『ナイスピープル』理解25:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告4

2020年2月29日2010年~の執筆物アフリカ,医療

概要

2011年11月26日に宮崎大学医学部で開催したシンポジウム「アフリカとエイズを語る―アフリカを遠いトコロと思っているあなたへ―」を何回かにわけてご報告していますが、前号でご紹介したシンポジウム「『ナイスピープル』理解24:シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告3」「モンド通信 No. 44」、2012年4月10日)の続きで、三番目の発表者山下創氏の報告です。

天満氏によるシンポジウムのポスター

本文

シンポジウム『アフリカとエイズを語る』報告(4):山下創氏の発表

会場で紹介するために司会進行役の南部みゆきさんが予め本人から聞いていたアフリカ滞在歴と経歴は以下の通りです。

「山下創(やましたそう)宮崎大学医学部医学科4年

2005年2月より2005年8月までの約6カ月間、難民を対象に医療を提供する現地NGO、ADEOのインターンとして、日本のドナー向けの報告書や広報資料、HIV/AIDSプロジェクトの運営・補佐を担当しました。2009年8月より9月まで(2週間)、国際医学生連盟 日本(IFMSA Japan)のAfrica Village Projectの活動の 一環として、健康教育や健康や食生活に関する意識調査などを行うため、ザンビアに滞在しました」。発表ではパワーポイントのファイルを使ってたくさんの写真を紹介していますが、写真は省いてあります。

「ウガンダ体験記:半年の生活で見えてきた影と光」    山下創

山下創氏

みなさん、こんにちは。
宮崎大学医学部医学科4年の山下創と申します。
本日は「ウガンダ体験日記、半年の経験から見えてきた影と光」と題しまして、自分が、アフリカのウガンダという国での約半年間のボランティアを通して見聞きし、考えたことの一部を皆さんにご紹介できればと思います。

私は、現在はここ宮崎大学の医学科4年生ですが、以前は東京の大学でイギリス地域文化研究と国際関係論という学問を学んでいました。そんな自分が、アフリカとのつながりを持つきっかけとなったのがイギリスへの留学。大英帝国として世界中に植民地を持った経験のあるイギリスには、アジアやアフリカの途上国から多くの留学生が学びに来ていました。自分たちとは全く異なる文化で生まれ育ち、将来のビジョンを明確に語る彼らがまぶしく、どうしても彼らの生まれ育った国が見てみたい、そうした思いが強くなり、どうせいくならば中でも最も厳しい状況に置かれている国を訪れてみたいと思い、いろいろと探していくうちに、ウガンダのNGOへのインターンが決まったのでした。

さて、まずはじめに、ウガンダという国について簡単にご紹介します。ウガンダの国土は日本の本州程度の大きさ、人口は日本の約1/4で、首都であるカンパラは標高1300mあまりの高地に位置しています。アフリカというと「暑い」というイメージがあるかと思いますが、ウガンダは高地であるためか、気温は最高でも30度台前半、朝などは10度台ととてもすずしく、植生も豊かなため、アフリカの真珠と呼ばれています。

また、アフリカの多くの国に共通する特徴ですが部族が50余り存在し、それぞれの部族が自分たちの言語を持っています。こうした異なる部族の間のコミュニケーションのため、公用語としては英語が使われています。宗教はキリスト教が6割、伝統宗教が3割、イスラム教が1割といった分布で、旧英植民地であったため、キリスト教徒が多いことが特徴となっています。寿命、所得、識字率などの指標を考慮して、国の豊かさを表す指標である「人間開発指数」では170ほどの国の中で143位と非常に低い所に位置しています。

日本とウガンダとのつながりという意味では、現地ではトヨタのハイエースが公共の交通機関として大活躍しているということがあります。またカンパラで唯一の信号機は、日本の援助機関であるJICAによって建てられたものであるということでした。さらに、ご存知の方は少ないかと思いますが、日本で売っている魚の缶詰、ウガンダのVictoria Lakeでとれたナイルパーチという魚が使われていることもあるのです。これからはぜひ缶詰の製造元にも注目してみてください。また、ウガンダに実在した通称「人食い大統領」イディ=アミンをとりあげた非常に有名な映画「The Last King of Scotland」というものがあり、アフリカの様子やアフリカ英語の雰囲気などもよく表現されていますのでよかったら一度ご覧になってください。

さて、それではこれから、私が現地でどんな活動をしてきたかご紹介することを通して、なかなか想像がしづらい、現地での国際保健活動、HIV/AIDSの予防啓発活動などについてお話し、現地で見えてきた光と影についてご説明できればと思います。

山下創氏

私がインターンをしていたNGOはADEO (African Development and Emergency Organization)というアフリカの現地NGOでケニア人医師が設立したNGOです。ケニア、ウガンダ、シエラレオネなどの国で保健医療、教育などの分野で活動していました。
私が訪れた北ウガンダでは、スーダンからの難民を対象に、プライマリケア、母子保健、治療などのサービスを提供していました。そんな中で、非医療者である自分は、できることはなんでもやる、みられるものは何でも見るという姿勢でいろいろなプロジェクトについてまわっていました。今回は、中でも印象に残った3つのトピックをご紹介します。

まず一つ目が「HIVテストとサッカーイベント」です。こちらの写真をご覧ください。
(男性がヤギをひいている男性に何か話しかけている写真を提示しました)HIVテストとヤギが何の関係があるのか、想像がつきますでしょうか。実は、このヤギ、サッカー大会の賞品として購入したものなのです。写真は、値段の交渉をしているところです。HIVテストを行い、感染率を把握することは、対策をするうえで非常に重要ですが、単に検査をする、といっただけではなかなか人は集まりません。そこで、ウガンダで大人気のサッカーイベントを開催し、その会場で検査も一緒にやってしまおう、というのがこのイベントです。予想した通り、イベントは大盛況、多くの人が検査とカウンセリングをうけていってくれました。

こちらの写真(優勝チームの集合写真。正面中央には賞品のヤギがうつっています)は、大会の勝利チームと賞品のヤギの集合写真です。この後、ヤギはチームのみんながおいしくいただきました。エイズというと暗い話題のように思われるかも知れませんが、なるべく地元の人たちに楽しんでもらえるように、そのうえで、彼らの健康を守れるように、活動の一つひとつに工夫がこらされていることが非常に印象的でした。

2つ目は「ポストテストクラブ」。さきほどのHIVテストと関係します。アフリカで一般的に行われているHIV検査は、VCT (Voluntary Counseling and Testing)と言って、皆さんに自発的に検査を受けてもらい、検査の前後には心理面のサポートや知識の提供を行うカウンセリングを必ず行います。このVCTを受けた若者が集まって、HIV/AIDSの予防啓発活動を行うようになったのが、Post Test Club(このテストはHIV検査のことです)と言います。クラブのメンバーにはHIV陽性、陰性にかかわらず、なることができ、歌や劇を通して、自分たちと同年代の若者たちにエイズに関する正確な知識の提供を行っていました。地域の健康を守りたいという強い意志から、ボランティアでこのような活動を行う若者たちに非常に大きな希望の光をみました。

最後に、私が半年間の活動を通して、常に接してきた「難民」のみなさんに関してです。ウガンダの北隣の大国スーダンは何十年にも及ぶ南北対立で当時、近隣諸国に多くの難民が流出していました。難民と言うと、仮のテントで暮らす姿をテレビなどでみられたことのある方もおおいかと思いますが、ウガンダでは10年単位で定住している難民も多く、ぱっとみでは現地の人であるのか、難民であるのかは区別がつかないことがほとんどです。ですが、すぐに定住できるわけではもちろんなく、難民の保護を主な活動とする国際機関であるUNHCRの審査を経て、順々に土地を与えられていきます。その登録地がNGOの事務所からすぐ近くのところにあったため、散歩がてらよく訪れていました。

そこで目にしたのは、難民認定されるまでの、彼らの過酷な暮らし。そして、難民と言っても、女性と子供しかいないという事実です。少し考えれば当たり前のことではあったのかもしれませんが、男性はみな戦争に駆り出され、母国に残り、逃げることができたのは女子供だけだったのでした。そのような状況でも笑顔を忘れない子供たち、私たち日本人と変わらない「教師になりたい」「パイロットになりたい」といった夢を持つ子どもたちに勇気づけられ、自分は彼らに何がしてあげられるのか、深くふかく考えさせられました。

時間もなくなってきましたので、最後のまとめに入りたいと思います。ウガンダから日本に帰ってきて、約6年、今、私はアフリカでの自分の経験を客観的に見つめなおし、整理しなおす段階に来ていると思っています。ですから、今回お話したことも、十分に整理されたものとはいえません。ですが、皆さんにお伝えしたいこと、それは、自分がウガンダでみてきた子供たちの笑顔であり、人の温かさであり、上を向いて歩くひたむきさです。

遠いところ、貧しい地域と思われがちなアフリカですが、私たちが学ぶべきことはとても多くあると感じています。約半年のウガンダでの滞在を通して今でもどうしても忘れられないエピソードが一つあります。私がインターンをしていたNGOの守衛さんも実はスーダン難民だったのですが、彼があるとき、ぼろぼろの本を熱心に読んでいるのをみかけました。何を読んでいるのかと思ってみてみるとそれは英語の辞書だったのです。『なんで辞書なんか読んでいるんだい?』そう聞くと彼は答えました。『自分がいつかもっといい職につけるチャンスが巡ってくる、その時のために、自分の英語を磨いておきたいんだ』このひたむきさが、未来を創るパワーになると確信しています。今回の発表を通して、皆さんにとってアフリカが少しでも身近なものと感じられたのであればとてもうれしいです。
ご清聴ありがとうござました。

宮崎医科大学(現在は宮崎大学医学部、旧大学ホームページから)

次回は四番目の発表小澤萌:「ケニア体験記:国際協力とアフリカに憧れて」をご報告する予定です。(宮崎大学医学部教員)

石田記者

毎日新聞の報告記事

執筆年

2012年5月10日

収録・公開

「モンド通信 No. 45」

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