つれづれに:『アフリカのための闘い』(2024年11月8日)

つれづれに

つれづれに:『アフリカのための闘い』

 「アフリカシリーズ」は英語の授業で想像以上に使い勝手があったが、『アフリカのための闘い』は授業以外に、書く時にも殊のほか役に立った。出版社の人から英文書を書くように言われるとは想像もしていなかったが、この本がなければ、英文書はすんなりとは書けなかったと思う。「アフリカシリーズ」は1983年に、『アフリカのための闘い』はその2年前に、たまたま見つけた。修士論文の資料を探しに初めてアメリカに行ったとき、ニューヨーク市→「ハーレム」の本屋で見つけた。修士論文に選んだ作家の作品のフォトコピーを取るためにニューヨーク公共図書館→「ハーレム分館」(↓)を訪ねた帰りに、立ち寄った本屋の本棚で見つけた。ハーレムのメインストリートにあるリベレーションブックストアという名のアフリカ系アメリカとアフリカの本を扱う店だった。そう大きくはなかったが、私には宝庫に見えた。公民権運動の時に通りで演説をしていたマルコム・リトゥルの歴史講演の小冊子も見つけた。カセットテープの時代だった。まだアフリカ系の音楽には疎かったが、ポールロブソンやマヘリア・ジャクソンとルイ・アームストロングなどのテープを何本か買った。

 アフリカに関してはアフリカ系の作家がパリに移り住んだあと、独立前のガーナを訪問して書いた本を読んだり、→「黒人研究の会」の月例会でアフリカの話を聞くらいだったが、『アフリカのための闘い』もいっしょに買った。まさか、後々思わぬ形で手放せない本になるとは、その時は思いもしなかった。

例会があった神戸市外国語大学事務局・研究棟(大学ホームページより)

 タイトルはThe Struggle for Africa、発行された年は奇しくも「アフリカシリーズ」と同じ1983年である。元々スウェーデンの市民グループが1970年代の南部アフリカ、特にアンゴラとモザンビークの独立闘争を支援していた人たちの中から生まれた本らしい。第二次世界大戦後の新しい形態の搾取機構の再構築についてほんとうに詳しく書かれている。その人たちはその形態を新植民地主義、neo-colonialismと呼んでいる。

neo-colonialismの見出しの項目だけでも書いておきたい。

* 帝国主義の新しい方策としての新植民地主義

* 経済依存

* 開発援助は利益流出のためのお粗末な副題である

* 世界銀行経由の米国支配

* ザイールの場合

* 発展なき成長

* アフリカ人エリート

* 新植民地主義で誰が得をするのか?

* 地元エリートはもっとケーキを欲しがっている

* 原材料カルテル

* 新国際経済修秩序の必要性

* 革命的ナショナリズムに向けて?

 終戦後すぐに生まれた世代なので、アメリカやその人たちの話す言葉に元々抵抗があり、高校では英語を担当しながら、業務上必要な読み書き以外はしなかった。1981年にアメリカに行った時も、言葉がつかえないので不自由をしたが、話したいとは思わなかった。しかし、1985年のミシシッピ大学でのシンポジウムに参加したときに会ったすきなフランス人(↓)に思いを伝えられなくて悔しい思いをした。大学の職を得てからは、英語の授業でアフリカ系やアフリカの歴史を題材に使い、英語を使わせてもらって、話す練習をした。7年後にジンバブエの帰りにパリに寄り、そのフランス人に家族でよくしてもらった。そのときは、英語で思いを伝えられたと思う。

ソルボンヌ大を案内してもらったときに

 歴史にさほど関心がある方ではなかったが、英語で歴史をやったおかげで、出版社の人から英文書(↓)を書くように言われた時も、案外すんなりと書けた。同僚のカナダ人が頼める間柄だったのも運がよかった。おまけに、ボランティアで朗読をしている人だったので、テキストの朗読をナチュラルなスピードで淀みなく仕上げてくれた。

 次回は、「アフリカシリーズ」の前にもう一つ、「ルーツ」(↓)である。

原作者のアレックス・ヘイリー