つれづれに:下田(2024年1月29日)
つれづれに:下田
伊豆西海岸の戸田(へた)から、南伊豆の下田に行った。黒船が来た下田の港を見てみたかったからである。戸田(へた)を朝早く発って、先ずは修善寺に戻り、バスを乗り換えて伊東に行き、小田急で下田に着いた。もちろん、昼はとっくに過ぎていた。1970年代の、たしか半ばの話である。
受験勉強としては出来なかったが、日本の歴史には興味もあり、時々史実を掘り下げて考えてみたことはある。大学の4年目辺りに家庭教師を頼まれて経済的に少し余裕が出てから、古本屋に行くようになっていた。吉川英治の全集宮本武蔵(↓)を買い込んで読んだとき、主人公が今の岡山、当時の美作(みまさか)宮本村から戦(いくさ)に出たという書き出しが、変に面白かった。現実とは違う局面の話だった日本史の関ケ原の戦いで「武蔵は実際に殺し合っていたんだ」と思うと、遠くの話が身近なものに思えた。西軍の一番下っ端の歩兵だったから、敗者側にいても何とか生き残ったという設定だった。幕末や維新にも少し関心があり、黒船が下田に来たと知って、いつか下田の港から海を見に行ってみるかという気持ちになっていた。
遠回りをして辿(たど)り着いたわりには、港に行って実際に港から海を見た時には「そうなんや、この港に黒船(↓)が来たんや」と思っただけだった。下田はそれで充分だった。しかし、最近下田の黒船が、私の中で思わぬ展開を見せた。最初から西伊豆に行くつもりなら、新幹線で降りた熱海の手前の沼津駅から伊豆箱根鉄道を使って西海岸に直接に行く方が、たぶん効率がいい。戸田からも西海岸回りで下田に行けば、南端の石廊崎灯台からの壮大な海を見たあと、下田に行けたかも知れない。しかし、計画性もないし、効率も悪い。遠回りばかりである。何か自分の生きて来た縮図のような行程である。