<連絡事項>
* 10回目授業→7月10日(月)10:15~11:30。
授業では
* 授業についてのコメント数人(続き)
* 映像:「アウトブレイク」
* ザイールのその後:Zaire’s Turmoil Invites an African SolutionとPushing Kabila on early election unrealistic、(追加で配った資料の中の)Looking back in Anger: Life in Mobutu’ Zaireで解説。長いけどなかなかおもしろいので読んでや。ニエレレについては二冊目の英文で書いたことがあります。本文と日本語訳を貼っときます。→Africa and its Descendants 2
次回は
* 授業についてのコメント数人(続き)
* 発表:The colonization of Africa: Precolonial Africa(恒吉さん)
* 発表:西アフリカの王国(戸高さん)、トワレグ人(小島さん)、カイロ(梅山さん)
* 発表:The colonization of Africa: The first colonialists(田代くん)
* 時間があれば「アフリカシリーズ」の映像
* 時間があれば『金のフレーズ』①の解説。
Africa and its Descendants 2
The fundamental problem is a matter of structure and system, something which so many Africans have tried to address. But most of them, like Nkrumah, failed. Julius Nyerere, Kenneth Kaunda, and other African leaders also tried in vain.
根本的な問題は、構造と体制の問題で、本当にたくさんのアフリカ人々が何とかその問題を解決しようと努めてきました。しかし、エンクルマのように大抵の人が失敗してきました。ジュリアス・ニエレレやケネス・カウンダやその他のアフリカ人指導者も挑戦しましたがだめでした。
In Tanzania, Nyerere adopted his new policy called 'ujamaa’ in 1967. It was a kind of African nationalism based on the traditional values of sharing and co-operation that existed among African families. Unfortunately the policy was unsuccessful. He shared his recollections in the MBTV program:
タンザニアでは、ニエレレが1967年にウジャマーという新しい政策を採用しました。その政策は、アフリカ人家庭に生き続ける分かち合うことと協力し合うことという昔ながらの価値感を基にしたある種のアフリカ民族主義でした。運悪く、その政策はうまく行きませんでした。イギリスMBTVの番組の中で、ニエレレは当時を振り返って語っています:
When we were preparing our first five year development plan, the price of our sisal was a hundred and forty eight British old pounds before devaluation, a hundred and forty eight pounds per ton. We felt this price would not likely to continue, so we planned on the basis that we might average ninety five pounds per ton. It dropped down to less than seventy. We can’t win. . . . What can we do? What really can we do? What can a primary producer do? What do we do with our sisal, eat it, I mean, what can we do with sisal, we produce the sisal, we have to sell sisal. If the world market price goes down, what can we do? I mean, really, in a world of vultures, what can you do? I mean, really, we have to suffer.
1回目の開発計5年画を準備していた時、サイザル麻の値段は1トンにつきの通貨切り下げ以前の旧イギリスポンドで148ポンドでした、トン当たり148ポンドだったんですよ。この価格はそう続かないだろうと考え、1トンが平均で95ポンドなるようにという基準で計画を立てました。しかし、実際には70ポンド以下に下がりました。とても太刀打ち出来ませんよ・・・。私たちに何ができます? 本当に何が出来ますか。第一次生産者に何が出来ます?サイザル麻をどうしろと言うんです、食べるんですか、一体サイザル麻をどうしろと言うんですかね。サイザル麻を生産したら、売るしかないんですよ。もし、世界市場の価格が下がったら、私たちに何が出来るんですか。弱肉強食の世界で、一体私たちに何が出来ると言うんですか。苦しむのは、いつも私たちですよ、ほんとに。
By the mid-1980s the country was crippled by a huge foreign debt and declining agricultural and industrial production. Tanzania was forced to accept a drastic program of 'structural adjustment’ so as to qualify for continued foreign loans from the World Bank. The government was forced to cut back on those aspects of its policy that had been relatively successful under ujamaa, like health and education. Nyerere retired from the presidency in 1985.
1980年代の半ば頃までに、国は巨額の外債と農業、産業製品の生産が落ち込んで立ち行かなくなっていました。タンザニアは世界銀行からの外国債継続の資格を得るために「構造上の調整」という思いきった計画を受け入れざるを得なくなりました。政府はウジャマー政策の下で比較的うまく行っていた医療や教育のような政策の見方の見直しを迫られました。1985年、ニエレレは大統領職を退きました。
クラス名簿(再掲載)2020年前期 英語 Ra1(2)クラス名簿(31名)
30170030 | 井戸 颯人 | イド ハヤト |
30200049 | 池ノ上 将基 | イケノウエ シヨウキ |
30200092 | 梅山 愛梨 | ウメヤマ アイリ |
30200100 | 押領司 尚美 | オウリヨウジ ナオミ |
30200137 | 尾崎 ちひろ | オザキ チヒロ |
30200186 | 加藤 大地 | カトウ ダイチ |
30200205 | 川越 晴登 | カワゴエ ハルト |
30200232 | 北村 詩歩 | キタムラ シホ |
30200250 | 串間 怜央 | クシマ レオ |
30200278 | 小島 楓華 | コジマ フウカ |
30200322 | 迫田 凜々香 | サコダ リリカ |
30200335 | 佐々木 ルナ | ササキ ルナ |
30200423 | 田代 直哉 | タシロ ナオヤ |
30200447 | 恒吉 実於 | ツネヨシ ミオ |
30200454 | 角田 楓 | ツノダ カエデ |
30200461 | 堂下 つばさ | ドウシタ ツバサ |
30200506 | 時松 桃花 | トキマツ モモカ |
30200533 | 戸高 みなみ | トダカ ミナミ |
30200551 | 永友 阿耶里 | ナガトモ アカリ |
30200603 | 東久保 光汰 | ヒガシクボ コウタ |
30200627 | 平井 優季 | ヒライ ユキ |
30200676 | 福瀬 一真 | フクセ カズマ |
30200713 | 藤田 涼 | フジタ リヨウ |
30200728 | 淵脇 紅南 | フチワキ アカナ |
30200731 | 古田 紋子 | フルタ アヤコ |
30200742 | 本田 拓哉 | ホンダ タクヤ |
30200766 | 松田 美月 | マツダ ミヅキ |
30200777 | 松元 彩夏 | マツモト サヤカ |
30200816 | 御沓 帆志 | ミクツ ホシ |
30200834 | 宮脇 駿介 | ミヤワキ シユンスケ |
30200870 | 山田 凌平 | ヤマダ リヨウヘイ |