水道も電気も切られないで済むようです。大量に消費する白人側の圧力があるのかも知れません。これでは市の行政もやり難いに違いありません。

大学構内郵便局

空港では日本から運んで来た5つのトランクが吉國さんの奥さんを悩ませてしまいましたが、そのお蔭で衣類などの不自由を感じないで済みましたし、何よりも食欲を落とさずに過ごすことが出来ました。しかしトランクが多いと、移動時にはタクシーも1台では済みませんし、何かと不便です。イギリスのヒースロー空港では、トランクが多いのにつけこまれて不愉快な思いをしました。充分に用を果たしたところで、思い切ってトランクを2つに整理し、2つを船便で送ろうと考えました。1つはゲイリーに引き取ってもらおうと思います。

大学構内を歩くアレックス

ルカリロ小学校でもらった壷もあります。一抱えもある陶器の壷が、日本までの長い船旅の間に壊れないで宮崎まで届く保証もありません。近くのショッピングセンターに出かけて大きな篭を買ってきました。草の蔓で編んだ篭です。その中にザンビアや衣類を何重にも巻きつけた壷を入れました。トランクの分も含めて、大きな荷物が5つにもなりました。こちらのダンボールは紙の質が悪いので、日本から送られてきたダンボール箱を使いました。
5つの大きな荷物を、1つずつ自転車の荷台に乗せて、そろりそろりと大学の郵便局に運びます。最近出来たこの郵便局では、今までこんなに大きな荷物を送る人はいなかったようで、思わず係員の手を煩わせてしまいました。

大学構内

ジンバブエでは高額の切手は発行されておらず、2ドルの切手が最高です。従って、普段でも航空便などは、何十枚もの切手を舌で舐めて貼りつけます。表に貼りきれない場合は裏も使います。5つとも船便で200ドル前後の料金でしたので、その分で行けば、トランクは切手だらけになりそうでした。しかし、係員はしばらく考え込んだ末、本局に電話で連絡を取る決心を固めたようです。しかし、電話は例によってなかなか繋がりません。長時間の交渉の末、ようやく話が着いたようです。「本局に連絡を取って一括払いに出来るようにしましたから、明日の朝にでも受領証を取りに来て下さい。」と係員が言います。あまりにも気の毒でしたし、まだ4つも大きな荷物が残っていますので、2人の係員にどうぞとそれぞれ5ドル紙幣を手渡しました。ささやかなお礼のつもりでした。

毎回、大きな荷物を自転車で運んで係員の手を同じように煩わせるのは大変でしたが、それでもなんとか無事手続きを済ませることが出来ました。あとは、荷物が無事に宮崎まで届くのを祈るばかりです。

手を煩わせた係員には、その都度5ドル紙幣を手渡しました。毎回毎回大変そうだったからです。その甲斐があったのでしょうか、最初に5ドルを渡した翌日に窓口に行った時には、普段は無愛想に渡される切手を係員自らが貼ってくれました。そして、その次からは郵便局に足を踏み入れたとたんに、拳を握りながら親指を立てて、にっこりと合図を送ってくれるようになりました。

ハラレを発つ前日の金曜日に、長女と一緒に郵便物を出しに大学の郵便局に出かけました。ちょうど郵便局の向かいに売店が出来ていましたので、そこでコーラを買って差し入れをしましたら2人の係員に大いに喜ばれました。

郵便局を出たところで、アレックスとジョージに出会いました。コーラを買って来て、4人で一緒に飲みながらしばらく話しこみましだ。ジョージは栓抜きを使わずに上手に2本の瓶を操って栓を抜き長女を驚嘆させました。日本語でジョージはどう書くのかと質問されて、譲治かな情事かなと冗談まじりに、長女は両方ともノートに書いて見せていました。ジョージは、その他にも次から次へと長女に質問を浴びせかけて、日本のことなどを熱心に聞いていました。特に漢字を見て感心し、譲治の書き方を一生懸命に覚えようとしていました。アレックスもジョージも優しかったからでしょうか、長女はこの日からすっかりジョージのファンになってしまいました。

ジョージ(小島けい画)

10月3日の最終日の午前中に最終便を出しました。本の船便でしたが、なんと、2週間後に宮崎に戻った時にはすでに自宅に届いていました。船便で出した小包みを係員が航空便扱いにしてくれたようです。真偽の程は確かめようもありませんが、拳を握りながら親指を立てて、にっこりと合図を送ってくれた郵便局員からの温かいメッセージだったと受け取っておきましょう。

盗まれた自転車

9月26日の土曜日の朝早くのことです。まだ薄暗いのに、窓の外から騒がしい話声が聞こえて来ます。眠気眼を擦りながらカーテンの隙間から覗いて見ますと、ゲイリーとフローレンスがこちらを向いて何やら真剣な顔で叫んでいます。妻や子供を起こさないようにと気を遣いながら外に出て2人の話を聞いてみますと、自転車が盗まれたと言います。ガレージに置いてあった2台が、明け方のうちに姿を消したようです。

突き当たりがガレージ

自転車は鍵を掛けないまま、シャッターを下ろしていないガレージに入れてありました。しかし、ガレージの北の端の方に置いてありましたから、門の方角から見えることはありません。外部からは見えないわけです。

門から入れば、ガレージまで行くのに、私たちの寝ている部屋の真横を通るはずです。誰も物音には気付いていません。ゲイリーは、明け方にガレージでかすかに音が聞こえたと言います。

玄関に寝ているデインは、死角の位置にあって門からは見えませんが、物音がすれば起きないはずはありません。ゲイリーによれば、シャッターを下ろしていないガレージに自転車を鍵を掛けないままで置いていた、1週間先には私たちが帰国するので近いうちに自転車を処分するかもしれないという事情を知った上で、帰国する日の1週間前の金曜日の夜から土曜日の明け方を狙った(金曜日は、週給の給料日で酒を飲んで浮かれる確率が高いそうです)、しかもデインが吠えなかったなどを総合して考えると、やはり以前からここで働いていてデインを手懐けられる人間、つまりグレイスがやったとしか思えないと言います。もしそれが本当なら、グレイスの件はあれで終わってはいなかったわけです。

ゲイリーとデイン

ハラレの生活にも慣れ、誰もが気分的にも少々浮かれた状態になっていましたが、ショナ人から「あなたは短期滞在の外国人に過ぎないんですよ。」という強烈なメッセージをもらったような気がしました。こちらは知らないつもりでも、いつも周りから見られていたんだと改めて思い知らされました。場合によれば刃傷沙汰に及んだかも知れないと考えると背筋が寒くなりました。給料の1年分、2年分にも相当する自転車を盗むのですから、見つかった時のそれなりの覚悟を決めての犯行だったに違いありません。発見された場合、相手も必死ならこちらが怪我を負わされる可能性も充分にあり得たでしょう。盗みの現場をへたに発見しなくてよかった、自転車2台で済んでよかった、私たちはそう思いなおして胸を撫で下ろしました。

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自転車に乗ったゲーリー

ところがゲイリーの方はそうはいきませんでした。帰る時に処分しないで、ゲイリーたちに自転車2台を残していくつもりだったからです。自転車に乗れないフローレンスは毎日のように、庭で乗る練習を重ねていました。練習の成果があって、ようやく乗れるようになったばかりです。その落胆ぶりは、見ていて気の毒なほどでした。メイビィでさえ、泥棒が自転車を担いで歩く仕草を何度も披露して見せてくれました。ゲイリーから繰り返し話を聞いていたからでしょう。ゲイリーはどうしても諦められないらしく、この地域の白人が雇っている私設警察に届けに行くと言い出しました。この辺りの白人地区ならわかりませんが、ロケイションにいけば、盗んだ自転車を捜しだすのは100パーセント不可能だと思います。

しかし、ゲイリーの決意は固く、動きそうにありません。無駄を承知で、朝早くからゲイリーについて、家の向かいにある私設警察の小綺麗な木製の小屋を訪ねました。

おそらく、複数の手慣れた連中の仕業でしょうが、土曜日の明け方に音も立てずに2台の自転車を運び出した手際の良さはさすがです。妻は自転車だけで済むだろうかと心配で、熟睡し難くなったようです。

ゲイリーには済まないとは思いますが、誰にも怪我がなかったのが不幸中の幸いだったと今でも思っています。(宮崎大学医学部教員)

執筆年

2013年4月10日

収録・公開

「ジンバブエ滞在記22 ジャカランダの季節に」(No.56)

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「ジンバブエ滞在記22 ジャカランダの季節に」