南アフリカ概論

連絡事項:来週授業あります。月曜日振替は再来週でした、ごめんなさい。

* 「ガンジー」の感想文、来週出してや。

11月7日6回目の授業でした。

①1652年から1910年辺りまでの確認、②牛谷くんのガンジーの発表、③関連の映像、④ガンジーの映画の冒頭20分余り、でした。

1652年から1910年まではもう一回貼っときます。↓

*1652年 オランダ人が到来
*1795年 イギリス人のケープ占領
*1833年 イギリス人の奴隷解放(オランダ人の敗北)
*1854年頃 イギリス人、オランダ人で4州を棲み分け

* ダイヤモンド(1867)と金(1886)の発見
*1910年 南アフリカ連邦

牛谷くんもガンジーについてしっかり発表してくれたね。感心です。ちょうどガンジー批判の記事を配れてよかったです。パワーポイントにあったKaffir、白人の言ってたSmart bloody kaffirは聞き取れたかいな。

映像はズールー人、ズールー戦争、ダイヤモンドの発掘の様子、ナタールの砂糖黍畑で働かされる少年。

関連してセシル・ローズとジンバブエの侵略の話もしました。

<次回は>

* 登録修正期間が過ぎたんで、来週は一度名簿で名前を確認するね。

* 1652年から1910年辺りまでの映像の残り(金鉱、メイドなど)
* ジンバブエの話

* (時間があれば)曲を少し、アパルトヘイト政権の誕生とアフリカ人の解放闘争の話も少し。

来週、また。

<配ったプリント>

* 「ガンジー」の感想文(B5表1)

* ガンジーについての英文記事(A4表裏1)
* ジンバブエについての英文と日本語(B4表裏2)

************

干し柿の季節で、今年干したのは40個。倍くらいなってたと思うけど、無事生き残って干せるのはそれくらい。

小島けい画

前にホームページで何回か書きました。↓

2008年12月31日

渋柿を干し出してから二十年以上になります。長女が生まれてから少し経った頃、どさくさに紛れて奥さんのお父さんの家に転がり込んで明石海峡の近くで暮らし始めました。庭に渋の木があって、ある年からその柿を剥いて縁側に干し始めました。そう大きくない丸い柿だったけど、そのうち大きい長細い柿を八百屋の店先に見つけて庭先に吊し始めました。家は誰も住まなくなった時に震災にやられて、廃屋の姿を晒していたんで侘びしかったと弟が電話でしゃべってたような。更地にして人手に渡ったそうやから、あの柿の木も今はもうこの世に存在していないわけです。

明石にいた頃、家族でサンフランシスコへ行く前に寄ったハワイで長女と

二十一年前に宮崎に来てからも干し柿作りは続いていましたが、今年は箱で渋柿が出回る頃に柿を買う心の余裕もなくて、とうとう干し柿も作れませんでした。

渋柿を吊せなかった、今年が暮れる      我鬼子

2009年11月 26日

今年初めて一つ柿が実をつけました。桃栗三年柿八年と言うようですが、少し早くなったようです。
多分苗木を買ったとき、西条柿の札がついていたと思います。裏庭になっていた丸い柿を干したのが干し柿作りの最初です。二十数年前に明石に住んでいた時のこどです。そのうち八百屋の店先で西条柿を見つけて干すようになりました。苗木は、いつだったか、宮崎神宮の植木市で目にしたものだったようなあやしい記憶がありますが。

今年は二箱の柿を買って干しています。

2010年11月23日

今日は柿を干しました。たしか西条柿という名の大きな渋柿です。
去年初めて家で植えた木に一つ実がなりました。今年は三つなりました。五つ実をつけていたと思うのですが、最終的には三つだけしか残りませんでした。
お腹をこわしたとき、真っ白な麹と糯米で造った甘酒と干し柿と、胃の粘膜によさそうなつくね薯とおかゆを食べました。手間と時間がかかりますが、弱った胃にはやさしかったように思います。

今使っている清武のカネコ味噌が作っている麹

剥いて陽に干すだけですが、何とも言えない色艶と甘みが出ます。
時間と気持ちがないとなかなか造れないのですが、今年は近所の八百屋さんで買い求めたものと合わせて一回目の準備が出来ました。
秋が終ってしまいそうです。

過ぎ行く秋の陽に、柿を干す   我鬼子

2011年11月23日

今年は柿が13個もなりましたが、干せたのは8つです。一つは色づいたなと思ってよく見たら熟し過ぎてしまっていてそのあと落ちてしまいました。慌てて何個かちぎりましたが、ずっと雨が続いて干せない間に3つが熟してしまいました。長雨の間に、順調に育っていたブロッコリーもリーフレタスも完璧に虫にやられて、無残な姿をさらしています。薬はよう使わないので、一匹ずつ殺すしか今のところ方策はありません。殺生をして虫のえさを横取りする存在です。
すべて、何やらあやうい毎日です。

句も出ず、霧島降ろしに柿を干す   我鬼子

奥さんのブログにも柿を使った本の表紙絵を紹介しています。

「本紹介8 『馬車道の女』」

「本紹介20 『一番美しく』」

「本紹介48 『随所に主宰とならん』」

額入りの絵も紹介しています。

「柿」

ビジネス英語 I-2(2)

連絡事項→前回「次々回『金のフレーズ』⑥例文1~50まで目を通す、解説するんで。」と書いたんやけど、発表が少し残って残りの時間をみて、やるかどうか決めるね。いずれにしても、⑥例文1~50までは目を通しといてや。

11月6日(水)、月曜日の振替で4回目の授業でした。

5つグループが発表、そのうちの2つは次回工夫してもう一回、きょうやれなかった一つは次回に。

何点か工夫するだけでだいぶようなると思うよ。

* 何人かに言ったと思うけど、はっきりと大きな声で(マイクをうまく使って)。折角内容があっても、相手に伝わるのが一番の条件やから。

* 文字だけ並べるのは逆効果。言ったあとに文字を出すとかの工夫、的確な画像を入れるとかも必要。

* 役割分担をして協力。パワーポイントの画面を変える、次の人との繋ぎをスムーズに、全体の解説もわかりやすく誰かが分担。

* 基本的に、自分が聞く側になって考えて、聞いて、見てわかりやすいなあ、面白いなあと思えるかどうか。

折角の機会やから、ゼミや卒業論文の発表や、仕事についてからのプレゼンなどに役に立つように、間違ってもいいんで積極的にあれこれ試して楽しんでみるとええな。

グループで発表するんやから、誰かが来ないと発表出来ないこともあるんで、極力みんなで力を合わせてやってみてや。

全体的には、1年の時より、やっぱり少しはしっかりして来たように思うけどね。多い人は授業で顔を合わすのが4回目やもんなあ。

<次回>

* 発表:まだのグループ一つと工夫してもう一回の二つ。
* 呉さんと中村くんと濟陽くんの発表。
* (時間があれば)『金のフレーズ』⑥の50までの解説。

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干し柿の季節で、今年干したのは40個。倍くらいなってたと思うけど、無事生き残って干せるのはそれくらい。

小島けい画

前にホームページで何回か書きました。↓

2008年12月31日

渋柿を干し出してから二十年以上になります。長女が生まれてから少し経った頃、どさくさに紛れて奥さんのお父さんの家に転がり込んで明石海峡の近くで暮らし始めました。庭に渋の木があって、ある年からその柿を剥いて縁側に干し始めました。そう大きくない丸い柿だったけど、そのうち大きい長細い柿を八百屋の店先に見つけて庭先に吊し始めました。家は誰も住まなくなった時に震災にやられて、廃屋の姿を晒していたんで侘びしかったと弟が電話でしゃべってたような。更地にして人手に渡ったそうやから、あの柿の木も今はもうこの世に存在していないわけです。

明石にいた頃、家族でサンフランシスコへ行く前に寄ったハワイで長女と

二十一年前に宮崎に来てからも干し柿作りは続いていましたが、今年は箱で渋柿が出回る頃に柿を買う心の余裕もなくて、とうとう干し柿も作れませんでした。

渋柿を吊せなかった、今年が暮れる      我鬼子

2009年11月 26日

今年初めて一つ柿が実をつけました。桃栗三年柿八年と言うようですが、少し早くなったようです。
多分苗木を買ったとき、西条柿の札がついていたと思います。裏庭になっていた丸い柿を干したのが干し柿作りの最初です。二十数年前に明石に住んでいた時のこどです。そのうち八百屋の店先で西条柿を見つけて干すようになりました。苗木は、いつだったか、宮崎神宮の植木市で目にしたものだったようなあやしい記憶がありますが。

今年は二箱の柿を買って干しています。

2010年11月23日

今日は柿を干しました。たしか西条柿という名の大きな渋柿です。
去年初めて家で植えた木に一つ実がなりました。今年は三つなりました。五つ実をつけていたと思うのですが、最終的には三つだけしか残りませんでした。
お腹をこわしたとき、真っ白な麹と糯米で造った甘酒と干し柿と、胃の粘膜によさそうなつくね薯とおかゆを食べました。手間と時間がかかりますが、弱った胃にはやさしかったように思います。

今使っている清武のカネコ味噌が作っている麹

剥いて陽に干すだけですが、何とも言えない色艶と甘みが出ます。
時間と気持ちがないとなかなか造れないのですが、今年は近所の八百屋さんで買い求めたものと合わせて一回目の準備が出来ました。
秋が終ってしまいそうです。

過ぎ行く秋の陽に、柿を干す   我鬼子

2011年11月23日

今年は柿が13個もなりましたが、干せたのは8つです。一つは色づいたなと思ってよく見たら熟し過ぎてしまっていてそのあと落ちてしまいました。慌てて何個かちぎりましたが、ずっと雨が続いて干せない間に3つが熟してしまいました。長雨の間に、順調に育っていたブロッコリーもリーフレタスも完璧に虫にやられて、無残な姿をさらしています。薬はよう使わないので、一匹ずつ殺すしか今のところ方策はありません。殺生をして虫のえさを横取りする存在です。
すべて、何やらあやうい毎日です。

句も出ず、霧島降ろしに柿を干す   我鬼子

奥さんのブログにも柿を使った本の表紙絵を紹介しています。

「本紹介8 『馬車道の女』」

「本紹介20 『一番美しく』」

「本紹介48 『随所に主宰とならん』」

額入りの絵も紹介しています。

「柿」

英語 Ra2(2)

11月6日(水)、月曜日の振替で4回目の授業でした。

またいろいろ話をして、コメントを5人に聞いて、『金のフレーズ』①の解説を途中まで。それしか出来なかったね。

この前提案したoral checkや筆記試験は、連絡をくれれば僕の部屋でも、授業の前後でも、或いは二人で組んでやってもええと思うよ。

<次回>今回出来なかった分。

* (吉岡さんが言ってたように)トーイック関連30分、①の解説の続きとPart 3の続き。
* コメント(何人か)
* 「ルーツ」の映像の続き(奴隷船、奴隷市)
* プリントの3枚目のAfro-American songs: spirituals and gospel music by African descendantsの1ページ目と2ページ目の途中まで(Steal awayの前まで)、小林くんは次回来られなくて誰かに頼むそうで、次回にやってもらえなかったら次々回に。
* the Battle Hymn of the Republicの映像

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干し柿の季節で、今年干したのは40個。倍くらいなってたと思うけど、無事生き残って干せるのはそれくらい。

小島けい画

前にホームページで何回か書きました。↓

2008年12月31日

渋柿を干し出してから二十年以上になります。長女が生まれてから少し経った頃、どさくさに紛れて奥さんのお父さんの家に転がり込んで明石海峡の近くで暮らし始めました。庭に渋の木があって、ある年からその柿を剥いて縁側に干し始めました。そう大きくない丸い柿だったけど、そのうち大きい長細い柿を八百屋の店先に見つけて庭先に吊し始めました。家は誰も住まなくなった時に震災にやられて、廃屋の姿を晒していたんで侘びしかったと弟が電話でしゃべってたような。更地にして人手に渡ったそうやから、あの柿の木も今はもうこの世に存在していないわけです。

明石にいた頃、家族でサンフランシスコへ行く前に寄ったハワイで長女と

二十一年前に宮崎に来てからも干し柿作りは続いていましたが、今年は箱で渋柿が出回る頃に柿を買う心の余裕もなくて、とうとう干し柿も作れませんでした。

渋柿を吊せなかった、今年が暮れる      我鬼子

2009年11月 26日

今年初めて一つ柿が実をつけました。桃栗三年柿八年と言うようですが、少し早くなったようです。
多分苗木を買ったとき、西条柿の札がついていたと思います。裏庭になっていた丸い柿を干したのが干し柿作りの最初です。二十数年前に明石に住んでいた時のこどです。そのうち八百屋の店先で西条柿を見つけて干すようになりました。苗木は、いつだったか、宮崎神宮の植木市で目にしたものだったようなあやしい記憶がありますが。

今年は二箱の柿を買って干しています。

2010年11月23日

今日は柿を干しました。たしか西条柿という名の大きな渋柿です。
去年初めて家で植えた木に一つ実がなりました。今年は三つなりました。五つ実をつけていたと思うのですが、最終的には三つだけしか残りませんでした。
お腹をこわしたとき、真っ白な麹と糯米で造った甘酒と干し柿と、胃の粘膜によさそうなつくね薯とおかゆを食べました。手間と時間がかかりますが、弱った胃にはやさしかったように思います。

今使っている清武のカネコ味噌が作っている麹

剥いて陽に干すだけですが、何とも言えない色艶と甘みが出ます。
時間と気持ちがないとなかなか造れないのですが、今年は近所の八百屋さんで買い求めたものと合わせて一回目の準備が出来ました。
秋が終ってしまいそうです。

過ぎ行く秋の陽に、柿を干す   我鬼子

2011年11月23日

今年は柿が13個もなりましたが、干せたのは8つです。一つは色づいたなと思ってよく見たら熟し過ぎてしまっていてそのあと落ちてしまいました。慌てて何個かちぎりましたが、ずっと雨が続いて干せない間に3つが熟してしまいました。長雨の間に、順調に育っていたブロッコリーもリーフレタスも完璧に虫にやられて、無残な姿をさらしています。薬はよう使わないので、一匹ずつ殺すしか今のところ方策はありません。殺生をして虫のえさを横取りする存在です。
すべて、何やらあやうい毎日です。

句も出ず、霧島降ろしに柿を干す   我鬼子

奥さんのブログにも柿を使った本の表紙絵を紹介しています。

「本紹介8 『馬車道の女』」

「本紹介20 『一番美しく』」

「本紹介48 『随所に主宰とならん』」

額入りの絵も紹介しています。

「柿」

アフロアメリカの歴史と音楽

10月31日5回目の授業でした。もう三分の一が終わり、あと10回です。

Golden Gate QuartetのJoshua Fit the Battle of Jericoを聞き、

「ルーツ」の船底での船長と奴隷商の交渉の場面、クンタ・キンテの売られた奴隷市、「マンディンゴ」の奴隷市、農園での奴隷売買の場面。

それからthe Battle Hymn of the Republic、High Noon(真昼の決闘)の教会の聖歌隊、Gospel Award CeremonyのDionne Warwick、それに「五つの銅貨」(five pennies)のトランペットとコルネットの共演

「五つの銅貨」(five pennies)はいつでもコピーするんでどうぞ。映画の解説です↓

「五つの銅貨」日本語字幕、117分

http://homepage1.nifty.com/Kinemount-P/five-pennies.htm

five pennies「五つの銅貨」(1959年)(解説) “五つの銅貨”、“ラグタイムの子守唄”、“リパブリック賛歌”、“聖者の行進”・・・変幻自在なメロディーとリズムを思い出すたび、口ずさむたびに胸の熱くなる映画です。デキシーランド・ジャズのコルネット奏者、レッド・ニコルズ(1905-65年)の伝記をもとにした音楽映画の傑作。

ニコルズは、妻をボーカルに据え、ファイヴ・ペニーズを結成して成功をおさめますが、娘が小児麻痺で倒れると、コルネットを捨て、音楽を捨てます。彼はカムバックできるのでしょうか?

ダニー・ケイがニコルズを演じ、コルネット演奏(録音)は、ニコルズ本人によるもの。ニコルズはこの映画の6年後に世を去りました。『ベニー・グッドマン物語』と同じく、本人の生前に作られた伝記映画でもあります。

“五つの銅貨”と“ラグタイムの子守唄”は、ダニー・ケイ夫人のシルヴィア・ファイン作曲だそうです。ニコルズとその愛娘とサッチモが酒場で同時に別の歌を唄うところはすごかったですね。コード進行が同じなので、違和感なく唄えるのだそうです。

ラジオ録音の失態シーンなど、ダニー・ケイはそのコメディアンぶりをいかんなく発揮しました。サッチモとの掛け合いは実に見事で、聴いていて壮快でしたね。サッチモの前でサッチモの真似をする可笑しさ!

ケイ自身の芸風ゆえでしょうか、自己破滅型、暴走型の性格描写は、ニコルズ本人の性格なのかどうか、僕は知りません。しかし、他の追随を許さず、自己流を貫き通す描写があるだけに、彼がコルネットを捨てる場面は見ていて辛いものがありました。

それ以上に、造船所で働く場面、娘の誕生パーティーの場面は、夢を捨てた男の悲しさが伝わってきて、身につまされます。そんな風に人物描写と音楽を丁寧に積み重ねて、そうして最後のシーンに行きつくワケですから、ラストシーンは涙なくして見られないんですねえ。

ニコルズの妻を演じたバーバラ・ベル・ゲデスは、名前の音感とは違って(笑)、はつらつとした健康的な親しみやすさが魅力でした。『めまい』でステュアートを見守る元婚約者を演じた女優さんでもあります。歌はアイリーン・ウィルソンによる吹き替えなのだそうですが、バーバラ自身の歌声と聞き違うほどピッタリの歌声でした。

この映画の魅力のひとつに色彩、照明があります。ちょっとやり過ぎの感はなきにしもあらず、ですが、最初のタイトルバックから目を楽しませてくれる撮影でした。ジャズのムード、バーバラのブロンドの美しさ、それら全てが手に取るように伝わるカラーのうれしさ、たのしさを溢れさせた色使い、光のあて方だったと思います。

<次回は>

* 何人かのコメント
* 英文(SLAVERY SLAVE TRADEとAfrican American songs)
* 「ルーツ」とゴスペルを少々。

来週、またね。