ビジネス英語 I-1(2)

7回目の授業、来週から後半です。

今日はちょっとかなしかったねえ。発表の二人、桝田さんはパソコンの調子が悪く、森実くんは来てなくて、結局出来ず。ようさん来てないうえに、倉本さんともう一人(後ろ姿しか見えんかったので誰かわからんけど)がコメントのあと出て行ったし。出席を取らんからとか、自動車学校やからとか、でないことを祈ります、も何だかかなしいね。

<今回>は

コメントのあと(もう少ししゃべってくれると僕も反応しやすいと思うけど。ちょっとは授業の成果があって、何回も繰り返してやってますと、言ってくれる人が一人くらいいてもよさそうな気もするけど、ね。)、最初に5文型・8品詞、用言・体言(句・節はあんまり触れんかったね)、副詞、分詞の説明をしてからPart 5の残りの続き。最後まで行かんかったね。

<次回は>

今日出来なかった二人の発表と過去問の続き。

再来週とで、サンプル問題を最後までと、リスニングPart2とリーディングPart6まで行けるとええんやけど。

再来週(試験の週)にTest1は全部渡せるようにしときます。結構あるんで、今日みたいな授業が続くと、気持ちが萎えて印刷も行きたくなくなりそうやけど、今回は何とか印刷しときます。

いくら準備をしても何をしても、結局みんながするかしないかやから、授業をする側の出来ることて、ほんまないにも等しいよね。授業を大事に思ってるし、みんなのことも大切に思ってて、出来ることはしようとやってるんやけどなあ。

来週に、また。

英語 Ra1(2)

7回目の授業、来週から後半です。

<今回>は

コメント(西くん、西田くん、波田野さん、濱崎さん、原田くん、藤野さん、松原くん、宮田くん)を言ってもらってから(もう少しいろいろしゃべってくれると名前も定着しやすいんやけどなあ)

バンツースタン→(安価な労働力の例として)ダーバン郊外の砂糖黍畑で働く12歳のアフリカ人少年(農場で)→ヨハネスブルグの金鉱山(1972年頃と1987年ころ)→労働組合委員長のインタビュー→たこ部屋(Compounds, Hostels)から鉱山近くの粗末な売店に行く茂みで待ち受ける売春婦の映像を観て聴いてもらい、最後に「グレースランド」のスティメラを観て、聞いてもらいました。前々回、前回で読んでもらった内容の映像を少し見てもらえたと思います。

スティメラを歌い、トランペットを吹いていたヒュー・マセケラ

<次回は>

南アフリカの話は中断して、再来週と2回、トーイックの過去問を集中してやろ。リーディングPart5→リスニングPart2→リーディングPart6くらいまではやれるやろか。(それでTest1の半分)

リスニングPart2~Part4、リーディングPart6~7のサンプル問題をやったあと。(サンプル問題は全部やるんで、それで大体の傾向がわかると思うよ。)

まだ全部は印刷してないけど、再来週(試験の週)にはTest1を全部配れるように印刷しときます。印刷も大変やけどねえ。

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あしたの2コマ目の工学部の授業が終わってから金曜日まで吉祥寺。去年は吉祥寺に3回と名古屋に1回行きました。科学研究費を旅費ででも使わんと使い切れへんからね。医学科では個人の研究費も結構あったし、他にも科研費や外部資金もあったんで、毎年何回か吉祥寺と神戸を拠点にうろうろしてました。宮崎医大に来てから、30年以上、毎年何回か行っています。

神戸三宮のセンター街、週日の昼間に

ハラレに行ってからは外国に行くのが億劫になり、1988年にカナダ、2010年ころにタイのプリンスオブソンクラ大学に行った切りです。カナダには北アメリカに亡命中の南アフリカの人が50人ほど集まった会議に呼ばれて話をするために行きました。

会議でのアレックス・ラ・グーマ夫人ブランシさん

タイは、医学科生の実習用の英語を担当してるのに、実際の病院での実習を見ないとちょっと後めたいなあという気持ちもあって、同僚の横山さんが行ってる途中に二日ほどこっそりと行きました。大学の学生寮に泊まったけど、今から思うと、ホテルの方がよかったのになあと思います。バーツに対して円は強いから、結構いいホテルに泊まれたやろにねえ。

今日からソンクラの3年生が3人、研究室配属で4週間、基礎医学講座に来ています。医学科の人で将来東南アジアで働きたいからと研究室に英語を話しに来ている学生がいるんで、その人たちと繋がなくっちゃと考えているところです。

ソンクラの学生と医学部の6年生、ソンクラ大で

タイの人たちのもてなし方は尋常ではなく(いい意味で。行った学生は、こんなに世話尾してもらうんやったら、日本にタイの学生が来た時にもっともてなしとけばよかったなあ、と必ず言うくらい)、いろいろ招待されるのがわかってたから、こっそり行くことにしました。酒の席がどうも苦手やし、知らない人の多いところでいろいろ聞かれてしゃべるのもあんまり好きではないんで。それでも小児科医の人に学生といっしょに夕食に誘われました。御殿のようなところに住んではって、食事もメイドさんが作ってくれはったようです。タイの料理は辛いそうやけど、洗練された上品な味で、すんなりおいしく食べたような気がします。

今も科研費があるからアメリカでもアフリカでも行こうと思えば行けるんやけど、どうもその気にならないまま。教授はビジネスクラスを使ってもええ規定らしいけどね。もちろん、使ったことないけど。

英語 Rb1(3)

<連絡事項>

来週は休講(先週23日の1コマと振替です)

8・9回目の授業で、残りはあと6回です。

<今回3コマ目>は

Test 1 Part 5(Readingの4種類のうちの一つ、先週Listeningと勘違いして書いてたね)英文の穴埋め4択問題、サンプル5題、問題40計45題。やってもらったり僕がやったり、一部抜けてたり。解説も配ったんで、大体あの調子で繰り返しやるといいと思います。

文法問題なので、5文型、8品詞、用言・体言、節・句、副詞、分詞についてプリントを使って少し解説をしました。わかっている人にはお節介やったかも。あやふやなところがあった人は、チェックしとくとええね。

問題を丁寧にやると、やっぱり時間かかるね。でもその積み重ねで、最後は自分でやるしかないわけやから、自分でやってスコア取りや。個人的にもいつでも協力するんで、遠慮なく。一回受けて結果を見てから、本気でやりたいと思う人も、いつでもどうぞ。協力するから、ね。

<4コマ目>は

コメント(中峯くん、服部くん、林くん、原口さん、春山くん、開田さん)を聞き(遠くから来てる人もいるんやねえ)、「グレースランド」の冒頭のTownship Jiveを観て、聴いてもらってから

バンツースタン→(安価な労働力の例として)ダーバン郊外の砂糖黍畑で働く12歳のアフリカ人少年(農場で)→ヨハネスブルグの金鉱山(1972年頃と1987年ころ)→労働組合委員長のインタビュー→たこ部屋(Compounds, Hostels)から鉱山近くの粗末な売店に行く茂みで待ち受ける売春婦の映像を観て聴いてもらい、最後に「グレースランド」のスティメラを観て、聞いてもらいました。

前々回、前回で読んでもらった内容の映像を少し見てもらえたと思います。

<次回は>

コメント→ハラレの話→アパルトヘイトと解放運動の映像、それでも時間があったら、「アフリカの蹄」を少しでも。

スティメラを歌い、トランペットを吹いていたヒュー・マセケラ

来週は火曜日2コマ目の工学部の授業が終わってから金曜日まで吉祥寺。去年は吉祥寺に3回と名古屋に1回行きました。科学研究費を旅費ででも使わんと使い切れへんからね。医学科では個人の研究費も結構あったし、他にも科研費や外部資金もあったんで、毎年何回か吉祥寺と神戸を拠点にうろうろしてました。宮崎医大に来てから、30年以上、毎年何回か行っています。

神戸三宮のセンター街、週日の昼間に

ハラレに行ってからは外国に行くのが億劫になり、1988年にカナダ、2010年ころにタイのプリンスオブソンクラ大学に行った切りです。カナダには北アメリカに亡命中の南アフリカの人が50ンほど集まった会議に呼ばれて話をするために行きました。

会議でのアレックス・ラ・グーマ夫人ブランシさん

タイは、医学科生の実習用の英語を担当してるのに、実際の病院での実習を見ないとちょっと後めたいなあという気持ちもあって、同僚の横山さんが行ってる途中に二日ほどこっそりと行きました。大学の学生寮に泊まったけど、今から思うと、ホテルの方がよかったのになあと思います。バーツに対して円は強いから、結構いいホテルに泊まれたやろにねえ。

ソンクラの学生と医学部の6年生、ソンクラ大で

タイの人たちのもてなし方は尋常ではなく(いい意味で。行った学生は、こんなに世話尾してもらうんやったら、日本にタイの学生が来た時にもっともてなしとけばよかったなあ、と必ず言うくらい)、いろいろ招待されるのがわかってたから、こっそり行くことにしました。酒の席がどうも苦手やし、知らない人の多いところでいろいろ聞かれてしゃべるのもあんまり好きではないんで。それでも小児科医の人に学生といっしょに夕食に誘われました。御殿のようなところに住んではって、食事もメイドさんが作ってくれはったようです。タイの料理は辛いそうやけど、洗練された上品な味で、すんなりおいしく食べたような気がします。

今も科研費があるからアメリカでもアフリカでも行こうと思えば行けるんやけど、どうもその気にならないまま。教授はビジネスクラスを使ってもええ規定らしいけどね。もちろん、使ったことないけど。

英語 Ma1(2)

<連絡事項>

来週は東京行きで、授業なしです。合同ですでにやった1回分です。

次回は最初に4章をさっとやりますので、準備しといてや。(今日するつもりやたけど、準備できてない人も多かったようなので。)

9回目、残り6回です。

<今回は>

最初に課題を集めました。出来るだけ早う読むつもりやけど、自分のやった課題の評価を聞いて次回に反映させたいと思ってる人は、メールか直接かで聞いてくれれば対応するつもりです。

それから映像。ひょっとして、砂糖黍農園、金鉱山(1970年代初頭と1987年)、労組委員長の解説の映像、繰り返してみてもらったんやろか。誰も何も言ってくれんかったんで。

金鉱近くの南アフリカの娼婦、40年代から60年代のアフリカ人の抵抗運動の映像、1955年の国民会議、PACとソブクウェ、シャープビルの虐殺と武力闘争、マンデラのBBCの映像も見てもらえました。なかなか貴重な映像もあったと思います。

それからハラレの話、時間的に短かったんで全部は紹介できなかったけど、本にするつもりの分をメールマガジンにわけて連載したのがあるので、どうぞ。1987年のカナダへの取材のときに買ったEOSのいいのを持って行って、いい写真がたくさん撮れたと思います。その一部を紹介しました。

「ジンバブエ滞在記一覧」

<次回は>

4章をやってから、「遠い夜明け」の編集版。最初にエボラとコンゴに関するプリントを並べておくんで、取ってや。

次回に、また。