2000~09年の執筆物

概要

アフリカのエイズの深刻な状況を、ジンバブエの例を軸に、分析したものです。

ヨーロッパ人はアフリカ人から土地を奪って課税することによって大量の低賃金労働者を作りましたが、売春婦が通う労働者の住まいがエイズ感染の温床になっています。売春婦を介して感染した男性が、村に帰って配偶者に感染させて事態を深刻化しています。最新のエイズ治療薬も大半のアフリカ人には無縁です。そういった負債とエイズに苦しめられているアフリカの危機的な状況を分析しました。アフリカと医学をつなぐテーマとして医学生の英語の授業で取り上げる中から生まれました。

本文

アフリカとエイズ                

深刻な状況

アフリカのエイズ事情は深刻である。

その深刻さを伝える二つの記事は、私には衝撃的だった。

一つは、英日刊紙「インディペンダント」(1995年7月)のジンバブエについての報告記事で、「たいていの女性にとって、HIV感染の主な危険要因は、結婚していることである」という一節である。(註1)

もう一つは、英科学誌『ネイチャー』(1999年7月)の記事で、アメリカの製薬会社の突き上げを喰って、大統領選出馬の野心を抱く副大統領ゴアが、南アフリカに対して頻りに、コンパルソリー・ライセンス法撤廃への圧力をかけているという内容だった。(註2)

 

画像『ネイチャー』(1999年7月)

アフリカで実際にエイズ治療に当たった医師は、その深刻さを肌で感じ取っている。

英国人医師リグビィ氏は「アフリカで働こうと心に決めたとき、アフリカのエイズ問題の深刻さを私は充分承知している、と信じていました。しかし、(アフリカでの医療活動を経験した)今、本当に事態の深刻さが分かっている人がいるとは、私には信じられません。」と『イギリス医学誌』(1995年6月)のなかで告白している。(註3)

1998年8月のケニア米大使館爆破事件で、血塗れの犠牲者の救急治療に当たる医療関係者のニュース映像を見ながら、米国人医師スティーム氏は、背筋の凍る思いをしたと誌している。(註4)

スティーム氏はケニアでの医療活動経験者で、爆破事件の時も、エイズ事業の視察を終えたところだった。ナイロビでの若者成人人口のHIV(ヒト免疫不全ウィルス)感染率は約25パーセントで、手術を伴なう救急治療室でのHIV感染の危険度は極めて高いと言われている。今回の視察で出会った若い米国人外科医は、ボランティアとして田舎の病院で複雑な手術を行なう予定だったが、感染に備えて、二重の手袋をはじめ、ケニアでは入手出来ない緊急時用の抗HIV剤などと、輸血の必要性が出た場合にヨーロッパの病院に空輸してもらえる保険の準備をしていたという。それだけに、手袋もつけずに血塗れの患者の治療に当たるケニア人医師や看護婦たちの映像を見た時の衝撃は大きく、現状では「悲しいことだが、エイズ流行病で爆破以上の死者が出て、その死者の中にはこの事件で危険に晒された医療関係者が間違いなく含まれるだろう」と予測せざるを得なかった。アフリカの厳しい現状を垣間見た者の偽らざる実感だろう。

HIV

私もジンバブエに滞在したあと、よく似た思いに捉われたことがある。

1992年に、私は首都ハラレで、家族と過ごす機会を得た。住宅事情が悪いらしく、ホテル住まいも覚悟していたが、運よく一軒の家を借りることが出来た。家賃は月約十万円で閑静な白人住宅街にあり、約五百坪ほどの広さだった。

ハラレ借家

ゲイリーというアフリカ人青年と大きな番犬が私たち四人を出迎えてくれた。ゲイリーは「ガーデン・ボーイ」(庭番)として家主のスイス人老女に雇われており、庭の片隅の小さな部屋に独りで住んでいた。

ゲイリーとデイン

アフリカで家族と暮らすのが滞在の主な目的だったので、ゲイリーとはすぐに仲良くなった。長い休みに入るころ、家族を呼び寄せて、狭い部屋に五人で暮らし始めた。ゲイリーの子供と私の子供も、奥さん同士もすぐ仲良しになった。同じ敷地内で、二ヵ月半の大半をゲイリーの家族といっしょに過ごすこととなった。

庭で遊ぶ庭で子供たち

ゲイリーの月給は四千円ほどだった。経済格差があるので単純には比較できないが、子供たちに買ったバスケットボール一個が五千円ほどで、ゲイリーの給料よりも高かった。女性の給料は更に低く、一日二百円ほどで「メイド」が雇え、普通は朝八時から夕方の四時までが勤務時間のようだった。日本にいる時に、南アフリカでは洗濯機を買う人がいないと聞いたことがあったが、「メイド」がはるかに経済的な「洗濯機」の機能を果たしていたわけである。

ある日、運転手付きの車を借りて、ハラレから少し離れたゲイリーの田舎の家を訪ねた。何家族かの親戚が集まって暮らしていたが、むこうの丘の麓辺りまでが家の土地だとゲイリーが教えてくれた。ずいぶん広い土地がありながら、かつてはゲイリーの父親が、そして今はゲイリーが、家族と離れて一年の大半を街で過ごす生活を余儀なくされていた。

ゲイリーの家

1505年のヴァスコ・ダ・ガマらによるタンザニア沖合の島キルワでの虐殺を皮切りに、西洋人はアフリカ大陸の侵略を開始した。西アフリカでは奴隷を売買して富を築き、蓄えた資本によって産業革命を起こす。人類は生産手段を手動から機械に変えて、大量の製品を作りだすようになる。製品を売り捌く世界市場が必要となり、市場の争奪戦が繰り広げられた。植民地時代の幕開けである。アフリカはその餌食となった。

侵略の要は、効率よく人のものを掠めとる点にある。まずアフリカ人から土地を奪い、課税をする。貨幣経済に巻き込まれたアフリカ人は僅かな現金を求めて村を離れ、都会に出て行くしかない。あり余る低賃金労働者の出来上がりである。季節労働者と呼ばれる人たちで、通常は14ヵ月くらいの短期契約である。パートタイム契約は馘切りも簡単で、賃上げの心配も少なく、経営者側には効率のいい雇用形態である。鉱山や農場脇のコンパウンドと呼ばれるたこ部屋で、一年の大半を家族と離れて過ごす。あるいは、白人家庭で「ボーイ」や「メイド」と呼ばれながら、家内労働者として扱き使われる。

ゲイリーもその一人だった。庭木の水遣り、番犬の世話、老女のための買物や使い走りがゲイリーの仕事の内容だった。一月四千円余りの賃金で大の男が一日の大半を拘束されて過ごす。名こそ奴隷ではなかったが、扱き使われている事実に変わりはなかった。帰国当日の朝にスイスから戻った老婆の電話を受けたゲイリーの狼狽振りは、見ていても気の毒なくらいだった。家に入る時は靴を脱ぐように命じられていた「ボーイ」が、私たちの友人として、こともあろうに「靴を履いたまま」居間で寛いでいたからである。(註5)

庭でゲイリーと

アフリカに行く前、私はアフリカの状況を一応は知っているつもりでいたが、アフリカの現実は圧倒的すぎた。帰国して目にする「日本」との格差がありすぎて、しばらくは心の整理がつかなかった。

それだけに、アフリカのエイズ事情の深刻さが、身に沁みる。

歴史の皮肉

『HIV感染症』の著者秋山武久氏は、梅毒とエイズの二大性病をハイチ人が媒介したという説を支持している。(註6)

コロンブスがハイチ島から持ち帰った風土病がのちに梅毒として世界に広がった、ザイールに滞在していたハイチ人が持ち帰ったHIVがハイチ島内での流行を経てアメリカへ伝播されたという説である。いずれの場合も、それほど激しくなかった風土病が、感染経験のない地域に伝播して、突如猛威をふるいだしたというものである。

かつて「奴隷調教」の場に利用された(註7)カリブの島「ハイチ」から運ばれた風土病にヨーロッパ人侵略者たちは苦しめられた。今また、アフリカからカリブの島を経て侵入した病原体に侵略者の子孫たちは悩まされている。歴史の皮肉である。

今回の場合、アフリカ内陸部に住む人たちの間で蔓延していた風土病が、売春婦を介して都市部へ伝播してHIV感染症に変貌し、その病気が圧政を逃れて帰国したハイチ人によってハイチ島に運ばれ、島内流行の後、アメリカに渡ったと考えられている。風土病の山村から都市部への伝播とハイチ人の移動は、レオポルド二世→ベルギー→モブツと続く容赦のない圧政によってもたらされた人々の貧困と深く係わっている。ことに、モブツ独裁政権を長年に渡って公然と支援し続けたのがアメリカであってみれば、エイズは侵略者への見事なしっぺ返しである。

レオポルド二世

しかし、最大の犠牲者はアフリカ人である。奴隷貿易、植民地支配を経て、今も続く新植民地支配に喘ぎながら、HIV感染症の追い打ちを受け、今やまさに大陸存亡の危機に瀕しているのだから。

HIVの特徴、アフリカの特異性

HIVの特徴は、病原ウィルスが主に、免疫を司るリンパ球ヘルパーT細胞を標的にして増殖し、感染者の免疫力を低下させることである。しかも、現在のところ、一度感染すると、ほぼ全員が感染死する不治の病である。

1981年に最初のエイズ患者が発見されてから数年後には、ウィルスの構造や伝播形式も明らかにされている。したがって、感染の予防方法も確立されているわけだが、感染者は増加し続けている。この流行病が、主に異性間性交によって伝播される性感染症であるためである。

数年前に人々を震撼させたザイールのエボラ出血熱やインドの肺ペストなどの感染症は、致死率は高いが潜伏期間も短かく、そのうえ地域封鎖などの厳戒体制が敷かれるため、患者が回復するか、死亡するかすれば一応の終息をみる。

南アフリカの週間紙のエボラ出血熱の特集記事

それに比べて、このHIV感染症は、極めて質(たち)が悪い。感染しても無症状の期間が長く、その間、無意識に、ある場合は意識的に、二次感染が起こるからである。ウィルスの恐ろしさを知らなければ、当事者に意識されることもなく、性交渉を通じて病気は蔓延していく。

アフリカ大陸、特に南部はHIVの温床である。ヨーロッパ人が大量の低賃金労働者を作り出して、鉱山や農場近くのコンパウンドに住まわせていると書いたが、実は、そのコンパウンドに売春婦が通う。鉱山労働者が汗水流して稼いだ僅かな賃金のおこぼれにあずかるためである。「(ジンバブエの)ムランビンダ村の四千人強の人口の約10パーセントが売春婦で、鉱山労働者とほぼ同数である。その約半数の売春婦がHIVに感染していると警察は信じている」と報告記事が伝えている。(註8)

ムレワのゲイリー家族

売春婦を介して感染したアフリカ人男性は、契約が切れて村に帰り、その配偶者に感染させる。多重婚のところも多く、男性は通常、複数の性交渉の相手を持つ。しかも、統計によれば、男性から女性に感染させる率の方がはるかに高い。

そういった様々な事情が折り重なって、冒頭に引用した「たいていの女性にとって、HIV感染の主な危険要因は、結婚していることである」という悲劇が起こる。そして、男性の働き手を都会に吸い上げられている農村部では、不可欠な労働力として、あるいは残された子供や老人の世話をする担い手として農村経済を支えている女性たちが、次々とエイズにやられ、たくさんの子供たちを残して死んで行く。経済面でもその基盤そのものが、まさに崩壊しようとしているのである。

どの民族であれ、結婚していることが不治の病に感染する危険要素ならば、どうやって子孫を増やしていけばよいのか。娘たちに死なれ、残された年寄りたちはただただ途方に暮れる。

どうして子供らはみんな、死んでゆくんだろう?どうして若い者たちは、わたしら年寄りに孤児(みなしご)を残して、逝ってしまうんだろう?

そんな老婆の哀しみを伝える冒頭の記事(註9)は、1995年7月のものである。もう四年以上が経過した。

エイズ会議

1994年8月に横浜で開かれた第10回国際エイズ会議は、記憶に新しい。日本での開催とあって、アジア諸国のエイズ事情が詳しく紹介されたり、母子感染の際の逆転写酵素阻害剤AZTの効果や感染者の長期生存の症例報告があったりなど、会議の成果が日本でも連日報道された。(註10)

1996年のヴァンクーバー会議では、従来の逆転写酵素阻害剤と、新たに開発された蛋白分解酵素阻害剤を併用する多剤療法の効果が報告されて、エイズが、ウィルスとの共生も可能な病気になるかもしれないと、誰もが希望をもった。その年をエイズ治療元年と呼ぶ記事も少なからずあった。(註11)そして、ワクチン開発への希望も膨らんだ。

しかし、1998年のウィーン会議は「視界に治療法も見えぬまま、悲観的に閉幕」した。(註12)多剤療法で副作用が出たという症例報告や、ワクチンの開発がむしろ後退している現状報告に、会場は重い空気に包まれた。そして、病気への最大の戦略は、やはり予防しかない、と再確認せざるを得なかった。

次回2000年のエイズ国際会議開催国南アフリカ、ダーバンの医師は「ダーバンの大きな黒人用の病院で治療にあたる子供たちの40パーセントがエイズ患者です」と言う。国際会議で議長を努める予定のその医師は「私は今まで抗エイズ治療薬を使ったことはありません。病院には治療薬を使う経済的な余裕はありませんから」と付け加えた。参加者はアフリカの厳しい現状を突き付けられて、ますます気を重くした。

しかし、そんな深刻な状況を、アフリカ諸国も、自称「先進国」も、深刻に受け止めているとは思えない。

本年9月のザンビアでのエイズ会議にアフリカの首脳は参加しなかった。世界で最も事態が深刻だとされる南部アフリカ六ヶ国は、大統領はおろか、一線級の官吏さえも送らなかった。主催国ザンビアの大統領も、会議に出なかった。エイズ患者、医療関係者、研究者など数千人が集まって、何とか対抗策を見いだせないものかと真剣に討議をしたにもかかわらずである。(註13)

「死にゆく大陸」

今のアフリカに、エイズよりも緊急の課題があるはずがない。

今夏、「エイズが問う『政治の良心』 南ア特許法に米が反発」という記事が出た。アメリカのゴア副大統領と通商代表部が、南アフリカ政府が1997年に成立させた「コンパルソリー・ライセンス」法を改正するか破棄するように求めているが、その圧力が不当な干渉であるという主張である。(註14)

感染者がエイズ治療薬の恩恵を受けやすいように、同薬の安価な供給をはかるために提案された同法のもとでは、南アフリカ国内の製薬会社は、特許使用の権利取得者に一定の特許料を払うだけで、より安価なエイズ治療薬を生産する免許が厚生大臣から与えられる。また、その法律には、他国の製薬会社が安価な薬を提供できる場合は、それを自由に輸入することを許可するという条項も含まれる。

抗HIV製剤

ゴア副大統領や国際的製薬会社は、開発者の利益を守るべき特許権を侵害する南アフリカのやり方が、世界貿易機関(WTO)の貿易関連知的財産権協定に違反していると主張する。しかし、その協定自体が、国家的な危機や特に緊急な場合に、コンパルソリー・ライセンスを認めている。今回の場合、エイズの状況が「国家的な危機や特に緊急な場合」にあたるかどうかである。

南アフリカの法律を認めれば、南アフリカにならおうとする国が増えるのは間違いない。そうなれば、製薬会社は治療薬の開発に注ぎ込んだ莫大な費用が回収できないし、利潤も減るわけであり、利潤を追求する企業としては、その法律に反対するのも道理だろう。国会議員や副大統領に法律撤廃にむけての圧力をかけるよう要請するのも、通常なら、無理からぬことだろう。

しかし、今春南アフリカで行われた調査の結果、生殖年齢にある成人の22パーセントがHIVに感染していると推定され、2010年までに、エイズのために国民の平均寿命が四十歳以下になる見込みであることが明らかにされたのであるから、今の南アフリカの事態が「国家的な危機や特に緊急な場合」にあたらないとは言えないだろう。アメリカは、そういった事態を承知のうえで、圧力をかけているのである。

すでに述べた老婆の嘆きを伝える1995年のジンバブエの記事の最後に、今日の南アフリカを予想してこう記してある。

医療関係者はエイズは20年前に、ザイールやウガンダのような中央アフリカから輸送経路を通って、ケニア、ルワンダ、タンザニア、マラウィ、ジンバブエに南下し始めたとみている。優れた道路が整備され、季節労働者の歴史と男性が性交渉の相手を複数持つ文化があるために、ジンバブエは特にエイズに侵されやすい。次の標的は、南アフリカで、そこでは毎日550人の人々が感染していると推計する人もいる。(註15)

アパルトヘイトは廃止されたものの、アフリカ人の安価な賃金労働者、特に短期契約の季節労働者を基盤にする基本構造を変えられないまま政権を担当せざるを得なかったANC(アフリカ民族会議)内閣は、そのような重大な事態を察知して、1997年にコンパルソリー・ライセンス法を成立させた。つまり、このコンパルソリー・ライセンス法は、エイズ危機に対する緊急措置であって、特許料をめぐって国内業者に便宜をはかることを目的としたわけではない。

南アフリカに限らず、アフリカ諸国は奴隷貿易以来、イギリスを筆頭とする西洋諸国に富を絞り取られてきた。そして、富の搾取は今も続いている。搾取する側と搾取される側の富の格差は広がるばかりである。第二次世界大戦後は、戦略を変え、開発援助なる名目で、アメリカ主導の搾取構造を維持している。国際通貨基金(IMF)、世界銀行(IBRD、通常はWORLD BANK)などの機関を通じて金を貸して利子を絞り取っているわけである。(註16)もちろん、日本も搾取側にいて、1998年度のODA予算は百億円にのぼっている。(註17)

借金が嵩んで、個人ならとっくに破産している重債務貧困国が、36ヶ国もある。(註18)このままだと元も子もなくなってしまうと、主要国首脳がドイツ・ケルンに集まって知恵を出しあい、貧困国が保有する負債全体の三分の一を削減することにした。総額七百億ドル(約八兆四千億円)である。

主要七ヶ国(G7)のODAの中で、借款の占める割合が最も大きい日本は、借金の帳消しを渋っている。円借款の予算の約半分が郵便貯金や公的年金などを財源とする財政投融資からの借入金だからという財政上の事情をその理由にあげている。しかし、「アフリカ諸国の債務帳消しに必要とされるのは、日本の場合、単純に計算して約七千億円にすぎない。日本長期信用銀行に投入された公的資金とそう違わない金額で」ある。(註19)

債務の帳消しを渋っているのは日本だけではない。ケニアなどは新たに借金が出来なくなるのを恐れて債務帳消しを渋っている。大統領モイはアメリカやイギリスや日本と組んで、新植民地政策の片棒を担いできた。巨額な援助金を我が物にして約20年にわたる長期政権を維持してきた。何度か本紙にも登場した作家のグギさんも、我が友人のムアンギさんも祖国に帰れないでいる。次の「ケニア人のエコノミスト」の厳しい批判は民衆の本音だろう。

(債務帳消しの)救済を求めないことで救われるのはだれか。ずるずる援助を受けて延命する政府と、借金棒引きがなくてすむ先進国じゃないか。結局、何の特権もない庶民が貧乏くじを引き続けるのだけは変わらない。(註20)

借金に喘ぎ、エイズに攻められる。先進国が搾取の手を緩める気配もなく、先進国の番犬を任じるアフリカ諸国の首脳は、自らの野望を諦めようとはしない。このまま放っておけば、アフリカはまさに「死にゆく大陸」である。(註21)副題の「次の20年でエイズウィルスによって三千万人のアフリカ人が死ぬ。製薬会社はその事態を更に悪くしようとするのか?」は、アフリカの危機を言い得ている。

搾取する側もされる側も、今や我欲を張っている時期ではない。搾取するにも、エイズでたくさんの人が死に、大陸そのものの存亡が取り沙汰されているのである。

今まで富を絞り取ってきた国々は、アフリカがエイズの猛威に立ち向かえるように支援することで、今こそ富を返すべき時である。エイズ患者には抗エイズ剤の安価な供給をはかること、そして、予防対策に対しての援助を惜しまないこと、それしかないだろう。幸いウガンダの例がある。八十九年に最初のエイズ撲滅運動を始めたウガンダは、感染率が人口の約10パーセントの猛威にさらされている国だが、運動の成果があって最近では感染率が目に見えて低下しているという。(註22)その成果は、本年10月14日に死亡した元タンザニアの大統領ジュリアス・ニエレレもイギリスの歴史家バズゥル・デヴィドソンも高く評価した現政権があっての故だろう。大陸存亡の危機に際して、ウガンダの例を励みに、「先進国」も「発展途上国」も、出来るところからやっていくしかない。

ニエレレ

<註>

註1 カール・マイア「エイズ流行病、南部アフリカの人々をじわじわと絞め殺す」提携紙「デイリー・ヨミウリ」(1995年7月30日)に収載の「インディペンダント」の記事。

註2 『ネイチャー』、1999年7月1日9号、1頁。

註3 註1と同じ記事。

註4 リチャード・スティーム「アメリカのワクチンがアフリカのエイズ恐怖を和らげるだろう」、「デイリー・ヨミウリ」(1998年8月29日)。「ボルチモア・サン」へ特別寄稿した記事。

註5 英文書アフリカ・ツゥデイ・シリース第二巻『アフリカ、その末裔たち 植民地時代』(門土社、1998年)の中に、この時の滞在記を紹介した。

『アフリカ、その末裔たち 2』

註6 秋山武久著『HIV感染症』(南山堂、1997年)、1~31頁。

註7 マルコム・リトルは、暗殺される直前の講演でも、奴隷貿易で果たしたカリブの島々の働きを強調している。講演は『マルコム、アフリカ系アメリカ人の歴史を語る』(パスファインダー社、1970年)に収録されている。

『マルコム、アフリカ系アメリカ人の歴史を語る』

註8 註1に同じ。

註9 註1に同じ。

註10 わだえりこ「エイズ会議終わる、しかし課題は山積されたまま」、「デイリー・ヨミウリ」(1994年8月12日)。

註11 鍛冶信太郎「新薬承認で迎える『エイズ治療元年』」、「朝日新聞」(1997年3月20日)など。

註12 ローレンス・アルトマン「世界エイズ会議、治療法も視界に見えぬまま、悲観的に閉幕する」、「インターナショナル・ヘラルド・トゥリビューン」(1998年7月6日)。

註13 「アフリカ、会議に首脳が不参加のまま、エイズの解決策を探る」、「デイリー・ヨミウリ」(1999年9月15日)。

註14 池内了「エイズが問う『政治の良心』 南ア特許法に米が反発」、「朝日新聞」(1999年8月6日)。

註15 註1に同じ。

註16 前掲書『アフリカ、その末裔たち 植民地時代』の一章(6~32頁)で新植民地戦略を詳しく紹介した。クワメ・エンクルマ著『新植民地主義 帝国主義の最終段階』(パナフ社、1965年)とバズゥル・デヴィドスン著『アフリカは生き残れるか?』(リトル・ブラウン社、1974年)は示唆的である。

註17 「日本のODA、九十八年度、十億円に達する」、「デイリー・ヨミウリ」(1998年8月28日)。

註18 「苦しい中で対応様々 重債務貧困国の実情と救済」、「朝日新聞」(1999年7月28日)。

註19 小野行雄「アフリカの債務帳消しに理解を」、「朝日新聞」(1998年12月28日)。

註20 註18に同じ。

註21 アレックス・スミス「アフリカ:放っておけば死にゆく大陸」、提携紙「デイリー・ヨミウリ」(1999年9月12日)に収載の「インディペンダント」の記事。

註22 アン・ダガン「アフリカがエイズの猛威と立ち向かえるえるように支援することは」、「デイリー・ヨミウリ」(1999年10月15日)。

<推薦図書>

山本直樹・山本美智子著『エイズの基礎知識』(岩波新書、1998年)。

国立大学保健管理施設協議会特別委員会編『エイズ 教職員のためのガイドブック’98』(国立大学保健管理施設協議会特別委員会、1998年)。

秋山武久著『HIV感染症』(南山堂、1997年)

執筆年

2000年

収録・公開

「ごんどわな」22号(復刊1号)2-14ペイジ

「ごんどわな」22号

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アフリカとエイズ

1990~99年の執筆物

概要

Africa and Its Descendants(英文書、Mondo Books, 1995)の続編です。

Africa and Its Descendants

Africa and Its Descendants 2

本文

目次PrefaceBibliography奥付け、「テキストの解説」(メールマガジンに連載)のリンクです。

<目次>

CHAPTER 1 (pp. 6-29) : The neo-colonial stage: Mechanism and realities

I Introduction
II The mechanism and realities of neo-colonialism

II-1 The age of independence
II-2 The creation of African new classes
II-3 Economic dependence
II-4 Development aid
II-5 Growth without development
II-6 Self-reliance and concession

CHAPTER 2 (pp. 30-47) : Literary works

1 And a Threefold Cord by Alex La Guma
2 The Honourable MP by Gonzo H. Mesengezi

Chapter 3 (pp. 48-75) : Contemporary issues

1 AIDS epidemic
2 Zaire’s turmoil
3 My stay in Harare, 1992

Chapter 4 (pp. 76-91) : Afro-American songs: spirituals and gospel music by African descendants

1冊目はアフリカと南アフリカとアフロアメリカの歴史の簡単な紹介をしましたので、2冊目は、

1章:第二次世界大戦後に先進国が再構築した搾取制度、開発や援助の名目で繰り広げられている多国籍企業による経済支配とその基本構造、

タンザニア初代大統領ジュリアス・ニエレレ(小島けい画)

独立前にガーナを訪れたリチャード・ライト(小島けい画)

コンゴの初代首相パトリス・ルムンバ(小島けい画)

2章:アフリカの作家が書き残した書いた物語や小説、

Alex La Guma’s And a Threefold Cord

H.G. Mesengeni’s The Honourable MP

3章:今日的な問題に絞り、

4章:アフロアメリカについてはゴスペルからラップにいたるアフリカ系アメリカ人の音楽

ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソン

に絞って、内容を深めました。①が半分ほどを占め、引用なども含めて少し英文が難しくなっています。医学科の英語の授業で使うために書きました。

<Preface>

Preface Our self-image reflected by Africa
This is the second volume of the AFRICA TODAY series. In the previous work, Africa and its Descendants (1995), I tried to provide a general introduction to African and Afro-American history. In the first chapter I described the colonization of Africa by Europeans, briefly mentioning some contemporary problems, such as the AIDS epidemic. I wanted to show a historical view free from the distortion of Western bias. In the next chapter I gave weight to the struggle on the part of black South Africans for equality and justice, for a key role of the new South Africa is to become a leading nation. In the final chapter I added a survey of Afro-American history to show what has transpired among one part of the diaspora of African descendants. Japan has been too much influenced by the United States of America, not least in its historical perspectives, especially after the Second World War. I felt keenly that it would be of some use for us to reconsider American influence and free ourselves from its bias.

In this second work I’d like to depict the neo-colonial phase in African history, as well as the music of African descendants. In the first chapter the focus is on the mechanism and realities of neo-colonialism. In the second chapter I’ll deal with the neo-colonial scenes in two literary works by African writers: Alex La Guma’s And a Threefold Cord and Gonzo H. Musengezi’s The Honourable MP. In the third chapter, after discussions of the AIDS epidemic and Zaire’s turmoil, I would like to add a brief account of our family’s short stay in Harare, Zimbabwe in 1992. In the final chapter, spirituals and gospel music by African Americans are examined; some messages of their forefathers have been passed on to later generations in the form of music. African descendants are still singing their songs in their own styles.

Since the equal relationship between Africans and Europeans was broken down by the slave trade and colonization process, the exploitation has continued even to this day by changing its forms. Now we are in the last stage: the neo-colonial phase. What we should remember here is that we are on the side of the robber and that some 'chosen’ Africans are in a similar position.

Nowadays all citizens on this earth face some life-threatening problems: nuclear war, global warming, etc. Those urgent issues should take priority over all other problems, but selfish human desire seems to be worsening the situation, as was shown at the Third Conference of the U.N. Framework Convention on Climate Change, held in Kyoto.

I often hear many Japanese say how lucky we are to be living in such a rich and safe country. They seem satisfied with their 'peaceful’ situation with material abundance and convenience. However, we have to reevaluate our way of life and thinking, for our vanity is based partly on the sacrifice of the robbed, who are still suffering from poverty and racial conflicts. It’s time to reconsider our self-image as reflected by Africa and world problems.

I hope the following chapters will be of some help in formulating a new approach to African and Afro-American problems and studies.

I am thankful to have benefited from The Struggle for Africa, 'The Glory of Negro History,’ as well as other works cited in my bibliography, and Basil Davidson, a strong advocate of African solutions to African problems. I borrowed the dedication phrase from his book Can Africa Survive?

I would like to thank Mrs. Blanche La Guma and Dr. Cecil Anthony Abrahams, Mr. Junpei Hasumi, and Mr. Masaki Ota.

I met the two South Africans while they were forced to live in exile. Blanche welcomed our family to lunch at her temporary house in London in 1992, and has kindly permitted me to use her correspondence.

Cecil accepted me with his family at his house in Canada in 1987. He talked about La Guma and gave me the chance to take part in the 1988 La Guma / Bessie Head Memorial Conference, where I met Blanche for the first time.

Both Blanche and Cecil are now back in South Africa. Blanche enjoys her retired life and Cecil plays an important role at the University of Western Cape.

Mr. Hasumi visited Harare this March again and offered me some precious information about Zimbabwe. Mr. Ota gave me some advice on the AIDS issue. They were also kind enough to proofread some sections of my manuscript. Both Mr. Hasumi and Mr. Ota are medical students.

This time again, I wish to thank both Mr. William (Bill) Nikolai, my friend, editor and former colleague (now living in Canada), and Mondo Books, my publisher.
In Miyazaki, Japan                                 Yoshi

Bibliography

CHAPTER One

1. Books

Basil Davidson, Can Africa Survive? (Boston: Little, Brown and Company, 1974)
N’gugi wa Thiong’o, Writers in Politics (London: Heinemann Educational Books, 1981)
N’gugi wa Thiong’o, Writing Against Neocolonialism (Middlesex: Vita Books, 1986)
Kwame Nkrumah, Autobiography (London: Panaf, 1957).
Kwame Nkrumah, Africa Must Unite (London: Panaf, 1963).
Kwame Nkrumah, Neocolonialism: The Last Stage of Imperialism (London: Panaf, 1965).
Ed. Mai Palmberg, The Struggle for Africa (London: Zed Press, 1983).
Andro Proctor et al, People and Power Book Two (Harare: Academic Books, 1992)
Richard Wright, Black Power (New York: Harper & Brothers, 1954).
Steve Biko: I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1978).

2. Periodicals

Brook Larmer, “The New Colonialismーnot Since 1945 Have So Many Nations Needed Rebuilding" in Newsweek (August 1, 1994).
David Gordon, “Haves and Have-NotsーWhat about those who can’t afford the new AIDS drugs? The view from the rest of the world" in Newsweek (December 9, 1996).

3. TV Film

African Series 1-8. 1983. NHK Educational.

CHAPTER Two

1. Books

Cecil Anthony Abrahams, Alex La Guma (Boston: Twayne Publishers, 1985).
Alex La Guma, A Walk in the Night (Ibadan: Mbari Publications, 1962).
Alex La Guma, And a Threefold Cord (Berlin: Seven Seas Publishers, 1964).
Gonzo H. Musengezi, The Honourable MP (Harare: Mambo Press, 1984).

2. Periodicals

“Alex La Guma’s First NovelーBanned by the Sabotage Act" in New Age (August 9, 1962).
Donna Bryson, “Housing South Africans still has long way to go" in the Daily Yomiuri (September 17, 1996).
Mary Braid, “Crooks push Cape Town’s credentials" in the Daily Yomiuri (August 24, 1997).
“Mbeki takes over as president of ANC" in the Daily Yomiuri (December 12, 1997).

3. Film

Cry Freedom. 1987. A director: Richard Attenborough.

CHAPTER Three

1. Books

秋山武久、『HIV感染症』(南山堂、1997年) [AKIYAMA Takehisa, HIV Infectious Diseases (Tokyo:Nanzando,1997)].国立大学保健管理施設協議会特別委員会、『エイズ教職員のためのガイドブック’98』(国立大学保健管理施設協議会特別委員会、1998年) [Ed. by the Special Committee of the Health Facilities of National Universities, AIDSーA ’98 Guide Book for University Teachers and Officials (the Special Committee of the Health Facilities of National Universities, 1998)] .

2. Periodicals

<On AIDS>

“'AIDS orphans’ rise as Africa battles disease" in the Daily Yomiuri (August 7, 1994).
Karl Maier, “Aids epidemic chokes the life of southern Africa" in the Independent included in the Daily Yomiuri (July 30, 1995).
Roger J. Pomerantz and Didier Trono, “Genetic therapies for HIV infections: promise for the future" in AIDS (1995), 9: 985-993.
John Balzar, “In Uganda, a scourge on families" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (November 27, 1995).
“AIDS onslaughter straining resources in Africa" in the Daily Yomiuri (April 30, 1996).
“Targetting a Deadly Scrap of Genetic Code" in Newsweek (December 9, 1996).
Joanne Kenen, “Reserchers: An AIDS cure likely would involve multidrug therapies" in the Daily Yomiuri (February 1, 1997).
“Zimbabwe battles with alarming rise in rapes" in the Daily Yomiuri (August 17, 1997).
“AIDS rivals malaria as killer in Africa" in the Daily Yomiuri (December 9, 1997).

<On Zaire>

David Orr, “A nation at his finger tips" in the Daily Yomiuri (November 24, 1996).
William Wallis, “Zaire’s Mobutu faces difficult homecoming" in the Daily Yomiuri (December 17, 1996).
Mary Braid, “West gives Mobutu green light to unleash dogs of war in Zaire" in the Daily Yomiuri (February 2, 1997).
Lucy KomIsar, “U.S. Put Him In, Now Get Mobutu Out" in the Daily Yomiuri (February 11, 1997).
Helen Watson Winternitz, “The U.S. Must Cut Its Ties to Mobutu" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (March 24, 1997).
Bob Drogin, “Zaire’s Elite Seek to Keep Positionsーand Wealth" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (March 31, 1997).
Bob Drogin, “Ali Won the Fight, But Zaire Was the Loser" in the Washington Post included in the Daily Yomiuri (April 4, 1997).
Basil Davidson, “Zair’s Turmoil Invites an African Solution" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (April 28, 1997).
Susan Linnee, “Rift on the river: Rebels getting snagged?" in the Daily Yomiuri (April 28, 1997).
Reuben Abati, “World needs to get more involved in Zaire" in the Daily Yomiuri (May 11, 1997).
“Mobutu escapes to Morocco after civil war defeat" in the Daily Yomiuri (May 19, 1997).
“Kabila wins Zaire・ can he keep it?" in the Daily Yomiuri (May 20, 1997).
“Zaire’s Second Chance" in the Washington Post included in the Daily Yomiuri (May 23, 1997).
“Kabila stalls on naming new government" in the Daily Yomiuri (May 23, 1997).
Julius Nyerere, “Pushing Kabila on Early election unrealistic" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (May 25, 1997).
“Kabila takes oath as president of Congo" in the Daily Yomiuri (May 31, 1997).
Mike Tidwell, “Looking Back in Anger: Life in Mobutu’s Zair" in the Washington Post included in the Daily Yomiuri (June 6, 1997).
Ann M. Simmons, “In Congo, Hopes Rise With Fall of Dictator" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (June 23, 1997).
Tina Susman, “Mobutu ーlast of Africa’s Cold War relics" in the Daily Yomiuri (September 9, 1997).
Helen Watson Wintemitz, “Overcoming Mobutu’s Sad Legacy in Congo" in the Los Angeles Times included in the Daily Yomiuri (September 29,
1997).

<On Harare>

“Price rises trigger Zimbabwe riots" in the Daily Yomiuri (January 21, 1998).
“Zimbabwe president warns rioters" in the Daily Yomiuri (January 22, 1998).

3. Dictionary

Stedman’s Medical Dictionary 26th Edition (London: Williams & Wilkins, 1995).

CHAPTER Four

1. Books

Herman Bartelen, The Story of American Popular Music (Tokyo: Macmillan Laguagehouse, 1997).
Langston Hughes, “The Glory of Negro History" in The Langston Hughes Reader (New York: George Braziller, 1958), pp. 464-480.
Eileen Southern, The Music of Black Americans (New York: W・W・Norton & Company, 1983).
Howard Thurman, Deep River and the Negro Spirituals Speak of Life AND Death (Richmond: Friends United Press, 1975).

2. Periodicals

鈴木啓志、「ゴスペルという黒い宗教音楽」(ミュージック・マガジン増刊号、1986年12月)。
Roxanne Brown, “The Glory of Gospel" in Ebony (May, 1988).
Lisa C. Jones, “Kirk Franklin New Gospel Sensation" in Ebony (October, 1995).
Lisa Jones Townsel, “Gospel Star Kirk Franklin Back From the Brink of Death" in Ebony (April, 1997).

奥付け

著者●玉田吉行(たまだよしゆき)

1949年、兵庫県に生まれる。
翻訳書にアレックス・ラ・グーマ著『まして束ねし縄なれば』、注訳書にAlex La Guma, A Walk in the Night,、Alex La Guma, And a Threefold Cord、著書に『箱舟一21世紀に向けて』(共著),、Africa Today 1 Africa and its Descndants (いずれも門土社刊)がある。
宮崎医科大学助教授。

校閲●William Nikolai

Born in Vancouver, Canada in 1956 and graduated from the University of British Columbia. He was a teacher of English at Fukuoka University of Education and Miyazaki Medical College and now conducts reserch in cross-cultural communication in Canada.

挿画●小島けい

<テキストの解説>を、門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信」に連載しました。→「Africa and Its Descendants 2 アフリカとその末裔たち2一覧」

執筆年

1998年

収録・公開

英文書、Mondo Books

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Africa and Its Descendants Neo-colonial Stage – Africa Today Series 02 

1990~99年の執筆物

概要

ラ・グーマの初期の作品に見られる文学手法に焦点をあてた作品論です。抑圧の厳しい社会では政治と文学を切り離して考えることは出来ませんが、作者の文学技法によって作品を政治的な宣伝でなく文学として昇華させるのは可能です。ラ・グーマの使うリアリズムとシンボリズムの手法が、読者に期待感を抱かせる役割を果たしている点を指摘しました。

本文(写真作業中)

When Alex La Guma was asked, in an interview, “What do you think of symbolism as a literary device?" he answered, “I have no objection as long as the reader knows how to interpret it correctly. In my novels there is a combination of realism and of transparent symbolism."1

In this paper I would like to give an estimation of realism and transparent symbolism in La Guma’s works, especially in his first two novels A Walk in the Night and And a Threefold Cord.

Needless to say, “one cannot separate literature from life, from human experience and human aspiration."2 That is even more true for Alex La Guma, living in such an abnormal situation where even writers, if necessary, must fight against the oppressors with guns in hand. In South Africa, people were forced to be engaged in a human rights movement, not a civil rights movement as in the United States, because the laws of the country themselves were discriminatory and they could not expect protection and support from their Constitution. They were forced to give up non-violent strategies because the white regime did not have the essential minimum moral standards. History verifies that. La Guma “finds himself with no other choice but to dedicate himself to that movement which must involve not only himself but ordinary people as well."3 He creates his novels in the midst of his liberation struggle, but they are not propaganda or slogans for the struggle. The following interview conveys to us his intention:

  1. What are then the values which you seek to express in your novels?

La Guma: I want to express the dignity of people, the basic human spirit in the least pompous way possible. One must avoid propaganda or slogan. I am also politically involved. In my writing and in my political activities I vindicate the dignity of man, but these are two different activities.4

It is his artistry that enables him to avoid polemical stances in his creative writing. These beliefs have led him to choose realism and transparent symbolism as literary devices, on the presumption that the reader knows how to interpret the South African situation correctly. He once observed in an article:

One of the greatest values of literature is that in deepening our consciousness, widening our feeling for life, it reminds us that all ideas and all actions derive from realism and experience within social realities.5

From his keen desire for “at least letting the world know what is happening,"6 in South Africa, he describes in his stories characteristic scenes in the cities and the suburban slums.

A Walk in the Night is centered on two blacks7 on the verge of criminality, Michael Adonis and Willieboy, and an Afrikaner policeman, Raalt. These are typical and important thematic characters of the South African predicament.

Adonis loses his job by answering back to a white foreman, which frustrates and angers him. His anger and frustration drive him into killing a poor old white neighbour, Uncle Doughty. This act finally makes him get involved in the underground. Through Adonis’ gradual degradation, La Guma shows us how inevitably an ordinary youth gets drawn into illegalism.

Willieboy grows up in a broken family, but takes life very easily and is always unemployed, claiming that it is useless to work for anyone. One day he calls un Adonis, but finds himself wrongly suspected of the murder of Uncle Doughty. He is pursued by Raalt and finally shot to death. Through Willieboy’s tragic fate La Guma hints to us how easily and vainly criminal activity can shorten one’s life.

In And a Threefold Cord we find another kind of gangster called Roman. Roman was once an ordinary worker, but after going through various menial jobs, he takes to petty thieving and finally ends up in jail. In his kennel-like shack, he cannot support his family and they are constantly hungry. In a state of drunken savagery he regularly beats his wife and whips his eleven children, until his wife goes beyond hatred for him. Roman is a typical petty criminal, who compensates for his wretchedness by attacking weaker ones around him.

In that sense Raalt, in A Walk in the Night, is similar in attitude to Roman. Raalt feels dissatisfied with his marital life and resentful of his wife. He tries to discharge his anger and frustration by ill-treating black citizens. While on patrol he longs for anything to happen to release his tension. Unfortunately his gunpoint is directed by chance towards Willieboy. His hunting of Willieboy is relentless; he finally corners him and shoots him mercilessly. He refuses to allow an ambulance to take the dying youth to hospital. He tops off his brutality by dropping in at a store to extort cigarettes, while Willieboy is dying in the police van.

Another disturbing scene involving the white police is found in the same story. On his way home Adonis is confronted by two strolling policemen, who accuse him of having marijuana. He denies the accusation, and they order him to turn out his pockets. “They find his money and accuse him of having stolen it. But in the end they cannot find anything to charge him with, so they push past him, one of them brushing him aside with his elbow, and stroll on away. It is only because he came across them on the street that he was accused. All of this happens in the presence of passers-by in broad daylight.

The same kind of brutality by white policemen figures in And a Threefold Cord. On a pass raid a white policeman with two Africans breaks into a shanty by kicking the door open with his muddy boot. A couple are lying naked in bed. Finding that the man has no pass book, he puts handcuffs on him and takes him out into the falling rain after jerking the blanket from the woman’s naked body. She begins to weep with a high, wailing sound.

In the night raid on his sweetheart Freda’s shanty, when he is staying with her, Charlie is unjustly accused of having marijuana by a white policeman. Freda is humiliated by being sworn at, “Blerry black whore." Her children begin to wail with terror.

Such scenes of inhumanity clearly convey to the reader the harsh reality of a police state which continually harasses black people in everyday life. “The violent scenes make it quite plain that for the white regime even the Sharpeville Massacre in 1960 was just another everyday incident.

Through his true–to-life description La Guma raises a serious dynamic. The more brutal white people become, the more the hatred of black people intensifies. Their gap widens and deepens more and more. They are fated never to attain mutual understanding. In that sense they are both victims of the monster apartheid, because they are permanently at the mercy of the socioeconomic and political environment. If we borrow some words from Shakespeare, some of which are found in the epigraph of this story, brutal whites and hopeless blacks are both “just ghosts, doomed to walk the night." like Hamlet’s father. Thus we can say that the night, haunted both by blacks and whites roaming aimlessly and despairingly, is one of the transparent symbols of this abnormal, segregated society.

In A Walk in the Night La Guma concentrates on the negative side of the society, but in And a Threefold Cord he gives attention to the positive side of the oppressed people.

The story proceeds through the consciousness of Charlie Pauls, the protagonist, and through the experiences of his family and its associates. A number of incidents occur in this story, two of which especially affirm the reality of an oppressed people who are managing to sustain a community even under the severest conditions of apartheid. One incident is Charlie’s father’s death and the other is the birth of his sister’s child. The situation tells us the importance of a “threefold cord" relationship, which means helping each other and living in harmony with love, as is indicated in the epigraph.

Charlie’s father, Frederick Pauls, has worked continually for his family but finally becomes bedridden with illness. Their shabby shanty and meagre food make him worse until at last he dies, all skin and bones. The only sounds from him throughout the story are his moans and coughs in his bed. Through his wife, Rachel, the reader catches his first and final words; “Rachy,…,…is the children awright?… I would have liked them to be living in another place. Like those houses with the roofs."8 The sickness forces him to lie in bed in a dark room with a ceiling stained by constant leaking. Day in and day out there is nothing for him to gaze at but a black map of dampness on the ceiling. He must have dreamed that he could have let his children live in a house with the roofs in which they wouldn’t have to worry about leaks. Though in agony, he continued to feel concerned about his children until his last breath. His final words suggest such sorrowful regrets. His love and sorrow for his family have been great and deep.

This is also true of Rachel. She too is a conscientious worker and carries on all the ordinary chores of a hard life. When her husband dies she does not get upset. Instead of weeping, she performs elaborate arrangements for the funeral, according to her sense of duty to consign one’s dearest reverently to the grave.

With the help of relatives and neighbours, she manages to conduct the funeral decently thanks to her contributions to burial insurance. In those scenes of Frederick’s death and the funeral we can find no actual tears from Rachel, but all her tears are expressed in her deeds. Each of her determined actions is her own way of expressing her deep love and great sorrow for her deceased husband.

Charlie’s sister, Caroline, was born in a sort of chicken-run because her father and brother could not get a shack built in time. Now she is to give birth to her baby in her miserable shanty. The rain drums down and the rainwater, leaking in, spreads across the floor. Her mother arrives in time, but not the midwife. Her mother begins to put old newspapers under Caroline’s waist. The following text shows us the nightmarish conditions of the birth:

At the moment Caroline screamed. The police raider said, ‘Ghod!’ He peered past Ma into the shack, saw Missus Nzuba’s vastness crouched over the girl on the mattress. His eyes moved about, over the smoky ceiling, the muddy floor, the leak in the roof and ragged clothes displayed as if for sale. The smell of smoke and oil and birth made the air fetid.

He said, again: ‘Baby? What, in here?’ Then he shrugged and growled, ‘Awright, awright.’ (pp. 150–151)

Though the policeman cannot believe it, Caroline has given birth to her child successfully with the help of her mother and a neighbour. As long as the social system is not changed, childbirth in such awful conditions will recur from generation to generation, and that is what this episode tells us.

Through these two incidents we realize that South African blacks manage to sustain their existence by honoring the dead and the coming generation even in the harshest conditions through mutual aid.

In the story La Guma makes effective use of rain, falling on their shanties without let-up. It is raining when Frederick Pauls breathes his last in their shanty. He passes away hearing the falling rain and gazing at the dirty ceiling stained by the leak. Death finally forces a regretful separation from his family. Though his wife well understands his disappointment, she can do nothing but look at her husband sorrowfully. When we think of his regret and her grief, it seems to us that the `stained maps’ of the leaks are a visible expression of his blighted hopes and that the falling rain outside is the expression of her tears of sorrow.

It rains heavily when the police raid Freda’s shanty. The falling rain, with its loud roar, symbolizes the fright of Freda and her children and acts to deepen an impression of the cruel policemen who storm the shack.

The ubiquitous rain envelops another shanty raid, too. In this case a white policeman with his men steps into the shanty in muddy boots and takes a naked, handcuffed African forcibly to the police van. The rain in this scene gives us an impression of the ever more merciless police.

Rain is falling again when Caroline gives birth to her baby. Its ominous roar arouses so much fear in her, alone with the labour pains, that she is afraid that she is going to die. The rain drums down and a leak opens in the ceiling. The water forms a puddle in front of the doorway and begins to spread across the floor. We become even more sympathetic to her childbirth.

The downpour also embraces Charlie’s brother, as he hacks his erstwhile girlfriend to death. He stands, soaked, over her dead body while her dead eyes stare up out of the rain-washed face. The rain emphasizes the tragedy of these two, doomed to lire out of their lives of spiritual isolation.

La Guma begins the last chapter in the same way as he did the first chapter; “In the north-west the rainheads piled up,…" and ends it with rain, too. It is a world of greyness. We see Charlie, Freda, and Rachel in their shack. Rachel and Charlie put Freda on Frederick’s bed and try to console her for the children she lost in a fire Outside the shanty the weather rages furiously. The text reads:

The rain excavated foundations and dredged through topsoil and a house sagged and tottered, battered into a jagged rhomboid of gaping seams and banging sides. The rain gurgled and bubbled and chuckled in the eaves and ran like quicksilver along the ceilings, and below, the shivering poor blew on their braziers and stoked their fires, crouched trembling with ague in the relentless dampness, huddled together for warmth and clenching their teeth against the pneumonic chattering. (p.166)

The Pauls family and their hovel are not extraordinary in the suburban slums in Cape Town. Such families and such shanties are everywhere in the country. The family, though its members each have their own troubles, manages to live on together; the shack, though sagging and tottering in the wind and rain, provides shelter to the inhabitants. In a sense the makeshift home is an exact microcosm of those slums. The shanty, weathering the storm outside, symbolizes the position of black people who are somehow making it through the ugly conditions of apartheid.

La Guma tries to compare this relentless rain to the oppressive white regime, and the miserable shanties to the plight of the people. The next passage in the final chapter is highly symbolic:

In the Pauls’ house, those inside heard the rain, but took no notice of it. It was a sound apart from the feeling of sorrow. Miraculously, the house held. Dad and Charlie Pauls and others had built it well; well enough to stand up against this kind of storm, anyway. The rain lashed at it, as if in an anger of frustration. Finding the leak in the ceiling blocked, the water steered towards the ends of the roof and seeped down the walls inside. But the house seemed to clench its teeth and cling defiantly to life. (p. 166)

It is evident that the shanty, standing up against lashing storms outside, is another transparent symbol.

According to one interview, realism is not “a mere projection of the present" for La Guma. “It must convince the reader of truth, suggest that something can happen."9

La Guma’s techniques of connecting realism with transparent symbolism carry through successfully the correlation of night and darkness with the dark truth of apartheid society, while the shanty, with its resistance to the storm, is a note of hope, suggesting indeed “that something can happen." 10

Notes

1 Richard Samin, “Interviews de Alex La Guma," in Afram Newsletter No. 24 (January 1987), p. 11.

2 Alex La Guma, “Literature and Life," in Lotus: Afro-Asian Writings 1, No. 4 (1970), p. 238.

3 Per Wastberg (ed.), The Writer in Modern Africa: African Scandinavian Waters’ Conference, Stockholm 1967 (Uppsala: Scandinavian Institute of African Studies, 1968), p. 24.

4 Samin, p. 13.

5 La Guma, “Literature and Life," p. 238.

6 Dennis Duerden and Cosmo Pieterse ed., African Writers Talking (London: Heinemann, 1972), p. 93.

7 They are the so-called ‘coloured’ youths. Some South Africans are against the usage of ‘coloured’ because the white regime used ‘divide and rule’ tactics and categorized its people into four groups: WRITE, ASIAN, COLOURED, and BLACK. When I interviewed Cecil Abrahams, La Guma’s biographer, he called La Guma and Peter Abrahams black writers, not coloured writers. So I asked, “Can’t we call them coloured writers?" He answered, “No. Today, they don’t like to be called coloured any more. Just white and black, because the government of South Africa tried to divide the black people into BLACK, COLOURED, and INDIAN." (August 22-25, 1987 in St. Catharines, Canada)

8 La Guma, And a Threefold Cord (Berlin: Seven Seas Publishers, 1964), p. 111; further quotations from this work will be cited in parentheses in this paper. 

9 Samin, p. 14. 

10 While he was alive, ‘something’ did not happen to him. He wasn’t able to see the birth of the new government in 1994. He was born in Cape Town in 1925. In 1966 he was forced to flee to London with his family, and never again set foot on the soil of his mother country. In 1985 he suddenly died of a heart attack in Havana, Cuba. He was only sixty years old. His wife Blanche and one of their sons are now back home in Cape Town.

This is a revised version of a paper read at the ‘English Literature Other than British and American’ session of the Modern Language Association of America in San Francisco on December 27, 1987.

(Miyazaki Medical College)

執筆年

1996年

収録・公開

「言語表現研究」12号 73-79ペイジ

ダウンロード

Realism and Transparent Symbolism in Alex La Guma’s Novels

1990~99年の執筆物

概要

英文の著書Africa and its Descendants(『アフリカとその末裔たち』)です。大学の英語の授業で使いました。

アフリカ人とアフリカ系米国人の歴史を虐げられた側から捉え直した英文書で、一般教養の英語の授業で使用中で、アフリカとアフロ・アメリカの歴史を繋いで日本人が英語で書いたのは初めてだと思います。

1章では、西洋人が豊かなアフリカ人社会を破壊してきた過程を、奴隷貿易による資本の蓄積→欧州の産業革命→植民地争奪戦→世界大戦→新植民地化と辿っています。

2章では南アフリカの植民地化の過程と現状を詳説し、

3章では奴隷貿易→南北戦争→公民権運動を軸に、アフリカ系アメリカ人の歴史を概観しました。

本文

①Prefaceと②目次と③Bibliographyです。↓

①<Preface>

Preface Our mind’s eye

In 1992 when I was staying in Harare, Zimbabwe, I felt suffocated all the time, maybe because of subconscious feelings of guilt; I had come to realize that we are on the side of the robber in the world. The reality I faced was overwhelming; the gap between the rich and the poor was far more tremendous than I had imagined. I remember clearly how relieved I felt, when we dropped in to Paris on our way back home, and briefly benefited from its many comforts.

I visited Africa as a research associate of the University of Zimbabwe. We rented a house near the University for 3E100,000 per month. The sum was about 800 US dollars (US$) and about 4,000 Zimbabwe dollars (ZW$). The house lot was about 1,600 square meters in area.

I met Mr. Garikayi Mhoyo there. He is a Shona, which is the majority ethnic group. He was hired as a 'garden boy,’ an ordinary domestic worker, by an elderly white woman. We became close friends. I called him Gary and he called me Yoshi. I found that he lived alone, except when his family came to stay with him during the school holidays. Our family came to spend much time with his. Our children played with his children all day long. My wife asked his wife to be a model for her paintings. They had no common languages, but enjoying their time together was no problem.

I was told that his monthly wage was only ZW$170 and that most people could not afford to send their children even to secondary school. The basketball with which they enjoyed playing in the garden was worth ZW$199! I heard the minimum wage for domestic workers for white families was ZW$130 per month. Some workers might even have been paid less if the government had not controlled wages; women workers in particular might have earned significantly less. I found later that the room rate at the Sheraton Hotel was about US$150 a night, equivalent to about ZW$750. It would have taken Gary more than four months to earn enough money to stay only one night at the Sheraton Hotel!

One day we visited his village to see his children who had already returned to school. His homestead was at the foot of a hill on a plateau. He pointed at the hill and explained, “That is our land, right up the flank of that hill." It was spacious, indeed. I felt stunned to find that he had been thrown into virtual serfdom, forced by economic necessity to work as a cheap labourer. Yet, Gary’s forefathers lived a self-sufficient, rich life, in peace, just a hundred years ago. Gary had to live alone in the city a whole year, apart from his family, though his family had this spacious land in their village. That was the reality.

家族の住むムレワのゲイリーの家

At the University I was asked whether “ninjas" still ran around here and there in towns in Japan. Those inane questions were posed by students selected from throughout the whole country for admission to the only university in Zimbabwe. Yet, we saw many Japanese cars running on the streets in Harare. Japan was familiar yet strange and unknown. Likewise, in Japan, Africa is also misregarded through so many negative images. Phrases like “primitive and savage" and “the Dark Continent" are still used often and can be seen to stem from a pervasive Western bias. Under these conditions of ignorance we cannot expect to achieve mutual understanding.

I hope this introductory text to African and African-American history will be of some help to those who are interested in Africa and its descendants.

I began to do African studies by chance, in the course of my inquiry I was drawn deeply into the stories of people who had managed to live decent lives in spite of severe oppression. Some were killed by the system, but their souls are living on. It depends on “our mind’s eye" whether we can understand them or not. What we know is nothing, as compared with what we don’t know. It is with our “mind’s eye" that we can understand what we don’t know, when we happen to face it.

I met some Africans who were fighting against oppression inside and outside their countries. In Canada I met Cecil Anthony Abrahams, a South African scholar, and Blanche La Guma, wife of a South African writer. They were both in exile then. The times are changing; now these people are back in South Africa.

ブランシさん

I would like to dedicate this book to Alex La Guma who died in exile in 1985, and to Blanche, and Cecil, hoping that their newly reborn country might lead Africa and the world to a better situation.

This text is based on The Struggle for Africa and “The Glory of Negro History." The former book, originally published in Swedish, was an introduction to Africa for young people and the latter essay was written in the 1950’s by Langston Hughes, an African-American poet. The poet recorded the text with his own reading and some music. I am thankful to have benefited both intellectually and spiritually from these works.

Lastly, I wish to thank both William Nikolai, my copy editor, and Mondo Books, my publisher.

In Miyazaki, Japan            Yoshi

 

②<目次>

Chapter 1: The Colonization of Africa

PRECOLONIAL AFRICA
→THE FIRST COLONIALISTS
→MONOPOLY CAPITALISM AND IMPERIALISM
→THE COLONIAL DIVISION OF AFRICA
→COLONIALISM
→INDEPENDENCE AND NEO-COLONIALISM

ガーナの初代首相クワメ・エンクルマ

Chapter 2: The Struggle for South Africa

THE COLONIZATION OF SOUTH AFRICA
→THE GROWTH OF MINING CAPITAL
→THE CONFLICT BETWEEN THE BRITISH AND THE BOERS
→THE UNION OF SOUTH AFRICA AND RESERVES
→AFRICAN RESISTANCE
→THE 1948 APARTHEID REGIME
→THE POLICIES OF APARTHEID
→MASS MOBILIZATION AND OPPRESSION
→THE ARMED STRUGGLE
→FOREIGN CAPITAL IN SOUTH AFRICA
→SOUTH AFRICAN IMPERIALISM
→THE BLACK CONSCIOUSNESS MOVEMENT
→BOTHA, DEKLERK, AND MANDELA

ロバート・ソブクエ

ケニアのグギさん

Chapter 3: A Short History of Black Americans

SLAVE TRADE
→SLAVERY
→EMANCIPATION
→REACTION
→BLACK POWER
→STRUGGLE CONTINUES

マルコム・リトル

③<Bibliography>

1. Articles

Langston Hughes, “The Glory of Negro History" in The Langston Hughes Reader (New York: George Braziller, 1958), pp. 464-480.
Philip Van Niekerk, “Kenya’s unmentionable name: Ngugi" in The Weekly Mail (Supplement to the Week Mail, June 30 to July 6, 1989), pp. 1-2.

2. Books

John Hope Franklin, Front Slavery to Freedom: A History of Negro Americans (1947; rpt. New York: Alfred A. Knopf, 1980).
Ed. Langston Hughes, Milton Meltzer, and C.Eric Lincoln, A Pictorial History of Blackamericans (New York: Crown, 1983).
George Lee, Decisions and the African-American Experience 1619-1993 (Lewistown: Mark Twain Media, Inc., 1993).
Ed. Mai Palmberg, The Struggle for Africa (London: Zed Press, 1983).
Malcolm X on Afro-American History (New York: Pathfinder, 1970).
Kwame Nkrumah, Africa Must Unite (London: Panaf, 1963).
Kwame Nkrumah, Neo-Colonialism, the Last Stage of Imperialism (London: Panaf, 1965).
Neil Parsons, A New History of Southern Africa (Harare: The College Press, 1982).
Benjamin Pogrund, Sobukwe and Apartheid: How Can Man Die Better… (Johannesburg: Jonathan Ball, 1990).
Andre Proctor and Ian Phimister, People and Power (Harare: Academic Books Zimbabwe, 1991).
Steve Biko: I Write What I Like (New York: Harper & Row, 1978).
Carter G. Woodson, The Negro in Our History (1922; rpt. Washington D. C.: The Assocated Publishers, 1945).
Richard Wright, Black Power (1954; rpt. Conecticut: Greenwood, 1974).
Richard Wright, Twelve Million Black Voices (New York: The Viking Press, 1941).
3. Films

Guess Who’s Coming to Dinner. 1968. Director: Stanley Kramer.
Roots. 1977. TV series. Executive producer: David L. Wolper.
Gandhi. 1982. Director: Richard Attenborough.
Cry Freedom. 1987. Director: Richard Attenborough.

4. Dictionaries

A Dictionary of English Usage in Southern Africa (Cape Town: Oxford University Press, 1975).
A Dictionary of South African English (Cape Town: Oxford University Press, 1987).
Longman Dictionary of Contemporary English (London: Longman, 1978).
Oxford Advanced Learners’ Dictionary of Current English (London: Oxford University Press, 1974).
Webster’s Third New International Dictionary of the English Language, Unabridged (Springfield: G. & C. Merriam Company, 1976).
Academic American Encyclopedia (Princeton: Arete Publishing Company, 1981).
The Negro Almanac (New York: The Bellwether Company, 1971).

<奥付け>

【著者紹介】玉田吉行(たまだよしゆき)

1949年,兵庫県に生まれる。翻訳にアレックス・ラ・グーマ著『まして束ねし縄なれば』,注訳書にAlex La Guma, A Walk in the Nrght, Alex L aGuma, And a ThreefoldCord,著書に『箱舟一21世紀に向けて』(共著)(いずれも門土社刊)がある。
宮崎医科大学助教授。

【校閲者】William Nikolai

Born in Vancouver, Canada in 1956 and graduated from the University of British Columbia. Now he is a foreign teacher of English Conversation at Miyazaki Medical College and conducts his reserch in cross-cultural communication.

【挿画】たまだけいこ

<テキストの解説>を、門土社(横浜)のメールマガジン「モンド通信」に連載しました。→「アフリカとその末裔たち1一覧」

執筆年

1995年

収録・公開

英文書、Mondo Books(上が1版、下が2版)

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Africa and Its Descendants – Africa Today Series 01(本文は作業中)