英語 Ra2(2)

11月21日(木)、月曜日の時間割で6回目の授業でした。

月曜日はよく抜けるのでまだ6回目ですが、12月25日(水)が月曜日の振替授業で、大体他のクラスの同じ回数になる予定です。

①Part 3の続き、②Afro-American songsのreading、③the Battle Hymn of the Republicの歌で時間切れでした。

トーイック関連、Part 3の続き(50~52, 53~55, 56~58の3題)。結構時間がかかるね。directionsが流れる間に、質問文に目を通して予め(会話を聞いて4択に答える問題なので、「誰と誰が会話して」を中心に、いつ、どこで、誰が、何を、どうした、などを)予測する、練習をすると、試験で即効果が出ると思うよ。これで6問、あと4問でPart 3(会話を聞いて4択に答える問題)は終了。次はPart 7(Reading)。結構量があるんで、分けてプリントを配るつもり。予め準備して、誰かにやってもらおうと思ってます。積極的にやってや。

the Battle Hymn of the Republicは、High Noonという映画の中の教会でchoir(聖歌隊)が歌う場面。あんな形式で、前か後かで歌うことが多いみたいです。アフリカのcall and response(リーダーの呼びかけに他の人が応えてかけ合う形式)とだいぶ違うね。次回はthe Battle Hymn of the Republicを歌う映像を観てもらうつもりです。

映画の解説は最後に↓

<次回>

* トーイック関連、Part 3の続き、30分で行けるところまで。
* コメント(何人か)←今日も出来なかったけど、次回は是非。

* the Battle Hymn of the Republicの映像
* 「ルーツ」の映像の続き(奴隷市)

* (時間があれば)スピリチュァルを3曲

<配ったプリント>

* Chapter 3(47~58)(A4表裏2)

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真昼の決闘 劇場公開日 1952年9月16日

解説
「シラノ・ド・ベルジュラック」のスタンリー・クレイマーが、1952年に製作した西部劇で、監督は「暴力行為」のフレッド・ジンネマン。ジョン・W・カニンガムの短編小説に基づいて「シラノ」のカール・フォアマンが脚色した。音楽の作曲と指揮はディミトリ・ティオムキン「井戸」で、主題のバラード『ハイ・ヌーン』はティオムキン作曲、ネッド・ウォシントン作詞。撮影はフロイド・クロスビーの担当。主演は「誰が為に鐘は鳴る」のゲイリー・クーパーで、トーマス・ミッチェル「風と共に去りぬ」、ロイド・ブリッジス「拳銃45」、メキシコ出身のカティ・フラドー、テレビ・スターから映画入りした新進グレイス・ケリー、オットー・クルーガー「ヴァレンチノ」、ロン・チャニイ、ヘンリー・モーガン、アイアン・マクドナルドらが助演。

1952年製作/85分/アメリカ 原題:High Noon

ストーリー
1870年、西部のハドリーヴィルの町、ある日曜日の午前のことである。この町の保安官ウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)は、事務所でエミイ(グレイス・ケリー)と結婚式を挙げていた。彼は結婚と同時に保安官の職を辞し、他の町へ向かうことになっていた。突然、そこへ電報が届いた。ウィルが5年前に逮捕して送獄した無頼漢フランク・ミラーが、保釈されて正午到着の汽車でこの町に着くという知らせだった。停車場にはミラーの弟ベンが仲間の2人と、到着を待っていた。時計は10時40分。ウィルは再び保安官のバッジを胸につけた。エミイはウィルに責任はないと言って、共に町を去ろうと主張したが、彼は聞き入れなかった。エミイはひとり正午の汽車で発つ決心をし、ホテルで汽車を待つ間、ウィルのもとの恋人で、今保安官補ハーヴェイ・ベル(ロイド・ブリッジス)と同棲しているメキシコ女ヘレン・ラミレス(ケティ・フラドー)と会い、彼女も同じ汽車で町を去ることを知った。一方、ウィルは無法者たちと戦うため、助勢を求めて、酒場や教会を訪れ、最後に2人の親友に頼み込むが、みんな尻ごみして力になってくれない。彼は1人で立ち向かう決心をして遺言状を書きつづった。時計が12時を指すと共に汽笛がきこえた。停車場からミラーが降り立ち、入れ替わりにエミイとヘレンが乗った。エミイは一発の銃声を聞くといたたまれず汽車から降り、町へ走った。ウィルは2人を仆し、エミイの機転であとの2人も射殺した。戦い終わって町の人々がおそるおそる集まってくるうちをウィルとエミイは黙ったまま馬車を駆って去って行った。

ゲイリー・クーパー

受賞歴
第25回 アカデミー賞(1953年) 第10回 ゴールデングローブ賞(1953年)

英語 Ra2(2)

連絡事項:18日(月)は大学祭のあとかたづけで休み、次回は21日(木):月曜日振替。

11月11日、5回目の授業でした。

『金のフレーズ』①の後半の解説、John Brown’s Body、「ルーツ」の映像(奴隷船の場面三つ、コメントを少々。

John Brown

今日で①の解説は終わったんで、この前提案したoral checkや筆記試験、いつでも連絡してや。試験問題も作っとくんで。遠慮なく。少しでもスコアをあげて、自信を持ってもらえれば嬉しい限りやし、実際に英語を使う手助けになれば、なお嬉しいね。

<次回>

* トーイック関連、Part 3の続き、30分で行けるところまで。
* コメント(何人か)
* 「ルーツ」の映像の続き(奴隷市)

ROOTS – Airdate January 23, 1977. (Photo by ABC Photo Archives/ABC via Getty Images) EDWARD ASHER;LEVAR BURTON

* プリントの3枚目のAfro-American songs: spirituals and gospel music by African descendantsの1ページ目と2ページ目の途中まで(Steal awayの前まで)を小林くんに。
* スピリチュァルを3曲、the Battle Hymn of the Republicの歌の映像

<配ったプリント>

* John Brown’s Body(B4表1)

英語 Ra2(2)

11月6日(水)、月曜日の振替で4回目の授業でした。

またいろいろ話をして、コメントを5人に聞いて、『金のフレーズ』①の解説を途中まで。それしか出来なかったね。

この前提案したoral checkや筆記試験は、連絡をくれれば僕の部屋でも、授業の前後でも、或いは二人で組んでやってもええと思うよ。

<次回>今回出来なかった分。

* (吉岡さんが言ってたように)トーイック関連30分、①の解説の続きとPart 3の続き。
* コメント(何人か)
* 「ルーツ」の映像の続き(奴隷船、奴隷市)
* プリントの3枚目のAfro-American songs: spirituals and gospel music by African descendantsの1ページ目と2ページ目の途中まで(Steal awayの前まで)、小林くんは次回来られなくて誰かに頼むそうで、次回にやってもらえなかったら次々回に。
* the Battle Hymn of the Republicの映像

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干し柿の季節で、今年干したのは40個。倍くらいなってたと思うけど、無事生き残って干せるのはそれくらい。

小島けい画

前にホームページで何回か書きました。↓

2008年12月31日

渋柿を干し出してから二十年以上になります。長女が生まれてから少し経った頃、どさくさに紛れて奥さんのお父さんの家に転がり込んで明石海峡の近くで暮らし始めました。庭に渋の木があって、ある年からその柿を剥いて縁側に干し始めました。そう大きくない丸い柿だったけど、そのうち大きい長細い柿を八百屋の店先に見つけて庭先に吊し始めました。家は誰も住まなくなった時に震災にやられて、廃屋の姿を晒していたんで侘びしかったと弟が電話でしゃべってたような。更地にして人手に渡ったそうやから、あの柿の木も今はもうこの世に存在していないわけです。

明石にいた頃、家族でサンフランシスコへ行く前に寄ったハワイで長女と

二十一年前に宮崎に来てからも干し柿作りは続いていましたが、今年は箱で渋柿が出回る頃に柿を買う心の余裕もなくて、とうとう干し柿も作れませんでした。

渋柿を吊せなかった、今年が暮れる      我鬼子

2009年11月 26日

今年初めて一つ柿が実をつけました。桃栗三年柿八年と言うようですが、少し早くなったようです。
多分苗木を買ったとき、西条柿の札がついていたと思います。裏庭になっていた丸い柿を干したのが干し柿作りの最初です。二十数年前に明石に住んでいた時のこどです。そのうち八百屋の店先で西条柿を見つけて干すようになりました。苗木は、いつだったか、宮崎神宮の植木市で目にしたものだったようなあやしい記憶がありますが。

今年は二箱の柿を買って干しています。

2010年11月23日

今日は柿を干しました。たしか西条柿という名の大きな渋柿です。
去年初めて家で植えた木に一つ実がなりました。今年は三つなりました。五つ実をつけていたと思うのですが、最終的には三つだけしか残りませんでした。
お腹をこわしたとき、真っ白な麹と糯米で造った甘酒と干し柿と、胃の粘膜によさそうなつくね薯とおかゆを食べました。手間と時間がかかりますが、弱った胃にはやさしかったように思います。

今使っている清武のカネコ味噌が作っている麹

剥いて陽に干すだけですが、何とも言えない色艶と甘みが出ます。
時間と気持ちがないとなかなか造れないのですが、今年は近所の八百屋さんで買い求めたものと合わせて一回目の準備が出来ました。
秋が終ってしまいそうです。

過ぎ行く秋の陽に、柿を干す   我鬼子

2011年11月23日

今年は柿が13個もなりましたが、干せたのは8つです。一つは色づいたなと思ってよく見たら熟し過ぎてしまっていてそのあと落ちてしまいました。慌てて何個かちぎりましたが、ずっと雨が続いて干せない間に3つが熟してしまいました。長雨の間に、順調に育っていたブロッコリーもリーフレタスも完璧に虫にやられて、無残な姿をさらしています。薬はよう使わないので、一匹ずつ殺すしか今のところ方策はありません。殺生をして虫のえさを横取りする存在です。
すべて、何やらあやうい毎日です。

句も出ず、霧島降ろしに柿を干す   我鬼子

奥さんのブログにも柿を使った本の表紙絵を紹介しています。

「本紹介8 『馬車道の女』」

「本紹介20 『一番美しく』」

「本紹介48 『随所に主宰とならん』」

額入りの絵も紹介しています。

「柿」

英語 Ra2(2)

予定の確認:来週からしばらく変則的。

来週4日(月)は休日で授業なし→11月6日(水):月曜日振替授業
11日(月)→通常授業
18日(月)大学祭片付けで授業なし→11月21日(木):月曜日振替授業
25日(月)→通常授業

連絡事項→『金のフレーズ』①例文1~50まで目を通して来る、解説するんで。日本語を見て英文を言えるようにする(再生産)と、ある程度基礎的な文章に慣れるのは可能→スコアアップに繋がる。

提案:oral checkや筆記試験は、連絡をくれれば僕の部屋でいつでも出来るようにするよ。授業の前後に時間を見つけてやるのもOK。授業時間内でするのは難しいので、何とか実際にやれる方法を模索しよ。もちろん、自分でやれるのが一番やけど。まだスコアが上がらないと諦めるのは早すぎるで。

* Part 3の音声ファイルを参考ファイル(ファイル置き場)に置きました。ダウンロードして使ってや。

10月28日3回目の授業でした。

トーイックはPart 3 1問(47~49)→名前を読んでから→Slave Tradeの続きを終了(森本さん):資本主義、アンチテーゼとしての共産主義、社会主義の話や、金持ち層3%による支配、階級の問題など、いろいろマクロな話をしました。→「ルーツ」の映像(クンタ・キンテの誕生の場面、奴隷狩り、奴隷船の船長と奴隷狩りの会話)
それで時間切れでした。
森本さんのやってくれた箇所の日本語訳は最後に貼っておきます。

ROOTS – Airdate January 23, 1977. (Photo by ABC Photo Archives/ABC via Getty Images) EDWARD ASHER;LEVAR BURTON

今日読んだ箇所で、この500年くらいの歴史の中で奴隷貿易が今の社会を作り出した大きな出来事の一つだと指摘するマルクスの「By this trade the first large-scale collection of wealth was accumulated, speeding up development towards capitalism.」は是非頭の片隅に置いてほしいと思います。

最後にちらっと言ったけど、この時に出来た経済格差が自分たちの言う「先進国」と「発展途上国」の経済格差。今も格差がなくならないのは、形を変えて搾取構造が温存されているから。「先進国」日本の繁栄や豊かさは、そのおかげ。自分が意識しようとしまいと、搾り取られている人たちの恩恵にあずかっているのは、事実。
前期で取り上げた南アフリカの問題で浮かび上がって来た構図も同じ、今回取り上げるアフリカ系アメリカ人の問題でも同じ。
自分自身や今生きている社会についていろいろ考える機会にしてもらえれば嬉しい限りです。

<配ったプリント>

* トーイックはPart 3 47~52(A4表1)
* the Battle Hymn of the Republic(B4表1)

Dionne Warwick

<次回>

* Part 3の続き、1問でも。
* コメント(何人か、今日も言ってもらえなかったんで、次回は是非))
* 「ルーツ」の映像の続き(奴隷船、奴隷市)
* プリントの3枚目のAfro-American songs: spirituals and gospel music by African descendantsの1ページ目と2ページ目の途中まで(Steal awayの前まで)、小林くんは来てやってや。
* たぶん、the Battle Hymn of the Republic

今日読んだ箇所の日本語訳

These humans were sold in America where they produced the goods to be brought to Europe. This was the so-called 'triangle trade’ or 'triangular trade.’ The riches of capitalists grew while Africa suffered. This slave trade continued for three and a half centuries and brought millions of Africans to America.
その人たちはアメリカで売り飛ばされ、そこで産物を作って、その産物がヨーロッパに運ばれました。これは「三角貿易」または「三角の貿易」と呼ばれました。資本家の富は増え、アフリカは苦しみました。この奴隷貿易は3世紀半の間続いて、数百万人ものアフリカ人がアメリカに運ばれました。
European, above all English and American capitalists had gained enormous profits from the trade in slaves and the work performed by the slaves. Slavery was an essential part of the international capitalist market. By this trade the first large-scale collection of wealth was accumulated, speeding up development towards capitalism. The 'triangular trade’ was one of the foundations of the Industrial Revolution in Europe.
ヨーロッパ人、とりわけイギリスやアメリカの資本家が奴隷貿易と奴隷がした労働から莫大な利益を得ました。奴隷制は国際資本家市場の要の部分でした。この貿易によって大規模な初期の資本蓄積がなされて、速度を上げながら資本主義に向けて進んで行きました。「三角貿易」は、ヨーロッパの産業革命の土台の一つになりました。

For Africa the consequences of the slave trade were ruinous, not only in terms of the boundless suffering of the millions who were taken as slaves, and their descendants, but also for those left behind. In the Middle Passage sometimes whole groups of Africans, taken on deck at night for air, would leap into the sea – committing mass suicide rather than go into slavery.
アフリカにとっては、奴隷貿易のもたらす結果は、奴隷として連れ出された何百人もの人々とその子孫が被った際限ない苦しみという意味だけではなく、後に残された人たちにとってという意味でも壊滅的でした。中間航路では、外気にあてるためにデッキに連れて出されたアフリカ人たちが集団で海へ飛び込むこともありました。奴隷にならずに集団自殺をしたのです。

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23日(水)に、臨床実習でお世話になっていたカリフォルニア大学アーバイン校から医学科が招待した小児科医のペニー・ムラタさんのお世話をさせてもらいました。空港から観光ホテルの夕食まで、ほぼ半日。
前回はフラワーガーデンと平和台公園に案内したので、今回は海に、と思ったけど、生憎の激しい雨。レストランからの海しか観てもらえなかったのは、残念。

僕の方は、普段は一定のリズムで辛うじて毎日をやり過ごしてるからなんやろな、半日も普段以外のことが入ると、すっかりペースがぐちゃぐちゃ。

それでも今週は今日の3コマ目の獣医学科の獣医学用語の授業も含めて8コマ。最初の3コマが終わってやっと、普段のペースに戻りそう。

上段左がペニー・ムラタさん、右は池ノ上さん