つれづれに

つれづれに:2024年10月1日

<ロバ(パオンちゃん)と犬(ウィペット)の親子>(3号)

 今年も10月1日が過ぎて行った。私の誕生日である。医大で出会った既卒組の一人からユッスー・ンドール(↓)を紹介してもらった。文字を持たない口承の世界のグリオ(griot)の末裔だそうである。グリオはかっこよく吟遊(ぎんゆー)詩人と翻訳されることもあるが、その村の歴史を記憶して語り継ぐ人たちである。『ルーツ』の作者アレックス・ヘイリーは7世代を遡り、ガンビア川を遡って祖先クンタ・キンテの生まれ育った小さなジュフレ村を訪ねた。その村のグリオの口から、ある日森に樹を切りに出かけた時に奴隷狩りに捕まり、奴隷船でアメリカに売られて行ったと、直接祖先の名前を聞いている。

 80年、90年代に欧米に紹介されて世界的な歌い手になった。来日もしている。学生がコピーしてくれたJokoというCDは、90年前後に宮崎の本屋にもおかれていた。その学生は一つ目の大学を卒業したあと働いている時に、有休を取ってコンサートに出かけていたそうである。1990年の昭和女子大でのコンサート(↓)の模様はNHKBSで放送された。コンサートでは「ネルソン・マンデラ」などを歌った。その後の英語の授業で紹介したら、東京の私大を卒業した学生が「このコンサートに行きましたよ。ほら、一番前で手を振ってますよ」と映像を観ながら、教えてくれた。

 そのユッスー・ンドールと誕生日が一緒だと紹介したら、次の年にお誕生日おめでとうございますとメールが届いた。その後も、何回かそんなことがあった。誕生日前に後期高齢者用の保険証が送られてきているが、ユッスー・ンドールは私より10歳若い。世界的に売れたアフリカ人の歌手はロンドンかパリかニューヨークなどを拠点にする人も多いらしいが、首都のダカールにスタジオを持って活動しているらしい。日本ではホンダのステップワゴンのCMで、結構有名になった。1994年にニューヨーク州ソーガティーズで開催されたウッドストックロックフェスティヴァルにも招待されて、Copy Meを歌っている。その頃、非常勤なのに旧宮崎大(↓)英語科の学生の卒業論文の手伝いをしていた。最初アフリカ系アメリカの作家で書きたいということで研究室に来たが、いつの間にかブラック・ミュージックにタイトルが変更されていた。なぜか最後まで付き合うはめになったが、その学生がバイトしていたビデオショップでそのフェスティヴァルを録画してくれた。頼んだわけではなかったが、ボランティアへのお礼だったかも知れない。父親が働かない人で学費をバイトで賄って卒業した後、東京で就職した。今ごろ、どうしているんだろう?最初で最後の卒論指導である。医学科はゼミがないので卒論指導をしたことはないが、統合後手伝った日本語教育の修士課程と新設された医学科の修士課程で、一人ずつ修士論文の相手をすることになった。

まさか75歳の日が来るとは思いもしなかったが、先がそう長くないのを、少し意識し始めている。一度諦めたとき、後で悔いることだけは避けたいと思って生きてきたので、あまり悔いはないが、そんなにきれいに割り切れるものでもないらしい。気持ちが切れないうちに、5冊目を書いておくとしよう。