つれづれに:反体制ーグギさんの場合2
今日は金曜日、マッサージをしてもらいに白浜に出かけた。風のきつい日以外は、曽山寺浜から海岸線の歩行者・自転車専用道路に入る。3週間続けて雨にやられたが、そのあと3回続きで晴れてくれた。橋を少し登ってから見える海の景色(↑)はなかなかである。最近は週に一度手入れをしてもらうペースが出来ている。歳を取るといろいろな所で体が悲鳴を上げるようで、最近はとみに関節の節々が痛くなる。毎回ありがたいなあとしみじみ感じながら揉んでもらっている。
今回は、反体制ーグギさんの場合2である。
前回は『作家、その政治とのかかわり』の序の私の日本語訳を紹介したが(→「反体制ーグギさんの場合1」、6月2日)、今回は、母国語で書く重要性と民衆とともに闘う必然性を説いている部分の日本語訳の紹介である。そう考えて書き始めてみたが、量がかなり多いので、また分けることにした。先ずケニアの日頃の文化状況についてである。序では、「毎日の生活を形成する階級の権力構造と文学が無縁ではいられ」ず、作家は「民衆の側なのか、民衆を抑圧し続けようとする社会権力や階級の側なのか」を選ぶしか選択の余地はないと強調している。ケニアの人はどんな文化状況の中で生活しているのか。少し長くなるが、いかに外国資本に食い物にされているかを書いた件(くだり)の日本語訳である。『作家、そのの政治とのかかわり』の第一部(文学、教育―国を思う国民文化のための闘い)第3章にケニアの文化状況が詳しく書かかれている。
グギ・ワ・ジオンゴ『作家、その政治とのかかわり』
「ケニア人の文化―生きのびるための国民的な闘い」の中の以下の件(くだり)である。
「今日、ケニアの生活の中心的な事実は外国の利益を代表する文化の力と、愛国的国民の利益を代表する力の間の猛烈な闘争です。その文化的な闘いは日頃から見ていない人には必ずしもはっきりとは見えないかも知れませんが、そんな人も、ケニアの生活が外国人と外国の帝国主義的文化の利益に実質的に支配されているのを知ったらきっとびっくり仰天すると思います。
そういう人たちがもし映画を見たいとしたら、外国人所有の映画館(たとえば、トゥエンティ・センチュリィズ・フォックス)に行って、アメリカ配給の映画をみることになるでしょう。配給映画は、インドシナのアメリカ帝国主義的冒険主義に少し批判的な『帰郷』などの穏やかな秀作から、最後の審判の日や人類の文明の終末という意味で言えば、変革や変革の可能性が見られる『オーメン』や『マジック』などの大量生産された知性のかけらもない駄作まで様々です。変革の手先は悪魔なのです。ヒーローたちは(もちろんすべてアメリカ人ですが)、アメリカドルと銃によって保障されている現在の安定を脅かす、黄泉の国あるいは宇宙からきた悪漢と闘う人たちです。
同じ人が今度は日刊新聞を買い求めたいと思えば、パリのアガ・カーン所有のネイション紙かロンドンのタイニー・ローランド社のロンロ所有のスタンダード紙かのどちらかしかありません。このように、ケニア人の読者に開かれたマスコミの二大手段は外国人帝国主義者の会社が所有しているのです。編集者はケニア人かも知れません。しかし、編集方針と外国人所有者の間で意見の食違いが合った時は、譲らなければならないのは、ケニア人側なのです。
訪れた人でもしケニアの出版社をみたいとしたら、ハイネマン、ロングマン、オクスフォード、ネルソン、マクミランなどの有名な外国の会社のケニア人の支局長が温かく歓迎してくれます。ただひとつの例外は、ケニア政府所有のケニア文学局です。そういった出版社はケニア人によって書かれた本を出版することもあります。しかし、本の出版は質量ともに外国人の思いのまま、手の内にあるということです。
ゴンドワナ創刊号(横浜:門土社、1984年9月)
ハイネマンアフリカ支社長ヘンリー・チャカバさんの祝辞
さて、今度は学校を訪れるとしましょう。ケニア人の子供の生活は、小学校から大学までとそれ以降も、英語が支配的です。スワヒリ語とすべてケニアの国語が必修ではないというばかりではなく、フランス語とドイツ語ともうひとつの中から一つを選択するという選択肢の一つの言葉というに過ぎないのです。ケニアを構成する民族の言葉を完全に蔑ろにしています。このように、ケニアの子供はこういった外国語、つまり西ヨーロッパ支配階級の文化が伝える文化をすばらしいと思いながら育ち、自分自身の民族の言葉、つまり国民文化に根ざしたケニア農民が伝える文化を見下します。言葉を換えて言えば、学校は子供たちが国民的で、ケニア的なものを蔑み、たとえそれが反ケニア的であっても、外国的なものをすばらしいと思うように育てるのです。この過程は子供たちが勉強するように仕向けられる文学によってその速度が加速されます。だから、シェイクスピア、ジェーン・オースティン、ワーズワースがケニアの学校の文学の分野でいまだに支配的なのです。ケニアの言語状況は、ケニア人(大半は農民)の九十パーセント以上が、書かれた言葉で行なわれている国民的な論争にまったくと言っていいほど関わりを持っていないということになります。」
文学も「毎日の生活を形成する階級の権力構造」と無縁ではいられず、「民衆の側」を選択した作家として、ナイロビ大学の教員として文学部の三大企画「ケニアの学校の教材として相応しい文学の検討、文学と社会に関する連続公開講座、無料移動劇場」にグギさんは取り組み、「リムルの農民や労働者の文化活動」に深くかかわる中で反体制の色が濃くなった。その手始めが母国語のギクユ語で書き始めることだった。農民が読めないと話は始まらないからである。その現状のなかで、ケニアの人たちは何をすべきか。
ナイロビ大学
「ケニアの人々は歴史を振り返ればいいのです、そうすれば他のものをやみくもに真似てみたり他人と同じことを繰り返してみたりして栄えた文明があったためしがないことに気付くでしょうし、いかに意志があり、賢明で才能に恵まれていても、或いはいかに独創的であっても、外国人が私たちの文化や言葉を私たちのために発展させられはしないことも分かるでしょう。ケニアの文化と言葉を発展させられるのは、国を愛するケニア人だけなのです。私たち国民の産物であり、その歴史を正しく映しだしている文化だけが、ケニア人の共同体の最前線にケニアを押しやることが出来るのです。人々が働かないからではなく、富がアメリカや西ヨーロッパや日本の少数の怠惰な階級に食物や衣服を供給したり、その人たちを庇護するために使われているがゆえに、現在、人類の四分の三以上が物乞いと貧窮と死に追いやられているという社会的共食い状況から逃れて、現代の人間文明を打ち建てる手助けになれるのはそのような文化なのです。
帝国主義者と国民の利益の間の現在の文化闘争の中では、世界の農民や労働者から掠め取る儲けを独占出来るロンドンやニューヨークやその他の地位の立場にいる金融業者にたいして破れかけのズボンをはいた慈善家であるこれまでの立場を完全に拒絶した国民の力と自信を現代のケニアの国民文化が反映すべきだという見方を、大部分のケニア人が持ってほしいと私は思います。」
小島けい挿画(『アフリカとその末裔たち』)
「民衆の側」を選択したグギさんは、自らの母国語で書き始めた。
次回は、反体制ーグギさんの場合3、か。ギクユ語と英語を含む言葉についてである。