つれづれに:英語雑記ー生得的(2024年12月17日)

つれづれに

つれづれに:英語雑記ー生得的

超早場米のための田起こしが始まっている

 小説の修作の基として「つれづれに」に書き溜(た)め始めて、だいぶ時が経つ。塊(かたまり)としてシリーズを何本か書いて来て、継続中である。今はアフリカ関連のものを書いているが、事実確認も必要なので一つに1週間以上かかることもある。腰を痛めてまだ半年で、全快したわけでないので、調整しながらしか書けない。それで、書きやすいものも併行して書こうかと思う。

デヴィドスン「アフリカシリーズ」(1983)

 生きても30くらいまでと思っていたのに、定職に就いた。スーツを来てという就職活動は出来なかったので、渋々教育実習にも行って取っていた教員免許を使って高校の英語教員になった。考えてみれば、それ以来ずっと英語の教員だった。終戦直後に生まれて英語への抵抗感もあったし、受験勉強が出来なかったので、その後、英語に関わるとは思っていなかった。受験勉強をしないと、選べる大学もないので、2年目に何とかひっかかった大学の夜間課程に行った。

通った大学の事務局と研究棟(神戸市東灘区)

 語文コースと法経商コースがあって、文学の文字を見て心の折り合いをつけた。入ってみると、外国語大学だけあって、授業の半分が英語関連だった。文科系だからか、単位を取るのはそう難しくなかった。大学紛争で学舎が封鎖されたし、元々学風が自由な感じで出席を強要されなかったこともよかった。やっぱり、英語をしないままで卒業した。

1970年、入学してしばらくして学舎が封鎖された

 結果的には、戦争に負けて押し付けられた英語は、違う面から見れば、需要が高い。今や万国共通語の勢いである。そのお陰で、高校の教員も枠が広かったし、30を過ぎてから探した大学の教員の口も多かった。そして、国立大医学科の一般教育枠の英語学科目の担当教員になり、英語との付き合いは続いた。その分、英語に関して気づいたり、感じたりすることも多かった。必要に迫られて、医学生と看護学生の海外での実習向けの英語実践講座も担当することになり、英語を聞いたり話したりもするようになっていた。その中で英語の授業や英語を通して感じたとりとめもないことを、英語雑記としてシリーズで書いてみることにした。

研究室304で、看護部の人たちと

 1回目は生得的、である。生まれたのちに獲得した、ではなく、元々生まれ持った、という意味である。英語をやり始めたのは採用試験に通るためだった。2年留年をした最後の年に1度受けてみたら、当然出来なかった。それで1年間はやると決めた。高校の授業が出来ればいいので、英語が読めて書ければよかった。考えてみれば、出来なかった受験勉強も入試に通るためだから、同じだったはずだが、今回は大学院の試験も受けたのがよかった。どうせ30くらいまでしか生きないからという思いが強かったので、それまで何とか凌(しの)げればよかった。今では考えられないが、入学した年の国公立大の授業料が18000円、夜間課程は12000円だった。交通費も1時間ほどの国鉄と3駅の阪急を合わせても1580円。1月2580円あれば、大学の経費はまかなえる。

大学全景、左が研究棟、真ん中が講義棟、右側が体育館と生協会館

 大学院も学割がきくんやな?というのが大学院受験の動機だ。凌ぐ身には好都合である。そっちの方は、読み書きの他に英米文学史、英文法が要った。何もわからないので、好きだった教官の研究室に行ったのがよかった。アメリカ文学の人は紙切れに何冊か小説家の名前とタイトルを書いてくれた。英文法の人は現代英語学辞典と何冊かを紹介してくれた。今から思うと、構文を軸に内容の薄い文章を理解して覚えるという受験とは違って、それぞれわりと内容があるようなのがよかったんだろう。初めて読んだ文学書(↓)が1026ページ、研究社の大辞典を使って読むのに3ケ月かかった。読み終えたあと、考えた。辞書なんか引いてる場合か?何か違うことをせなあかんやろ。わかってもわからなくても、とにかく全部読む、それしか思いつかなかった。

 これはNYの古本屋で買ったもの、読んだ時は図書館で借りた

 結果的にはそれがよかった。やってみないとわからないことが多いが、この場合、読んでみないとわからなかったわけである。ただ、たくさん読めば読めるようになるわけでもない。問題は捉(とら)え方の基軸だ。つまり、たくさんやればできるようになると思ってる限り、見えてこない。努力すればなんとかならない場合もある。その方がむしろ多いくらいだ。元々人間には言語能力があって、その能力がいかに刺激を受けて機能し始めるか、なのではないか?各々の言語能力は細胞内の遺伝子構造によって決まって生まれた時から決まっていて、該当する遺伝子が目覚めて初めて機能し始めると考えると、納得がいくような気がした。たくさん読んである境を越えると、読むための能力を決める生得的な遺伝子構造に働きかけが可能になり、すべてが動き出す、大体そんな結論だった。次回は読める、である。

読んだ2冊目、これは文庫本だった