HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:院生初日
院生になった。推薦書や甲南女子大(↑)で大騒ぎしたが辛うじて、である。(→「大学院入試2」、6月10日、→「分かれ目」、6月11日)教員の再養成のための大学院大学ではあるにしろ、修士号は取れる。それから先のことはどうなるかわからないが、先ずは修士論文である。県立高校の教員は地方公務員だから、県からの給与が出て、教諭として県から研修のために大学院大学に派遣されるという形を取っていたようである。名目上はそうだが、学生が管理者の意図通りに動くとは限らない。生憎規則通りに動く、優等生ではない。優等生は元々苦手だ。入学式の通知があったが、行かなかった。さぼったわけである。一度すべてを諦めたつもりになったとき、わからないものをわかった風に生きるのはやめよう、今までのすべてをもう一度整理して、出来る限りしたくないことはやらないでおこうと決めていた。式などの類は、出来れば避けたい部類に入っていた。大学の入学式(→「大学入学」、3月27日)に出てしまったのは、連敗続きでよほど気持ちが萎えていたから、ということにして、今回の式は避けたかった。それだけである。初めての顔合わせなのかも知れないが、これから嫌でも顔を合わせる。
新学期が始まった。どの授業を取るか、修士論文を書くためのゼミはどうするかなど、最初に決めなければいけないことが多いようで、行く方がいい気がしたので出かけた。行き始めてわかったのだが、さすがに教員の再養成のために作られただけはある、ほとんどが教頭や校長になりたい人の集まりのようだった。ただ私が選んだのは教科・領域専攻言語系教育コースのようで、大学、学部の名前も入れると、なんか後ろめたいことがあるのかというほど長い名前である。ほとんどが管理職を狙う人たちのなかでは、わりと稀有な場所だったようで、言語系には国語と英語の2コースがあり、英語は14人だった。20代もいたが、わたしのような30代と40代前半が多く、50を超えている人もいた。一人だけ大学を卒業したばかりの人がいた。行き始めて少しずつわかってきたが、若い時に経済的に勉強の時間が取れなくて、純粋に勉強時間を確保したくて来た人たちもいるようだった。大人で落ち着いて、しっかりと地に足をつけて生きている感じがして好感が持てた。数は僅かで、戻ったら管理職になりそう、と一目でわかる人も多かった。
その日、14人が大きな部屋に集められた。十人ほどの教員も来ているようだ。専攻を何にするか、ゼミはどうするかなどを決めるようだった。大きな部屋に集められた。入学式にも行っていないし一応意思表示は必要な気がして、一番後ろの席に座った。教師も含め全員が前の方に座り、私だけが大きな部屋の一番後ろに一人という構図になった。出来れば構わないで放っておいてもらえたらというささやかな気持ちだった。始まったとたん、前に来るように言われた。渋々集団から少し離れた後ろの席に移った。色々説明があったが、なぜか研究者になった場合の英語分野の可能性についての話もあった。英語教育の分野は比較的歴史の浅いので可能性は高く、言語学の分野はほとんど可能性はなく、文学はまったく可能性はないというのが現状です、というような話だった。現職教員の再養成課程なので、原則的には派遣された学校に戻るのが前提だから、しなくてもいい話にも思えたが、現役で入ってきた人も要るし、戻らない人もいるとの前提だったのか。説明した人が英語教育の分野の人で、自分のゼミに誘おうとしていたのか。その話を聞けば、英語教育を選ぶのが妥当なのだろうが、選んだのはもちろん文学である。その説明のあと、一人一人が大学に来た理由と大学でしたいことを聞かれた。他の人が何を言っていたのかは覚えていないが、私は高校では一杯一杯の生活で疲れ果て、常に寝不足気味だったので、ゆっくり休みに来ました、休めれば充分ですとだけ言った。教員の一人に専攻は決めてもらわないとゼミも決められないので困ると言われたが、取り敢えず休めたらいいですと返事した。こちらの意思が伝わったどうか。私の院生初日である。
次回は、大学院大学、か。