続モンド通信8(2019/7)

2020年2月22日2010年~の執筆物アフリカ系アメリカ,リチャード・ライト,私の絵画館,続モンド通信

私の絵画館:ナミブ砂漠(小島けい)

2 ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3(玉田吉行)

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1 私の絵画館:「ナミブ砂漠」(小島けい)

<気配>

私は40年以上前に、モンゴルのゴビ砂漠に行きましたが。そこは<月の沙漠>の歌にあるような砂漠とは、全くちがいました。
砂丘というよりは草原でしたが、背たけの低い草の緑はあまり目立たず、むき出しの土地がどこまでも広がっていました。
観光客が泊まるパオだけは用意されていましたが、それ以外は見わたす限り何もありません。その<360度何もない>ということに圧倒された記憶だけは、遠い昔ですが、今も何故か覚えています。
一方、ナミビアのナミブ砂漠は、ゴビ砂漠とは全く対照的です。世界最古の砂丘といわれるこの場所は、オレンジ色と影の対比が美しく、一度描いてみたいと以前から思っていました。
この砂漠らしい<砂漠>には、ふつうラクダが描かれるのでしょうが。ずっと前に見た二頭の一瞬の姿が忘れられず、暑い砂漠に登場してもらいました。

<巣立ちの後に>

この頃の私は、<子供たち>が巣立ってしまった寂しさを感じています。今どこで暮らしているのだろう?と空っぽになった場所を見ては、思ってしまします。
2,3ヶ月前だったでしょうか。アトリエのベランダで、しきりに鳥のなき声がするようになりました。窓の外を見ても姿は全く見えませんが、声だけは確かにするのです。
ところがそのうち、家の猫たちが朝ご飯の後、そそくさと2階に上がっていくことに気が付きました。そしてある程度の時間をすごすと<やれやれ、今日のご用事が終わりましたよ>という満足気な顔で階段を下りてくるのです。
2階で何をしているのだろうと見てみると、アトリエの窓の外を、網戸越しに食いいるように見ています。猫たちの後で私も一緒に外を見ていると、しばらくしてベランダのすぐ横に付けてあるBSの丸いアンテナに、一羽の鳥がバサッバサッと音をたてて飛んできました。口には細長い枯れ草をくわえています。そして、その位置から再び羽を広げてま上に飛び上がりました。
鳥は雀の3~4倍の大きさで、ほっそりとした姿です。初めて見る鳥でした。
草は巣作りに使うのでしょう。鳥は毎日何回も草をくわえて運んできました。その度に必ずアンテナに止まるので、猫たちは間近に見る実物の鳥に色めきだち、今にも網戸を破りそうな勢いです。
アンテナから次に一体どこに飛ぶのかしらんと、鳥が遠くへ出かけた後ベランダに出てみました。するとベランダの屋根の端の方に直径10cmほどの丸い穴が空いています。2・3年前新しいクーラーに替えた時、その穴の横にあらたに管を通したようで。不要となった以前の穴は、簡単には防いだはずですが。それがはがれ落ちてしまったのでしょう。
鳥はその穴から天井部分に入り、巣作りをしているらしく、枯れ草のはしが板のすき間から何ヶ所もはみ出して垂れていました。
それから毎日、猫たちと私は折をみては窓の外を観察しました。鳥はあいかわらず、外から帰ると必ず一度アンテナに止まり、まわりを確かめてから数10cm上の巣穴へ入りました。
そのうち天井あたりから幼いなき声がひんぱんに聞こえるようになり、親鳥の動きも俄然活発になりました。バッタのような虫をくわえて帰ってきては、すぐまた再び飛びたちます。
ある時、巣の中の声が異常にけたたましくなり、大騒ぎしているので見てみると、穴から追い出された1羽のスズメが、あわてて逃げ出していきました。不法侵入者を家族総出で追いはらったのでした。
そうこうしているある日、親鳥とそっくりな形の小さな鳥が、巣からおりてきてアンテナに止まり、次に向かいの家の屋根に飛んでいきました。
卵からヒナにかえった子供たちが、とうとう外へ飛べるようになったのです。私は嬉しくて、下絵用のノートにメモ書きを残しました。6月25日でした。
その直後、九州南部では恐ろしいほどの大雨となり、やむなくアトリエの窓にもシャッターをおろしました。
数日後大雨が一段落して、そおっとシャッターを開けましたが、その時、鳥たちはもういませんでした。雨が止むのと同時に、巣立ったようでした。

子供が巣立つと寂しいとは、時々耳にしますが。
小鳥たちの巣立ちに少し寂しさを感じつつ、猫たちと私の特別な<今年の春>が終わりました。
もうすぐ、夏です。

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2 ほんやく雑記⑧イリノイ州シカゴ 3     (玉田吉行)

概要

ほんやく雑記の8回目で、リチャード・ライトの「地下に潜む男」(“The Man Who Lived Underground”)の中で効果的に使われている擬声語を取り上げようとした経緯について書きました。

ライトの伝記『リチャード・ライトの未完の探求』(The Unfinished Quest of Richard Wright, 1973)を読んだときに、本を読みながら感じた思いと、自分のレベルも知りたくてファーブルさんに手紙を書きましたが、そのときに日本語訳して手紙に入れました。

『リチャード・ライトの未完の探求』

本文

ほんやく雑記の8回目です。

前回はリチャード・ライト(Richard Wright、1908-1960)の中編小説「地下に潜む男」("The Man Who Lived Underground")が掲載された雑誌「クロスセクション」(CROSS SECTION)について書きましたが、今回からその作品の中の擬声語表現について書こうと思います。今回は先ず、なぜ擬声語表現なのか、です。(写真:ミシシッピの会議でのファーブルさん)

僕はずっと書こうと思って生きて来た人間ですから、文学の研究そのものも作品論や作家論にも極めて懐疑的です。人の好みや受け取り方も人それぞれですし、そもそも字や語に対する感覚などは努力して何とかなるものでもありません。努力は誰でもやりますが、絵が描ける、ダンスが踊れるなどと同じで、語感や文章に対する感性などは努力でなんとかなるものでもありません。

必要性もあって、好きだった人に聞いたリストを元にアメリカの小説を読み始めました。最初に読んだのはセオドア・ドライサー(Theodore Herman Albert Dreiser)の『アメリカの悲劇』(An American Tragedy, 1925)、タイトルだけ聞いて図書館から借りてきたハードカバーはなんと1026ページもの大作で、辞書を引きながら読むのに2か月ほどかかりました。(このとき、辞書などひいとったら本なんか読まれへんと身に染みました。)それから、ナサニエル・ホーソン(Nathaniel Hawthorne)の『緋文字』(The Scarlet Letter, 1850)、ウィリアム・フォークナー(William Cuthbert Faulkner)の『八月の光』(Light in August, 1932)を読みました。どれもアメリカ文学では有名で、フォークナーなどは1949年度にノーベル文学賞を受賞しています。1985年にライトの死後25周年を記念して国際会議がミシシッピ州のオクスフォードにあるミシシッピ州立大学でありましたが、集まったのは1500人ほど、前年にあったフォークナーの会議に集まったのが一万人だったそうですから、オクスフォードで過ごしたフォークナーは、アメリカ人好みの作家なのでしょう。

読まなくては、という思いで読んだせいもあったかも知れませんが、どの本もまったくおもしろくありませんでした。その反動もあったのでしょうか。『アンクル・トムの子供たち』(Uncle Tom’s Children, 1938)、『アメリカの息子』(Native Son, 1940)、『ブラック・ボーイ』(Black Boy, 1945)など、ライトの本は鮮烈でした。ことに『アメリカの息子』はからだがばりばりでいうことをきかなかったのに、興奮して震えながら二日ほどで一気に読んだ記憶が鮮明に残っています。

『アメリカの息子』

僕の好きなファーブルさん(ライトの伝記『リチャード・ライトの未完の探求』の著者で、本を読んで感激し、自分の書いたものを英訳して送った翌年にミシシッピの会議でお会いし、7年後にジンバブエの帰りに家族といっしょにパリの自宅にお邪魔しました。ソルボンヌ大学や街並みを案内して下さり、訪ねて来られた同僚の世界的に有名な経済学者といっしょに子供たちとトランプをして下さいました。)が「地下に潜む男」を高く評価しておられた影響もありますが、「地下に潜む男」もなかなかの作品でした。(ハックスリー、トルストイ、モーパッサン、サロヤンの小説と並んでQuintet-5 of the World’s Greatest Short Novelsの中に取りあげられています。)

もちろん、ファーブルさんがおっしゃったように、この中編小説が従来の人種問題を中心にしたテーマを一歩踏み越えようとしている作品として、或いはエリスン(Ralph Ellison, 1914-)を筆頭にする後続の作家に少なからず影響を及ぼした作品として評価されるようになったのは確かですし、そういった評価が、作品の中に示された人種問題の枠を越えたより深いテーマの重みや、差別される黒人こそが日常性の中で見失いがちな物事の本質にいち早く気付き得る有利な地点に立っているというライトの視点の鋭さに負うところが大きいのですが、それらがライトの紬ぎ出した言葉による表現によって裏打ちされていることも忘れてはいけないと思います。作品をぞくぞくしながら読んだのは、その時は意識してなかったと思いますが、言葉や表現にも魅せられていたのでしょう。

次回はそういった表現の中でも、作品の中の主要な場面で使われた擬声語表現について書きたいと思います。

日本語訳→“Some Onomatopoeic Expressions in ‘The Man Who Lived Underground’ by Richard Wright”

次回は「ほんやく雑記(9)イリノイ州シカゴ4」です。(宮崎大学教員)

「モンド通信」は途切れましたが、「続モンド通信」に連載を再開するつもりです。

「『続モンド通信』について」(2018年12月29日)

執筆年

2016年

ダウンロード

2017年5月用ほんやく雑記8(pdf 343KB)