つれづれに:MLAのあと(2022年8月5日)
HP→「ノアと三太」にも載せてあります。
つれづれに:MLAのあと
発表が終わって暫く雑談をしたあと、部屋に戻った。まだ寝ていたら起こすと悪いなあと思いながらドアを開けたら、「あら、発表は終わったん?」と妻が聞いた。「ホテル(↑)の近くの日本食レストラン(↓)で食べたら、おいしかったあ。カード使ったよ。」と満ち足りた様子だった。英語を使わなくてもいい日本レストランが近くにあったんだ。前の晩は3人が寝てる間に廊下で少し読む練習をして、そっとベッドにもぐりこみ、朝は起こさないようにそっと出て、発表を終えて帰って来たら、3人の満足そうな顔、すべて順調である。少なくとも三人には言葉の問題はなさそうだった。
「サンフランシスコ」(6月19日)の街に出発である。最初はゴールデンゲイトブリッジ(↓)だった。タクシーに乗り、橋の下辺りで降ろしてもらった。運転手さんにも入ってもらって3人の写真も撮った。広い公園を歩きながら、みんなで下から橋を見た。最初に来たときは45分かけて橋を渡り、「霧のサンフランシスコ」が背景に流れる映画を思い出したが、4回目なのでその意識もずいぶんと薄れた感じだった。二人の子供は「なんでわざわざ橋を見に来たんやろ?」と思ったかも知れない。
帰りの坂ではケーブルカー(↓)に乗った。坂が多いので作られたようだが、実際に乗ったのはきつい坂ではなく、人も多かったように思う。いくらか支払って乗ったと思うが、料金は思い出せない。その時は何も調べなかったが、漁夫の波止場(フィッシャーマンズウォーフ)やアルカトラズ島などの観光地にも行ってたようだ。開業は1873年で世界最古の手動運転の循環式ケーブルカーらしい。市が運営して公共交通網の一部で一定の通勤客も利用するようだが、私たちのような観光客の名所的な存在のようである。鋼鉄線をより合わせて作られたケーブルで時速9マイルの速度で移動するらしい。乗った時も、ゆっくりと走っていた。
漁夫の波止場(フィッシャーマンズワォーフ、↓)にも行った。タクシーで行ったが、知っていたらケーブルカーを利用したと思う。どこに行くのも行き当たりばったりである。その日はどこかに夕食に行こうと、いつもの調子でフィッシャーマンズワォーフに出かけたたら、どの店も人で一杯だった。クリスマスシーズンの観光地、予約して行くものらしい。「ここ人がいなくて空いてるよ」と息子が言うので、そこに入ることにした。空いていたわけだ。飛び切り辛いメキシコ料理の店だった。全員、ひーひー言いながらの夕食を顔を引きつらせながら「堪能」した。地下鉄にも乗った。I Love NYキャンペーンの前にもニューヨークの地下鉄に乗っていたので、きれいやなあという印象が強かった。
一日目の夜に、エイブラハムズさん夫妻(↓)も部屋まで来てくれたし、初めての英語での発表も出来たし、4人で街をうろうろ出来たし、誘ってくれた伯谷さんに感謝である。
次は、こむらど委員会、か。